淀川貨物線跡その2

淀川貨物線跡の新京橋商店街より東側がどうなっているか気になってランチがてらチャリを走らせます。

その前にちょこっと登城、神社裏でセンダイムシクイ、ムシクイの同定は難しいですが、頭央線も見えるのでセンダイムシクイで間違いないです。

新京橋商店街入口の真実の口は防災の忠告、「考え根ば起こ」の部分は誤字なのか、わざとなのか不明です。商店街東側の廃線跡の緑道を進みます。

緑道の脇にフヨウが大輪の花を咲かせています。よくみると金網の外から生えています。どうみても園芸ができるような場所ではなく、野生と分かります。

新京橋商店街から250mほどで桜小橋交差点、国道1号線に並行した小さな公園を抜け、京阪電車の高架下をくぐると緑道は左へ緩やかにカーブ。淀川貨物線は城東貨物線とデルタ線を形成していて、この同じ辺りから右へも廃線跡があるはずです。

緑道が途切れ淀川貨物線跡の築堤がそのまま残っていました。築堤の上にはバラストが敷き詰められたままです。

淀川貨物線跡と城東貨物線との合流地点から築堤を振り返ります。100mほど向こうを京阪特急。

淀川貨物線の南側のデルタ線と城東貨物線との合流地点です。こちらは緑道というより公園に近い感じで整備されていました。

漸くランチ、ふだんよりちょっと予算オーバーですが、この前見送った牛かつです。色んなソースで楽しめて美味しいのですが、お肉がちょっと硬かったのが残念。

帰りもやっぱり登城、内堀をチョウゲンボウが飛行中でした。

本丸南面石垣の出っ張った部分に暫し止まって内堀の草むらの獲物を物色。飛び立ったかと思ったら程なく戻ってきました。

本丸西面石垣のケーブルの留め具に止まってトカゲか何かのランチを平らげ、隠し曲輪の木の上に暫し止まって、西の丸へ去って行きました。

マップで廃線跡を確認

実地で見てきたことと、ググったり、文献をチェックして分かったことをマイマップにプロットしてみました。拡大縮小してみてください。赤いドットには現地で撮った写真を組み込んでいます。スマホの場合、マップ右上の四角をタップしてGoogle Mapアプリで表示した方が見やすいと思います。

  • 黒い点線:明治31年に関西鉄道が西のターミナルとして開設した網島駅へのルートです。放出で現片町線と合流し木津、亀山を経て名古屋まで結ばれていました。明治34年には桜ノ宮まで延長、明治40年に国有化、桜ノ宮線となったものの大正2年に廃止されています。
    100年以上も前に廃線になっているものの、大阪環状線と黒いドットが重なる位置を拡大すると小さな跨道橋があって、この下をくぐっていたようです。
    黒い点線の西側、網島駅、桜ノ宮駅へのルートの痕跡は見当たらないものの、網島駅は市立東高校の辺りで、その先はS字カーブを描き桜ノ宮へ達していたらしく、プロットは大体です。
  • 黄色い点線:黒い点線の桜ノ宮線の赤いドットのフヨウの花が咲いていた辺りから西側が、大正2年、城東線(現大阪環状線)桜ノ宮方面への接続に付け替えられた貨物線です。黄色い点線と大阪環状線が合流する地点が中野町信号所で、マップを拡大すると跨道橋や路盤が3線分あります。
  • 緑の点線:昭和2年に淀川駅(貨物駅)が開業、黄色い点線が新京橋商店街と交差する地点から中野町信号所への線路は撤去され、淀川駅へ向けて付け替えられています。
  • 青い点線:緑の点線と同時に開通した城東線京橋方面から淀川駅への貨物線です。
  • 紫の点線:昭和4年に開通、赤川鉄橋を渡り、吹田駅と淀川駅が結ばれました。現城東貨物線(来年からおおおさか東線になる区間)との分岐点が巽信号所で、デルタ線の東側、放出方面への開通は昭和6年、この時にデルタ線が完成したことになります。この時点では鴫野駅は未開業です。

商店街を駆け抜けるデゴイチ

昭和7年に淀川電車区が開設され、貨物列車だけでなく、ぶどう色の旧型国電も淀川貨物線を走るようになります。デルタ線の南側は国道1号線(京阪国道)を走る大阪市電と平面交差していたはずです。

京阪本線も開業時に桜小橋交差点の南側辺りに開設された蒲生駅が昭和7年にグランシャトー辺りに移転、昭和24年に京橋に改称、現在地に移転したのは昭和44年です。それまでは淀川貨物線と京阪国道をオーバークロスして地面を走り、城東線(大阪環状線)の下をくぐり、コムズガーデン(長堀鶴見緑地線京橋駅上)辺りから天満橋へとS字カーブを描いていたのはマップからも見て取れます。

淀川貨物駅が廃止されたのは昭和57年、淀川電車区が移転したのは昭和60年なので、大阪のベテラン鉄ちゃんの記憶に強く残る鉄道風景になっていたはずですが、全然知りませんでした。

昭和50年代の南海電車の岸里辺りの変化とかはよく覚えていて、本線と高野線の連絡線を行く凸型電機の貨物列車の様子とかいくらでも話せる自分ですが、城東地区は放出で家庭教師させてもらっていた時にオレンジ色の旧型国電で通った記憶くらいしかありません。淀川貨物線の存在すら知りませんでした。

色々ググっていたらすごいブログページを見つけました。このページのD51 497号機の写真は、新京橋商店街と交差する淀川貨物線の踏切から淀川駅方面を撮った昭和42年の写真、つまりこの写真とほぼ同じアングルです。ものすごい轟音響かせデゴイチが商店街を突き抜け、20両くらいのワムやトラ、レム、最後尾にはヨ5000の2軸貨車がカタンカタンと通り過ぎる光景が目に浮かびます。同じページのもくもくと煙を上げて走るD51は駐輪場の先の空地の辺りで間違いないかと。

さらに同じブログの別のページ、後ろ向きのハチロク78655が牽く貨物列車の写真、京阪電車の高架の真下でデルタ線が分岐していることが分かります。このブログ、鉄道だけじゃなく、野鳥やカニ、昆虫についていっぱい投稿されています。それも珍鳥よりもカワセミやイソヒヨ、はてはサワガニやヌートリアと、身近な生き物がテーマになっているのが分かります。ほぼ100%自分と同じ嗜好です。

デルタ線と大阪市電の平面交差を行くハチロクの写真も!スゴすぎです。「駅長」にこの踏切で警手さんがいたのを見たことがあると聞かせてもらったのですが、踏切の脇に警手小屋もバッチリ写ってます。

トップページを見るとブログオーナーは3年前に他界されています。撮られた写真は遥かに自分よりレベルが高く、また文章もとても分かりやすく楽しいです。お元気であればぜひお友達になって色々教えていただきたかったなと残念でなりません。

上述以外の参考サイト・参考文献:
桜ノ宮線の遺構淀川連絡線の痕跡京阪電車野田橋-蒲生間、鉄道ジャーナル2017年1月号

大阪環状線から淀川貨物線跡

9/22追記、環状線前面カブリツキでポイントをチェック。

京橋駅北側です。ガーター橋の下は国道1号、その手前に木の枕木が並んでいる所の下が高架化される前の京阪本線のはずです。

大和路快速に乗車、いささか汚れた窓から前面展望。ガーター橋の向こうに保線用の側線が広がっています。城東線から淀川駅への貨物線跡です。その手前にカーブした小さな跨道橋が確認できます。大正2年までこの下を桜ノ宮線が通っていたはずです。

側線に留置された保線用車両、PC枕木を持ち上げるためのクレーンが装備されています。この向こうは駐輪場です。

満員の大和路快速外回り電車、大阪環状線の最混雑区間で何とかカメラを取りだして、中野町信号所付近をパチリ。3線分の路盤が確認できました。

追記分の写真も上掲のマップに赤いドットでプロットしておきました。