兵庫県立美術館

兵庫県立美術館コレクション展の出品リストに佐伯祐三の名前を見つけ神戸へ。阪神なんば線じゃなくて梅田経由で。

阪神新型と復刻

阪神スナックパークでやみつきナポリタンのランチ、阪神梅田駅改札前の元祖ミックスジュースで口直しして出発。

橋梁のトラスにピントが合ってしまいましたが、淀川橋梁から海老江干潟。淀川駅から歩いてすぐだったものが、阪神高速の工事で行けなくなって久しいです。淀川駅から行けなくなっただけでなく海老江干潟自体が閉鎖されてしまっているとAIが教えてくれました。さんざん通った海老江干潟、そろそろシギチの秋の渡りが始まっているはずですが、解放されるまでまだまだかかりそうです。見慣れた干潟の景色に変わりはなさそうで、自分が行けなくても、干潟自体が保全されていればOKとしましょう。

尼崎の車庫に阪神新型の3000系。まだ第1編成が登場したばかりで運行開始は来春らしい。新車登場をアピールすべく目立つ場所に停められているようです。帰路に撮った正面顔、大阪メトロ中央線400系を横に伸ばしたような変な顔です。

甲子園でドドッと下車。一昨日、昨日とえげつない負け方をしていたそのリベンジに向うのかと思いきや、高校野球と気づいたのは帰ってから。

御影で各停に乗り換え。復刻塗装への変更がどんどん進んでいる8000系、昭和に戻ったような景色です。

岩屋駅で下車、10分ほど歩いて美術館屋上に帽子を被ったカエルが見えてきました。

北入口から入館、何と第2日曜日でコレクション展は無料になってました。

小磯良平記念室

2階に上がり、コレクション展の小磯良平記念室に入ります。展示品番号#1は琺瑯水差のある静物(大正12年頃)、セザンヌの梨のある静物を見て以来、静物画の面白さが少し理解できた気がしていいます。

婦人像(大正13年)、前回の着物婦人像同様の地味な女性像に惹かれます。

T嬢の像(大正15年)は前回、芦屋あたりのお屋敷のお嬢様ではないか、でも冷たい感じはなくて優しそうな人、と書いていますが、AIで詳しい情報が得られました。神戸北野に暮らしていた落合敏子さんという小磯の又従姉妹で、日本基督教団神戸教会のオルガニストを務める熱心なクリスチャン。描かれた場所は山本通にあった小磯家の応接間。小磯は敏子さんとの結婚を強く望むも義母に許されず叶わなかったらしい。制作中、小磯はドヴォルザーク新世界よりのレコードをかけ、「この曲をかけると敏ちゃんの顔が綺麗になる」と語っていたそうです。

額縁にガラスがはめられていない敏子さんのお顔をクローズアップ、壁に掛けられた青い皿が気になります。アルプスの民族衣装ディアンドルを着た女性が描かれ、よく見えるとBERNとあります。

昭和3年フランスへ留学、敏子さんとの結婚が実らなかった傷心旅行だったと伝わります、風景其ノ三はブルターニュのベル=イル=アン=メールのソゾン港を描いたもので間違いなさそうです。昭和5年までフランスに滞在、ルーブルでヴェロネーゼのカナの婚礼に衝撃を受け、小磯の生涯のテーマとなる群像表現の原点となっています。

中禅寺湖(昭和10年頃)では写実的な描写から抽象的なアプローチやモダンな感覚への変化が落とし込まれています。

洋裁する女達(昭和14年)は、アングルから学んだ「崩れない完璧な形と気品」と、ドガから学んだ「近代都市に生きる人々の自然な一瞬を切り取る構図」が再現された作品とのこと。

肖像(昭和15年)、モデルは日本人ぽくない感じですが、武田薬品工業社長・五代目武田長兵衛令嬢らしい。

斉唱(昭和16年)は上掲の洋裁する女達と並び、小磯の戦前における最高傑作・代表作のひとつ。前回のブログでさらに詳しく説明しているので参照してください。他の作品と異なりなぜか額縁にガラスが嵌められていて照明が映り込んでいます。

絵を描く男(昭和27年)、絵を描く裸の男性もモデルさんです。ここでは昭和16年の作品から昭和27年までジャンプしてしまっていますが、この間、昭和20年の神戸大空襲でアトリエと多くの作品を失っているものの絵筆を取り続け、昭和24年には東灘区住吉に新しいアトリエが構えられています。

働く人と家族(昭和30年)、歩む男達(昭和30年)、戦後日本の復興期で「働く人びと」というテーマに深く取り組んだ小磯。ヴェロネーゼに学んだ群像表現の集大成です。

彩色された素描が2点、室内(昭和33年)とアトリエにて(昭和35年)。

窓の静物(昭和38年頃)、昭和20年代以前と較べ、すっかり画風がモダンに変化しています。ピカソやブラックなどのキュビズムやモダンアートを小磯流に消化しきったことを示す作品。

時代は少し遡り、は昭和26年の緞帳下図、どの劇場に依頼されたものかは記録が残っていないらしい。

小磯良平記念室で中央に置かれたソファに腰掛けて写真を撮ったところです。何より大半の作品には額縁にガラスが嵌められておらず、小磯の筆遣いがリアルに鑑賞できます。絵の間隔もかなり絶妙、とても美しく居心地のいい展示室です。

年代順に小磯作品をじっくり鑑賞、今日見た限りでは、写実的も画家やモデルの思いが伝わってくる大正から昭和初期の若い頃の作品が好きです。遠からず六甲アイランドにある小磯記念美術館を訪ねてみたいと思います。

金山平蔵他

小磯良平記念室の隣は金山平蔵記念室。金山は元町通生まれで小磯より20歳年上、同じく東京美術学校西洋画科卒業、やはり明治45年から3年間ヨーロッパを旅しています。渓流(昭和34年)はおそらく奥入瀬渓谷、雪と老婆(昭和20-31年)は生活と写生旅行の拠点を置いていた山形県大石田。おばさま方と記念写真を撮った尾小屋鉄道を思い出します。

2階展示室の奥へ入ると、金山平三 秋の庭(明治42年)と岡田三郎助 (明治41年)、どうも同じモデルさん、それに同じ場所で描かれたように見えます。顔つきだけでなく、帯締めの結び方まで同じ、場所はともかくも、名前まで特定できなかったもののモデルさんは同じで間違いなさそうです。

重要文化財南風で知られる和田三造 朝鮮総督府壁画画稿(大正15年頃)は朝鮮総督府庁舎の壁画のために描かれた下絵、壁画は現存し、韓国国立中央博物館に保管されているらしい。描かれているのは、金剛山(クムガンサン)を舞台にした天の羽衣伝説。

新収蔵品とある3点、寺内萬治郎 読書(昭和12年)、牧野虎雄 山麓秋(昭和11年)、須田国太郎 (昭和16年頃)。

小出楢重 春に向う風景(大正10年)、小出は大阪島之内の生まれ、市岡中学を経て、東京美術学校日本画科で下村観山の指導を受けるも西洋画に転向。厚塗りの筆致がゴッホを彷彿とさせます。

小出楢重 喇叭のある静物(大正13年)、8つもバルブのあるトランペットかと思いきや、おもちゃのラッパらしい。

小出も大正10年から11年にかけパリに滞在しています。その時のスケッチ。海のスケッチには"le 16 Mars 1922 à Colombo n.Koidé"、1922年3月16日スリランカのコロンボにて。

梅原龍三郎 古赤絵鉢(柿・リンゴ、昭和19年)、描かれた鉢は景徳鎮っぽいです。梅原龍三郎は相当な美術コレクターでもあったそうで、師のルノワール、ピカソ、ルオーらの名品から、ヨーロッパ古代彫刻やコプト織、中国や日本の古美術、浮世絵や大津絵、浦上玉堂や富岡鉄斎の文人画まで広範に及び、東京国立博物館や大原美術館などに寄贈されています。

林重義 潮岬(風景、昭和8年)、10年もまえ、潮岬東側の紀伊浦神で撮り鉄した場所の景色にそっくり。

展示室の一番奥に佐伯祐三が2点、タラスコンの遺跡(大正14年)は南仏タラスコンの隣町、Saint-Étienne-du-Grèsにあるサン=ガブリエル礼拝堂を描いたものと思われ。12世紀のロマネスク建築も祐三が訪ねた頃も既に現役の教会としては使われていない半ば忘れられた遺跡のような建物だったらしい。

神戸風景(昭和2年)はフランスから一時帰国していた頃の作品。普通誰が描いても美しく描かれる神戸も町がゴミゴミとしていて美しく描かれていません。どうやらパリに早く戻りたいという激しい焦燥感が込められたものらしい。

パリの町並みを描いた作品を期待していたのですが、祐三の意外な一面を見た思いのする2点です。

潮岬を挟んで祐三の2点が展示された展示室の一番奥です。

何かまだ見落としているのがありそうな気がしたのですが、出てきてしまいました。3階の展示をごっそり見逃してしまったと気づいたのは帰宅後、岡本太郎やヘンリー・ムーアなどの作品を見損なってしまったと悔しい思いをしたのですが、作品リストをよく見ると「屋上防水工事のため、3階展示室は7月15日をもって臨時閉室」とありました。

美術館の裏手に立つヤノベケンジ サンシスターなぎさ、指に当たったスカートから反射した光もヤノベ氏の計算かも。

Ando Gallery

前回は周りを見ただけだったAndo Galleryの展示室に入ってみました。安藤作品のジオラマがいっぱい。

長いジオラマはここ県立美術館となぎさ公園。右手前に同じ形のビルが3棟並ぶのが県立美術館、2棟並んだ方が常設展示室と企画展示室のある第1展示棟、その左側の階段の下がサンシスターなぎさちゃんの立ち位置。右下隅はギャラリー棟で攻殻機動隊展を開催中、第1展示棟とギャラリー棟に挟まれた小ぶりの建物が現在地のAndo Galleryです。パネルと並べられたジオラマは六甲の集合住宅

安藤設計住宅の紹介パネルの1975年の項に住吉の長屋、住吉大社南側の現地を訪ねたことがあります。もちろん外から見ただけですが、テレビでも紹介されていたはず。

そしてその住吉の長屋の模型、中庭部分に屋根がなく、トイレへ行くにも傘が必要であまり住心地は良くないと聞いたことがあります。

茨木市の光の教会の模型、コンクリートの直方体に十字架が切れ込みで表されている超シンプルな建物です。

上のフロアに上がると、安藤氏のアトリエをイメージした空間で置かれているジオラマはアートの島となっている瀬戸内海の直島、手前はホテルのベネッセハウス オーバル、丘の上はベネッセハウス ミュージアム、Google Mapだとこの位置です。奥の本棚の本は来館者が自由に手に取って閲覧できるらしいのですが、上の方の本はどうやって取るのでしょう。

パリ、レ・アールの旧商品取引所、ブルス・ドゥ・コメルスの外側と内側が確認できるハーフカットの模型。現在は現代アート美術館で、18世紀の建物の中に安藤が設計したコンクリートの円筒形の壁が設置され現代アートを展示するための空間が生み出されています。

こちらはヴェネチアのプンタ・デラ・ドガーナ、上掲のブルス・ドゥ・コメルス同様にフランスの富豪フランソワ・ピノー氏の現代アートコレクションを展示する美術館。どちらも模型自体がとても美しい。

もちろん兵庫県立美術館自体が安藤忠雄作品。他に自分の訪ねた施設では、近つ飛鳥博物館狭山池博物館も安藤作品。

屋上にのっているカエルが暑さにのびています。「美かえる」という名前があると分かりました。「ミカエル」と読むはずです。あのラバーダックの作者、オランダ人アーティストのフロレンティン・ホフマン作品。

灘駅はどっちですかと電動車いすのおばあさんに道を尋ねられ、岩屋駅までご一緒しました。西神から地下鉄で美術館にやってきたらしい。国道2号線からの坂道を上れるのか心配したら、すごいトルクでスイスイでビックリ。

三宮に出てタルショウのお母さんに挨拶してプファー。長田本庄軒でぼっかけやきそばに並びかけたものの、気が変わってセンタープラザで見つけたカレーにしました。SAVOYというお店でカレーマニアには知られた有名店らしい。カウンターだけの狭いお店で、お食事中の人たちの席の後ろにへこんだはずのお腹をぶつけながら一番奥の席に着きました。サフランライスに独特な風味のスパイスが効いたカレー、気に入りました。