ラバーダックと難波宮

35℃を超えそうですが、4ヶ月ぶりに登城。

神社裏で逆光のサンコウチョウ。この時期♂も尾羽が短いので雌雄は不明です。本丸広場はガラガラ。

ひょうたん池まで足を伸ばしてみたもののハスの花もグターっとしてました。

大阪城北詰駅3番出口脇にオシャレな建物が出現。リニューアル工事中の藤田美術館で、開館は2022年4月だそうです。

ラバーダック

今日のバードウォッチングは八軒家浜のラバーダック。

8月31日まで八軒家浜にいるそうです。

丸いゴムボートもSUP(スタンドアップパドル)の一種で、30分2000円ほどで楽しめるようです。天満橋を渡り南天満公園から正面を撮ってみました。

2009年から2015年まで毎年中之島周辺へやってきて、2016年は狭山池、今回は4年ぶりということのようです。2011年に中之島のバラ園付近で撮ってます。

2014年12月のラバーダックが見つかりました。空気を抜かれて水面に黄色い平面だけが浮かんでいるのを見た記憶もあるのですが、写真は見つかりませんでした。

八軒家浜はかつての渡辺津、白村江の戦いに向かう軍団や、遣隋使、遣唐使が旅立ち、帰って来た場所です。ラバーダックやSUPじゃなくて帆を下ろした古代船が水上にひしめき、別れを惜しむ人や、再会を喜ぶ人たちが、岸を埋め尽くしていたはずです。

難波宮

古代史の学びを確認すべく大阪歴史博物館へ。

何度も来たことのある大阪歴史博物館ですが、以前はサラッと見るだけだった10階古代史フロアをじっくり見ていきます。窓の外に難波宮跡が広がっています。

前期難波宮(難波長柄豊碕宮)のジオラマです。手前が朱雀門、回廊に囲まれた朝堂院の奥が大極殿、平城宮とほぼ同じ構成で、朝堂院の中に立っている小さなフィギュアと、実際に平城宮に立った時の記憶からスケール感を実感できます。

実際の大極殿跡が目の前にあり、中央大通を越えて、バス駐車場辺りから大阪城南外堀辺りまでが内裏になっていたとわかります。

飛鳥・奈良時代の畿内のパネル。飛鳥板蓋宮→前期難波宮→飛鳥川原宮→後飛鳥岡本宮→朝倉橘広庭宮(白村江の戦いの時の九州の仮宮)→近江宮→飛鳥浄御原宮→藤原京→平城京→恭仁京→紫香楽宮→後期難波宮→長岡京→平安京と遷都を繰り返しています。広大な宮殿を作ったり壊したり、役所などの首都機能をその都度、民への賦役で移転していた訳です。

縄文時代と比べると河内湖はかなり小さくなったものの、依然今の城東区から四條畷市辺りまでに広がっていて、大和川も流れ込んで淀川と合流しています。巨椋池の存在も際立っていて、木津川も今よりずっと大河です。弥生時代後期までは、平城京の南、王寺から郡山付近には大和湖が広がっていたはずです。

もう1枚は空から見た難波宮。日本初の条坊制の都市で、自分ちが碁盤目のほぼ中央に位置していてビックリする一方、条坊制の碁盤目はほぼ上町台地そのもので、西は海、東は河内湖や湿地帯で、平城京のような広々とした都じゃなくて、宮殿以外はまだまだ整地されておらず起伏の激しい岬のような場所に立つ都市だったとイメージできます。

素焼きの土器ばかりの中で奈良三彩の小壺が輝いていました。奈良三彩は日本最古の施釉陶器だそうです。

見覚えのある場所の写真は細工谷遺跡、とんかつたわら付近です。谷町筋の生玉前交差点から生野区猪飼野まで不自然に広い道路が伸びていて、ちょっと前までは遺跡発掘現場だったと分かります。百済尼寺の存在を示す土器や瓦、日本最古の鋳造通過の富本銭や、和同開珎の枝銭が出土しています。枝銭とは左のパネルにあるように、プラモデルでいえばランナーのままの貨幣です。今は大川沿いにある造幣局が古代には細工谷にあったということかも知れません。

労働に対する賃金としての役割もあったらしく、当時の政権が民を酷使するだけでなく、経済というものも営み始めていたことが分かります。

10階から9階へ、古代から中世にジャンプ。大阪歴史博物館は難波宮の後から豊臣期の前迄の展示がかなり寂しいのですが、摂河泉の中世都市というパネルがありました。室町末期戦国時代を表しているようです。河内湖はまだ残っているもののずいぶん小さくなってしまっています。

泉州では堺の他には貝塚と佐野があり、岸和田が抜けています。貝塚は行基が開基した願泉寺の寺内町として、佐野は大規模な船団も有する港津集落だったらしく、江戸時代には、飯野家や唐金家といった豪商を輩出しています。我が母校佐野高校のある泉佐野市市場には室町時代から定期市が立っていたとわかりビックリ(参考)。

貝塚や佐野に対して岸和田はあくまで城下町として発展してきたようですが、8階に下りると特集展示室で「久米田寺文書の世界」が紹介されていました。聖武天皇に命じられて行基が開削した久米田池を管理していたのが久米田寺です。鎌倉時代から室町時代の古文書が展示されていて、当時の漢字も今の漢字もだいたい同じだったんだ、と分かっただけですが、室町時代以前の岸和田は旧市より久米田の方が賑やかだったのかも知れません。

近世から現代までの展示は今日は素通り。

大阪歴史博物館10階からの眺めで目立っていた帽子のような八角殿、前期難波宮にだけに見られる建物だそうです。中を覗いてみると、鉄骨に蔦がびっしり絡まり、日を遮る場所がほとんど無い難波宮跡でオアシスのような場所になっていました。

明日香まで出かけなくても古代史が体感できる大阪です。