ふたつの博物館

関西文化の日の無料博物館めぐりの続きです。

大阪くらしの今昔館

天六へはちょくちょく来るもののくらしの今昔館はたぶん8年ぶりです。

10階から9階の江戸時代の大坂の街並みの眺め、ジオラマに置かれたフィギュアのように見えるのは来館者です。ナレーションは今も米朝師匠のまま。

復元された商家の座敷、江戸時代はしごく清潔だったんだと気づきます。

前栽に面した雪隠、8年前は中が見れたのに戸が開きませんでした。実際に用を足したバカがいたのかも知れません。手水鉢もなくなっていて手ぬぐいが架けられています。

へっついさんが鎮座する四畳半一間の長屋、青菜のラストシーンの植木屋の嬶のお咲さんが押入から大汗かいて出てきそうです。

商家の二階へ続く箪笥の段梯子、こっちは七段目の丁稚の定吉が落ちてきそうです。

薬屋の帳場で算盤を弾いているのは、たまたま座っていた来館者の人ですが、和装じゃなくてもソフト帽のせいでめちゃ様になってます。

町家の一軒で着物のレンタルをやっていて、和装の女性が多数歩いています。インドネシアからと思われるちょっと着ぶくれのおふたりも。インバウンドさんたちが日本の文化を直に体験できるとてもいい企画です。

8階近代大阪のフロアの大阪市パノラマ地圖、これについては先般詳しく書きました。大大阪時代の堺筋のジオラマは遠くがボケていい感じに撮れました。

八千草薫さんのナレーションによる悦子さんの物語、生まれ育った空堀の散髪屋から引越してきた城北バス住宅、たぶん城北公園辺りと思われる終戦後の仮設住宅の光景です。ピンクのスカートを履いているのが悦子さんで、カンカン帽の彼氏が家族へ挨拶にやってきたところです。

ちなみに空堀は空襲にあっていないのですが、疎開している間のどさくさで悦子さん一家は家を失ってしまったそうです。

昭和34年悦子さん一家は抽選に当たって古市中団地に引っ越しました。関目と鶴見緑地の中間辺りで今も市営住宅が広がっています。ダイニングキッチンに集う悦子さん姉妹、叔母の住んでいた千里ニュータウンを思い出します。

八千草薫さんの優しい声がとても素敵です。昭和6年大阪生まれということは母と同い年です。プール女学院から宝塚音楽学校を経て女優に。岸辺のアルバムの時が46歳、87歳の今もバリバリの現役です。岸辺のアルバムのオープニング動画が見つかりました。昭和49年多摩川水害のショッキングなシーンとジャニス・イアンのWill you danceの優しいメロディの奇妙なミスマッチが今も鮮烈です。

大阪歴史博物館

こちらはもう5回目くらいです。8年前の5月のブログがあるもののそれ以降にも歴史セミナーとかで訪ねています。

10階からのいつもと違う大阪城の眺めは新鮮です。10階建てですが、1フロアがかなり高いので20階くらいの高さです。

桜並木は真っ赤、城南のバス駐車場は相変わらず満車。

曇ってはいるものの二上山の向こうに大峰山系もくっきり見えます。

10階の古代難波宮の紹介から、9階に下りるといきなり豊臣徳川時代になってしまい、中世、鎌倉時代や室町時代のことは殆どすっ飛ばされているのですが、大坂城ができる前の大坂を北側から俯瞰したイラストマップがありました。東西同じ幅で上町台地がまっすぐ南へ続いている構図は納得できないものの、大坂が京都や奈良と異なりまだ普通に田舎だったことが分かります。この頃は大坂より堺の方が都会だったはずです。

江戸時代の紹介は詳しいです。船場辺りのジオラマの作り込みはハンパなく、瓦一枚一枚が別パーツのようです。樹木もかなり丁寧な仕上げです。

四天王寺さんののぞきからくりはインバウンドさんたちにも人気。

江戸時代初期の大坂、道頓堀が完成したのは元和元年(1615年)なので、それ以前の様子を示すものです。空堀から四天王寺へ向かって平野町とあります。自分ちの現住所、東平はこれに由来するようです。

もう1枚は江戸時代中期以降の大坂と思われる公儀橋と町橋のマップです。僅か百年ほどの間に大坂の町が開発され発展したことが分かります。

昭和初期、大大坂時代の京橋周辺です。淀川貨物線のマップはほぼ正確に描けていたようです。

当時の郊外住宅の1/1スケールジオラマ、何度見ても阿倍野区丸山通にあった母の実家そっくりです。8年前に母が、これ姉ちゃんやといった女の子が仕事から帰宅した父親を出迎え、母親は玄関脇の洋間で炭をおこしています。ソフト帽を被った父親には私の母方の祖父の面影があるものの、母方の祖母は自分が生まれる前に亡くなっているので、割烹着を着た母親のようだったかどうかは不明です。