用の美

先週のブログで触れた民藝運動についてもう少し深堀りしたくて万博公園内の大阪民芸館へ。

ほぼ1年ぶりの万博公園、JR茨木駅から近鉄バスで日本庭園前。東口ゲートから大地の池南側に回るとトライトレインなるアトラクション。4両編成の列車かと思いきや、1両ずつがバラバラで自分で運転するようになってます。その線路がくねくねとまるでナローゲージのレイアウト。よほど乗ってみたかったのですがガマンしました。

太陽の塔と大阪民芸館です。1970年の万博で閉幕後も残された数少ないパビリオンのひとつ日本民藝館が翌年大阪民芸館として開館しています。民芸館手前の藤棚が見事だったのですが、それは後ほど。

大阪民芸館初代館長は濱田庄司、二代目館長は柳宗悦長男で工業デザイナーの柳宗理。万博へのパビリオン出展は大原美術館館長だった大原総一郎(大原美術館創設者・大原孫三郎長男)の呼びかけによるものだったらしい。大原孫三郎は民藝運動に共感し、活動を支援、大原美術館工芸館・東洋館ではバーナード・リーチや濱田庄司ら民藝作家の作品が展示されているそうです。

春季特別展「眼のわざ手のわざ―山本教行・西洋工芸コレクションより―」開催中、第一展示室(写真3)は鳥取県岩美町で窯を営む陶芸家・山本教行氏の西洋工芸コレクション。

西洋工芸

18〜19世紀イギリスのスリップウェア(4)。スリップウェアとは泥状の化粧土(スリップ)に模様が描かれた日用品で、温かみのある黄色と褐色のコントラストや、独特の流れるような模様が特徴。工業化で衰退もバーナード・リーチらによって再評価されたもの。

同じケース右上に置かれた14世紀イギリスの緑釉水差し(5)はこの展示会でおそらく最古の陶器。

ヤマドリ(?、写真6)、花瓶の花(7)、ザクロとぶどう(8)のタイル絵は17世紀オランダのデルフトタイル。同時期に日本から発注され阿蘭陀焼と呼ばれたデルフト焼の食器香合を藤田美術館で見ています。かのフェルメールは17世紀デルフトの人。

ウィンザーチェア(写真9、18〜19世紀イギリス)、と食器戸棚(18世紀スペイン)、壁掛けフック。

左側のスペイン製の壁掛けフック(10)は17世紀、右側の(11)は20世紀のもの。職人技の進化を感じさせます。

棚の上に置かれているのは18〜19世紀イギリスのスリップウェア(12)、この特別展のポスターのメインになってます。

棚に並べられた19世紀フランスの食器(13)、手前に並べられたお皿やスプーンはピューター(錫の合金)製。

ところどころの壁に掲げられているのはグレゴリオ聖歌楽譜(イタリア)、14世紀の楽譜(写真14)と16世紀の楽譜(写真15)。五線譜ならぬ四線譜に四角い音符が並んだネウマ譜、歌詞はラテン語。14世紀の方は詩篇(たぶん)で、16世紀の方はルカによる福音書の種まきのたとえの部分らしい。

グーテンベルク活版印刷の発明は15世紀半ばなので、14世紀の楽譜は手書き写本、16世紀の楽譜は印刷と言いたいところですが、譜面の印刷はまだ難しくこちらも手書き写本、文字の形が写植のように一致しておらず、イニシャル文字は手彩色です。

14世紀イタリアはルネッサンス初期、絵画ではジョットらのフレスコ画の時代、16世紀イタリアはダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロのルネッサンス最盛期から、ブロンズィーノ、エル・グレコ、アルチンボルドらのマニエリスムに移る時代。

19世紀アメリカの塩釉手付壺(16)、濱田庄司も手掛けていた塩釉です。いかにもスペインを感じさせる18世紀スペインの二彩掻落壺(17)。

19世紀スペインの薬味入れ(18)、パプリカ、サフラン、オレガノなどが入れられていたはず。ローマの真実の口のような顔がついた18世紀ドイツの塩釉髭徳利(19)。

18世紀スペインの長椅子(20)には座布団、実際に腰掛けていただけますとあったので、おそるおそる腰を下ろしてみました。教会にあるような背もたれと両脇にパネルのある木の長椅子はPew(ピュー)と呼ばれるらしい。

アンティークなピューに座ってちょっと緊張している上町のオッサン、だんだん座り心地が良くなってきて周りの展示をじっくり鑑賞することができました。ただ展示するだけじゃなくて、18世紀の長椅子の座り心地を試せるとは、まさに民藝運動の「用の美」、名もなき職人による実用的な生活道具に宿る美です。

長椅子に腰掛けた正面には子供椅子やおもちゃ(22)。左手にはウィンザーチェア(23)がずらり。こちらも座って構わないのかも知れませんが、座ってOKと掲示がなかったので止めておきました。

平台の展示ケースにはロシア正教のイコンがずらり、順に16世紀(写真24)、18世紀(25)、19世紀(26)のイコン。

隣の平台ケース(27)にも左右の扉に天国と地獄が絵嗅がれたイコンや小さなイコン。手前のアコーディオン状の折本(28)にはロシアのキリル文字ではない文字が。ケースには何の解説も無いのですが展示品目録やChatGPTとの会話からエチオピア正教の祈祷書(19世紀)で、ゲエズ語という話し言葉として消滅した後もキリスト教の典礼や公式の文章語として使われ続けた言語と分かりました。

鳥が描かれたペルーやイランの陶器(29)、手前の2枚は蜂の巣蓋とあります。養蜂の道具でしょうか。左のペルーと右上のメキシコに描かれているのはハクチョウに見えます。メキシコやペルーにハクチョウが飛来するようです。

20世紀スペインの鳥文皿(30)、卵を産んだところでコーコッコーと騒いでる雌鶏、周囲の文様も鳥の羽、朝ごはんに最適のお皿です。

20世紀ペルーの鳥文鉢3点(31)と20世紀スペインの鳥文皿(32)。時代や地域に関わらずみんな鳥が大好き。

手の技

第二展示室(33)は「山本教行-手の技-」、最初は山本教行の組陶絵「手」(34)。

民藝運動創始者のひとり、英国人陶芸家で画家・バーナード・リーチの墨絵やスケッチが山本教行作品と並べられています。秋田犬(1967年、写真35)と宍道湖四つ手網漁(1953年頃、36)。小泉八雲から強い影響を受けていたバーナード・リーチ、出雲に民藝の精神を感じていたらしい。

バーナード・リーチの墨絵と山本教行の大鉢のコラボ、扁壺図と黄釉スリップウェア大鉢(37)、一本松と瑠璃釉押文大鉢(38)。

井戸の絵かと思った土造りの図(39)。濱田庄司がバーナード・リーチの仕事場兼宿泊場所として、近隣の農家から移築した長屋門の図(40)、益子町に現存しています。

李朝秋草文瓶図(41)は高麗白磁を描いた墨絵、今日の展示で一番気に入りました。

山本教行作・地釉茶碗(42)、塩釉打刷毛茶碗(43)、赤絵茶碗(44)。赤絵茶碗は濱田庄司の組重⑫と同じ色使いです。

ショーケースを真横から撮ってみました。

家図盒子と濱田庄司の組重⑫と同じ形刷毛目陶重筥(48)、灰釉象嵌扁壺と灰釉象嵌重筥(49)。

赤絵角瓶と赤絵角盒子(50)。濱田庄司風の文様に古代を感じさせます。

塩釉鉄呉須掛分六角盒子と塩釉瑠璃手付鉢(52)。錫製蓋付黄釉ビアマグ(53)。

棟方志功とメダカ

休憩所を兼ねた回廊を抜けた第三展示室は山本教行西洋工芸コレクションの続きで、色別にまとめられたガラス器の展示。

第三展示室と吹き抜けになった第四展示室に棟方志功・大世界の柵「乾」ー神々より人類へ(57)。

下に降りたところから「乾」(58)、1970年万博のために制作された作品で、倉敷国際ホテルのロビーに残される、大世界の柵「坤」―人類より神々へ―という作品と対になっているらしい。右端に描かれた顔は太陽の塔そっくり。

よく聞く乾坤とは古代中国周代頃の易経を起源とする思想で、宇宙の根本を意味し、乾は天、太陽、男、強さ、坤は地、月、女、柔軟さ。を表すらしい。乾坤一擲で「運を天に任せて、のるかそるかの大勝負をすること」となるそうです。

第四展示室の隅に民芸家具に囲まれたビデオルーム、展示室を出るとショップ。そのテーブルにシャガの一輪挿し(60)。

ショップにも山本教行作品、結構なお値段が付いてます。

中庭に出るとメダカの鉢、これも「用の美」といえそう。木の根っこに置かれれた焼物、家形のものは沖縄の厨子甕らしい、人面カエルのようなものは詳細不明。

民藝とは何か

大阪民芸館を訪ねる一方、民藝運動創始者・柳宗悦の民芸とは何かを読了、最初の方は内容が具体的で面白く読み進みました。本来は「下手(げて)」の美のはずの茶室も様変わり、現今の京都鷹ヶ峰には新立ちの茶室ばかりが並び地下の本阿弥光悦は嘆息しているだろうとか、土地の香りや自然の健康な味わいが本筋のはずの茶懐石では、南禅寺瓢亭など料理に正格はなく、富者の客を待つばかり…、といった具体的事象に対する批判はとても興味深いです。瓢亭のウェブサイトを見るとランチの懐石で3万円以上、漆塗りに金箔の御膳にのっているのは半分に切ったままのゆで卵、名物らしいのですが、なんぼ何でももう少し工夫があるやろと思った次第。無鄰菴の隣で繁盛されているところを通りかかったことを思い出しました。

ところが読み進むにつれ、用の美、無名の美について、視点を少し変えて同じ内容の繰り返されるばかりでちょっと辟易、Kindleのマーカーも殆ど付けられていません。

飾り気がなく廉価な用の美を称えつつ、大量生産の工業製品を粗悪濫造品と決めつけています。工業化合理化により低価格が実現するはずなのに、手作りの器でないと美しくないということのようです。機械化は用のためではなく利のためとか、商業主義の元に正しい民芸品はあり得ないとか、全般的に工業化や資本主義、競争原理に否定的です。最後はギルドなどの協団の重要性を訴え、いささか共産主義礼賛の趣で締めくくられており、ちょっと引いてしまいました。

ただ自分も全て否定的に捉えているものではなく、「用のために作らずは美しくはならない」とはつまり機能美であり、これについては自分も全面的に賛成です。例えばJR九州などで多数採用されている、経年劣化しやすい木質インテリアとか、九州を走っているのに「KYUSHU」と大書されていたり、車両番号をわざわざ一文字ずつ囲って判読しにくくなっていたり、飾りだけのフロントグリルが取り付けられていたりの水戸岡デザインの車両は自分には醜悪にしかみえません。その逆を行くのが今も残され子どもたちにも大人気の蒸気機関車です。

8年も経ってしまったC56によるSLびわこ号ラストランの日のC56の機能美の美しさとこどもたちのありがとうの声は忘れられません。C56を可愛く見せるスラントした炭水車も、見た目のためでなく、ターンテーブルのない路線でバック運転する時に視界を確保するための機能美ですが、こどもたちのありがとうで「用の美」に転じていると感じます。この動画のC56のナンダサカコンナサカ音や柿の実とのコントラストも「用の美」かも。珍しく三脚を立ててカメラを動かさず撮ったのが正解でした。

民芸館は大原孫三郎の支援も大きかったらしく、大原美術館にも工芸館として民藝作品が多数展示されているそうです。印象派などはまず名前が前にでてきて無名の美とは全く逆ですが、大原美術館の民藝に対するスタンスもよくわかりません。上掲のように棟方志功の壁画が1970年万博のまま掲げられており、棟方志功も民藝作家のひとりと捉えられているようですが、あまりにもビッグネームです。

今日の展示でも西洋工芸ではひとりとして作者の名前は出てこないものの、手の技の展示はバーナード・リーチと山本教行の名前が前面に出され、ショップでは山本氏の作品だけでなく、作者毎にコーナー分けされていてとても「無名の美」ではなく、それに決して廉価ではありません。ChatGPTにも訊いてみたのですが、民藝運動は理念としては反市場、実践としては市場依存、大原美術館も無名の民藝、個人主義の西洋美術の両方が必要というシンプルな立場にいるだけ、理念としての民藝には今も強く共感され大切にされるべきものであるものの、現実の民藝は、自ら否定的な市場経済の中に取り込まれてしまっている、ということのようです。それを指弾して無名性や廉価にこだわると民藝の理念が立ち行かなくなりそうで、矛盾を全て解決する必要はないのかも知れません。

自分が好きな言葉にクラフトマンシップがあります。東大阪の町工場の技術力とか下町ロケットのことで、そこには名を売るという発想はあまりなく、良いもの、役に立つもの、美しいものを世に送り出そうという意思の下、自ら研鑽し工夫が重ねられています。民藝とはクラフトマンシップのことではないか、美は狙って生まれるのではなく、「用」に従って生み出される、と整理すると民藝運動は正しいと感じられます。名前や価格はそれを人々が受容し評価したからで、それをあえて否定することは無い、と理解しておきます。

日本庭園

大阪民芸館前、平和のバラ園の藤棚です。たわわに咲いた藤の花にクマバチも集まって来ています。

太陽の塔の背中と藤。昨年重要文化財に指定された太陽の塔、最も新しい(完成から年月の経っていない)重要文化財らしい。

日本庭園前にやってきたミャクミャクは大人気で人だかり。太陽の塔とミャクミャクが並び、間にイサム・ノグチ「月の世界」と営業休止中のオオサカホイール。久しぶりにこの歌を聞きたくなりました。

日本庭園はところどころに見事なツバキ。松の洲浜の畔にも藤棚。

竹林のタケノコとシャガ。枝ぶりが見事なドウダンツツジ。

日本庭園西端の深山の泉前のベンチに腰を下ろすとコバルトブルーの光。僅かな時間岩の上に止まってくれたもののすぐに飛んでしまいました。ピンボケしか撮れなかったのをChatGPTに補正してもらった一枚です。

赤い小さな花はモミジの花。

心字池対岸のつつじヶ丘が見事。

ホバリングしながらツツジの蜜を吸っているのはビロウドツリアブ、脚にいっぱい花粉が付いてます。

日本庭園東端の出口は回転ドアから変哲のないドアに変えられてしまっていました。

帰り道のJR茨木駅でごぼう天そば。練り物のごぼ天じゃなくシャキシャキのごぼう天が3本。名店でも何でもなく、JR西日本グループの「麺家」チェーンです。自分は南禅寺の茶懐石よりこれがいい。「用の美」です。

梅田でたまに立ち寄るビアパブに入りました。お気に入りのヒューガルデンとパイピザを頼んだのですが、なぜかごぼう天そばの方がずっと満足度が高く感じられました。