淀川貨物線跡
ネットで見つけた京橋の洋食屋へ、その前にちょこっと登城。ふだんは城南駐車場から本丸へと続く外国人観光客の行列はなく、聞こえてくるのは殆ど日本語。明日から関空連絡橋の鉄道が復活するので、賑わいはすぐに戻るはず。
元射撃場の俯瞰してたらチラチラ見える鳥影、オオルリ♀のようです。
修道館の石段脇のなじみのある木が無残な姿に。ロードトレインは運行再開してました。雁木坂を上ってくるところ、意外と絵になってます。
梅林の月影の老木は、支柱に支えられ台風にもなんとか持ちこたえたようです。色気のない梅林にヒガンバナが鮮やかです。
大阪城ホールから城見を抜け京橋へ。駅近くに小奇麗な牛かつやさん、かなり惹かれたものの、チェーン店っぽいスタッフの制服を見て、やはり初志貫徹でネットで見つけた洋食屋さんに向かうことにします。
新京橋商店街にあるレストランかめやです。元自動ドアらしいドアを開けると8席ほどのカウンター席だけで満席、しばらく待つことにします。お店は親父さんとおばちゃんふたりで切り盛り、制服のチェーン店より、それだけで美味しそうに見えます。
5分ほど待っている間に、店頭のメニューをじっくり眺め決めたのがスペシャル、白身フライとエビフライ、ローストビーフのセットです。ローストビーフは10枚くらい載っていて味もボリュームも文句なし。エビフライはいささか小ぶりも味が濃く旨い。特筆すべきは白身フライで、中身の白身がとろっとろっ、タルタルソースじゃなくてからしマヨでいただきます。
新京橋商店街を京橋駅の方へ向かっていると廃線跡らしき緑道が両側に伸びています。淀川貨物線跡です。京橋駅付近には廃線跡が輻輳しているとは聞いていたものの京橋駅からすぐ近くでビックリ。
新京橋商店街のアーケードができたのが昭和41年なので、アーケードの中に踏切があったことになります。ググっていたら商店街の中をゴトゴト電車が走って、みんなが踏切の開くのを待っていたという記事が見つかりました。殆どは片町線のオレンジ色の旧型国電も、D51の牽く貨物列車もアーケードに轟音を響かせていたはずです。
西側の緑道へ入ってみます。大阪市場線跡と似た雰囲気があります。もう少し行くと駐車場の向こうに大阪環状線が見え、保線用車両が留置されています。環状線から側線が出ているようです。
淀川貨物線跡の緑道は駐輪場の中に入り込んで行き止まり、その先は柵で囲われた広い空地です。柵には「京橋グランド利用規約」が掲示されているものの、スポーツができるようには整備されていないようです。
この先、Google Mapで桜ノ宮駅北側にあった淀川駅(貨物駅)跡までの廃線跡のかなりの部分が緑道や駐車場、空地として残っているのが分かります。
淀川駅には淀川電車区が併設されていて、淀川駅の廃止が昭和57年、淀川電車区の放出移転が昭和60年なので、33年前まではここを103系とかが走っていたことになります。
駐輪場の西側、なぜか環状線の線路から20mほど離れた場所に橋台跡があります。大阪環状線から旧淀川電車区への入出庫線の跡です。保線用車両が留置されていた側線はその入出庫線の一部かと。
いい感じに線路がカーブしているので、もう少し北側から環状線の323系。ちょうど内回りの323系もやってきたのですが、悔しいかな、0.5秒くらいシャッター押すのが早かったです。
すぐ北側にレンガ積みの跨道橋、銘板とかは見つかりませんが、かなり古いもので、大阪鉄道が明治28年に玉造-梅田間を開業した当時のものかと思われます。
外回り内回りばビシッと並ぶシーンを狙ってしばし粘ってみたものの、再現しませんでした。
ひょうたん池も台風21号でかなりやられていました。倒れた木の葉は水に浸かるとあっという間に枯れてしまうようです。カワセミ君はみつからずコサギだけ。
お城に戻り山里曲輪から本丸へ上ります。観光客は普段の2割くらい、ジャグリングショーを自転車のまま楽しませてもらいました。
内堀のチョウゲンボウがカラスに追われていました。このままNHKの方に飛んでいってしまいこれだけ。