神戸の美術館博物館

楽しい阪神電車に乗って岩屋駅で下車。

地下へ入る途中にある岩屋駅。初めて下りる駅じゃなくて、この半地下駅の記憶があるのですが、よく思い出せません。

駅前はだだっ広い広場。ビルに挟まれた雲の中の山は摩耶山付近かと。

駅前からいきなり下り坂なのが神戸。国道2号線を越えて見えてきた屋上にシマシマカエルが兵庫県立美術館。

JICAとWHO

2軒隣のビルはJICA関西。先般「ホームタウン騒動」でミソを付けた外務省管轄の独立行政法人です。

JICAの食堂で万博のように色んな国のエスニック料理がリーズナブルに食べられると聞いてやってきた次第。

エスニックだけじゃなくて、カレーやうどんもありますが、「今日のエスニック料理」のモロッコ料理にしました。レモンチキンのタジン風、カリフラワーのフリット、レンズ豆の煮込み、サヤインゲンのサラダ、ライスにドリンク付で850円。でてきた学校給食みたいなオールインワンのプレートはライスばかりが目立ち見た目がしょぼく、レンズ豆の煮込みは美味しかったものの、メインのチキンは小さいし味も残念な感じ。

色んな国々の文化や物産を紹介する展示室があったものの、どーんとSDGsと掲げられていたのにドン引きして中に入らず。その理念は欠かせないものの、メガソーラーや風力発電など、そのマーケティング活動が利権の巣窟に成り果ててしまっています。

「ホームタウン騒動」でJICA解体という意見までありましたが、世界中に飢餓や貧困、伝染病などが蔓延していて、そこで奮闘している青年海外協力隊の若者たちの頑張りは支えられるべきであることに全く異論ありません。SDGsという干からびたキャッチではなく、JICAでしかできないような表現方法でその理念のキャンペーンをすべきかと。

JICAの隣はWHO神戸センター、あのテドロス事務局長率いる世界保健機関直轄の研究機関。兵庫県などの支援打ち切りで2026年3月末に閉鎖、WHO支援の分は学校の特別教室のクーラー設置に回されるらしい。斎藤知事がんばりました。

JICAやWHOの向こうは海というか水路。西側に広がる公園はなぎさ公園。少し青空が顔をのぞかせています。

兵庫県立美術館

県立美術館裏にひと目でそれと分かるヤノベケンジ作品。「サンシスター、なぎさ」だそうです。パンツも銀ピカ。

海側のエントランスから美術館に入ります。常設室の「ベスト・オブ・ベスト2025」へ。そのキービジュアルにもなっている篠原有司男「女の祭」です。

1階だけで広々とした展示室が5室。常設展示室2に岸田劉生の大正2年の自画像、まだ22歳くらいです。溺愛したひとり娘の麗子を書き続け、昭和4年に38歳で早逝。

常設展示室5はブロンズ彫刻、大好きなジャコメッティが。確かポンピドゥー美術館で見た矢内原伊作像に惹かれて以来です。この細さが何ともいい。

マイヨール「コウベのディナ」、ディナはモデルでマイヨールのミューズ(女神的存在)だったディナ・ヴィエルニ、マイヨール美術館を創設しその館長としてマイヨール芸術を継承(2009年まで長命)。コウベは神戸を意味するものの、マイヨールやディナが神戸に来た記録はなく、兵庫県立美術館に1943年に収蔵されたことに因むだけで、本作の原題は「地中海」らしい。

ロダン、マイヨールと並ぶ彫刻家、ブールデルの「風の中のベートーヴェン」、ベートーヴェンを苦悩と創造の象徴として、ベートーヴェン像を生涯にわたって40点以上制作。

ロダン「オルフェウス」、絶望に打ち震え竪琴を鳴らすオルフェウス。

常設展示室5のほぼ全体です。手前がオルフェウス、左にベートヴェン、右奥に細さが際だつジャコメッティ。

中谷ミチコ「影、魚をねかしつける」はとても不思議な彫刻。人物の輪郭は凹で、目鼻や指などのパーツは凸。

2階の小磯良平記念室へ。神戸の人である小磯、その18歳くらいの「自画像」です。

小磯の代表作「斉唱」、テレビの日曜美術館か美の巨人で見た記憶があります。欧米人の顔つきですが、制服で神戸松蔭の女学生と分かります。今も変わらない制服です。「斉唱」というタイトルですが、皆バラバラの方を向いていてとても君が代を歌っている様子ではありません。神戸松蔭はミッションスクールで、小磯自身クリスチャンですが讃美歌を歌うことを斉唱とは言いません。それに何故か皆同じ顔で、裸足なのも気になります。戦時中の作品で、小磯は従軍画家として戦意高揚のための作品を描いたことを後悔していたらしく、この作品は、同じような顔をさせられつつも、心はひとつじゃないということをを伝えたかったのではないか。

こちらも代表作とされる「T嬢の像」、芦屋あたりのお屋敷のお嬢様ではないかと。でも冷たい感じはなくて優しそうな人です。

隣に「T嬢」とは何もかも対照的な「着物婦人像」、幸せいっぱいで何もかも恵まれていそうな浴衣姿のT嬢に対して、幸せが薄そうな、どてら(綿入れ、丹前)の「着物婦人」。どうしても気になって何回も前に立ってiPhoneのシャッターボタンを押しました。

丸投三代吉「潮風」、思わず長谷川義史?と見入ってしまいました。伊根の舟屋のような海辺に漁船がびっしり、海もタイやフグ、イカなど色んな魚がびっしりで海面がほとんど見えません。その隣では、イカの天日干し。百人くらい描かれた人たちの表情も豊かです。石垣がひとつずつ丁寧に描き分けられているのを見て、小学校2年の時、瓦の色を描き分けた自分の絵が何か賞をもらったことを思い出しました。

東山魁夷「山国の秋」、どこかで見たような山容。信州らしいのですが、関ヶ原の伊吹山に見えなくもないです。ど真ん中に柿の木が素敵です。

岩屋駅へ向かう出口を訊ね、教えたもらった方へ向かうとガラス戸の向こうにAndo Gallery、安藤忠雄ギャラリーです。外へ出ると美術館の女性が駆けてきて、お客様、駅はそちらじゃないですよと。お役所っぽい美術館との印象だったのですが、駆けてきてまで教えてくれたことが嬉しく、印象がガラッと変わりました。

円形の階段が下へ続いていて、上から覗くと下がすぼんだ見事な螺旋形です。

「なぎさ」ちゃんの前でジャズライブが始まっていました。

水路の対岸は摩耶埋立地、阪神淡路大震災から2ヶ月くらい後、確かこの埋立地を訪ねています。勤め先のおもちゃチェーン店の物流センターがこの埋立地の神戸製鋼の中にあって、ロジスティクスの担当として被害状況を確認するためでした。東京から新幹線でやってきて、確か阪急で西宮北口まで行ってバスに乗り換え。バスから見えるどこまでもブルーシートの眺めは衝撃的でした。バスを下りて倒れた電柱を何本も乗り越えて物流センターにたどり着きました。商品の破損は大規模ではなかったもの、かなり長期間搬入搬出はできませんでした。

さらに上にあがると安藤忠雄「青リンゴ」、未熟で酸っぱくて未来への希望に満ち溢れた青リンゴで、常に挑戦し続けることの大切さを表したものとのこと。

屋外展示だけじゃなくて安藤忠雄建築の模型なども展示されている屋内展示もあると分かったのは帰ってからですが、また訪ねる機会はありそうです。さらに階段。

階段の上には青木野枝「風のデッキ」。球体が並んでいるだけかと思いきや、球体がブニュッとつながっています。

燃えるか溶ける素材で3つの球体作ってそれをプニュっとつなぎ、その上に鉄の円を隙間なく並べて溶接、中の素材を焼くか溶かすという工程と想像してみたのですが、合ってるかな。

中心部の円から海を覗いてみました。北側にも石段があるかと思いきや、階段はなくて南側の石段を下りてぐるっと回って北側へ。

シマシマカエルののった兵庫県立美術館です。

雲が切れて正面に見えるのはやはり摩耶山です。高い鉄塔が立っているのは掬星台、摩耶ロープウェー山上駅がある展望広場です。鉄塔はサンテレビの送信所、つまりあそこからの電波で延長戦でも試合終了までタイガースを応援できるわけです。

駅への途中にもBBプラザという美術館、貼られていたポスターにインパクトある風神雷神。BBプラザアトリウムで展示とあるので入ってみたものの、どこにあるのかわからず散々さがして見つけたものの、せっかくの作品が雑な展示でがっかり。ポスターを見直してみて、やはり魅力的な風神雷神、どちらも左右の目の色が違ってます。

岩屋駅に戻ってきました。2駅先の三宮へ。

神戸市立博物館

大ゴッホ展開催中の神戸市立博物館です。ひっきりなしに人が出入りしています。

チケットボックスに並ぶとシルバーは神戸市民のみ対象、大阪市立美術館のシルバーも大阪市民のみなのでいたしかたないです。順番が来てコレクション展のチケットを買おうとしたら、2階で買ってくれとのことで、カチンと来ました。

桜ヶ丘銅鐸・銅戈のコーナー、2月にも訊ねているのでザッと鑑賞。銅鐸が肥大化して音を鳴らすという本来の役割がなくなる前の小ぶりで美しい国宝銅鐸の数々です。

桜ヶ丘4号銅鐸です。右上はサギ、右下は鹿狩り、周りを囲む幾何学模様も美しい。縄文時代のダイナミックさとは対極的な繊細さですが、この繊細さが埴輪などに引き継がれなかったのがとても不思議。

銅鐸の展示室を出たところです。

隣は聖フランシスコ・ザビエル像、今日も複製展示。このザビエル像に関する山田五郎さんの解説がとても興味深い。キリシタン迫害のピークの頃にこの絵を誰が描いたか、茨城市のキリシタンの里で見つかった経緯、それを何とあの牧野富太郎のパトロンだった池長孟が購入、神戸の池長美術館で保管されていたのが、神戸市に寄贈され、現在はこの市立博物館にあるということが分かりました。さらに池長孟の三男がイエズス会士となって大阪大司教を務めたという不思議まで語られています。

古地図の展示はごっそり入れ替えられていました。江戸の浮世絵師・石川流宣の本朝図鑑綱目(貞享4年)。

その畿内部分をアップ、iPhone12Proでもくっきり撮れました。海岸線がかなりいい加減で、淡路島も四国も本来の形を成しておらず日本中がリアス式海岸です。岸和田は岡部内膳六万石とあるのは藩第2代藩主の岡部行隆。南側に小出大隅一万石、陶器藩という藩の藩主と分かりました。秀吉の側近・小出秀政の系統で、堺市中区陶物北(北野田駅の西1km)に陣屋があったらしい。現住所の読みもWikiPediaでも「とうき」となっていますが、ChatGPTは自信たっぷりに読みは「すえもの」と教えてくれました。元禄9年(1696年)に無嗣により陶器藩は断絶、幕府代官支配地になってます。

水戸の儒学者・長久保赤水「地球万国山海輿地全図(天明5年、1785年頃)」、マテオ・リッチの「坤輿万国全図」に依拠して作成され、「世界ハ丸キモノナルヲ人々其理ヲウタガフ故ニ…」と世界は丸いことを切々と説明しています。南半球はほぼ全体が「墨瓦蠟泥加(メガラニカ)」でオーストラリアと南極が一緒くたです。北海道からカムチャッカ半島まで千島列島がかなり詳しく描き込まれています。

林子平「三国通覧輿地路程全図(天明5年)」、国防の観点から朝鮮・琉球・蝦夷と小笠原諸島について論じるための地図らしい。北海道が南北に長く伸びていて国後・択捉がその東に位置しています。長く伸びた北海道の西に礼文島と利尻富士。樺太は島ではなく大陸から伸びた半島になっていて、「地球万国山海輿地全図」と同じ天明5年に作成されたものとは思えないくらいです。

問題は日本海に描かれた「竹嶋、朝鮮ノ持也」と記された朝鮮半島と同じ色の島、これは現在の竹島を指すものではなく、当時の鬱陵島の日本名で、それでもその隣の細長い島が現在の竹島であるというのが韓国側の主張らしい。現在の竹島は鬱陵島よりずっと小さな島で、細長くもなく無理があるかと。

江戸時代後期の「ならめい志よゑづ(奈良名所絵図)」はとても楽しい地図。中央に東大寺大仏殿、南大門の南側「とぶひのえ(飛火野)」に色んな姿の鹿たち、鹿の子柄や角までしっかり描き込まれています。大仏殿東側の「つりがねどう」を越えると「二月だう(二月堂)」、何故か登楼が宙に浮いてます。二月堂は「どう」ではなく「だう」なんでしょう。手向山八幡宮を抜けさらに南へ進むと「春日社」、灯籠が並んでいます。飛火野の北側には「ひむろ(氷室神社)」、この西側が現吉城園です。大仏殿北側に名前は書き込まれていないものの高床式の建物、正倉院ですね。

画面西側には全体が回廊に囲まれた興福寺の広い敷地、金堂、東金堂、北円堂、南円堂と並ぶものの五重塔がえらく小さく見えます。興福寺の南側に猿沢池、その間の坂道も今と同じ。猿沢池まで鹿たちがやってきています。全体に描かれた人の数は限られるものの、猿沢池周辺では杖をついた旅人、刀を差した武士、大きな背負子を背負っている商人、池で遊ぶ人らが見え、少ない人でも十分に賑わいが表現されています。その右手には今はほとんど暗渠になってしまった率川(いさかわ)に清流が流れています。

松や杉、それに桜らしきも描き分けられていて、いつものように奈良公園を歩いているような気分にさせてくれる江戸時代の絵図、宝永6年(1709年)の大仏殿落慶以後は、今も大きく変わっていいないと分かります。

金彩植物文脚付きガラス杯(19世紀、ボヘミアあるいはオランダ製)、ボヘミアといえばクイーンのボヘミアン・ラプソディ、6分間で交響曲4楽章聞いたような満足感があります。

手彫り薩摩切子紫色被せ足つきガラス杯(江戸時代後期、薩摩製、比重3.52)、薩摩切子は島津斉彬の時代に始められた薩摩藩によって製作された手彫りのガラス器で、色ガラスを厚く被せる、比重値が3.5±0.1、斜格子に魚子文、四菊・八菊文、六角・八角籠目文に魚子文、麻の葉文などの文様が施されている、などの特徴を持つなどの基準を満たしているものを言うらしい。

比重とはガラス成分の密度で、一般的なガラスは2.4〜2.5と比べかなり高い比重値で、これによりずっしり重く感じ、カット面の光の反射や屈折が美しく見えます。

手彫り薩摩切子青緑色被せガラス蓋物(江戸時代後期、薩摩製、比重蓋3.65、身3.67)は酸化銅で発色させた青緑色のガラスを被せた切子、宝石のように輝いています。

手彫り切子紫色被せガラスちろり(江戸時代後期〜明治時代前期、薩摩系、比重3.56、3.57)、薩摩系は薩摩切子の基準を満たしていないもので、長州萩で製作されたものや、明治後の東京や大阪で製作されたものが含まれるらしいものの、その判断はかなり難しいらしい。このちろりも十分な比重があり、十分に美しい。

以前もアップしている月岡芳年「平相国清盛(明治10年)」、清盛の勇ましい姿を描いたものとばかり思っていたのですが、熱病のために幻覚に苦しみ、眼前の海や空が紅蓮に燃え上がるように見えた場面だそうです。実物も当館蔵らしく見てみたい。

市立博物館ロビーの半分以上が大ゴッホ展グッズ売場になっていて大混雑、展示室以上に混んでいるようです。8月末まで大阪市立美術館でもゴッホ展が開催されていて、来年7月にはあべのハルカス美術館でもゴッホ展が予定されています。展示されている作品が全然違っているので巡回展じゃないです。ゴッホ人気スゴすぎ、とロビーの片隅でゴッホ展の賑わいをひっそり眺めている入道相国。

博物館からセンタープラザへ向かって歩いていると、三井住友銀行前広場のパブリックカフェで寛いでいるファミリーと目が合いました。向こうも目が点になってます。毎年2回ほど飲んでいる高校の友人とそのファミリーで超ビックリ。ゴッホ展を鑑賞してきたらしい。

センタープラザのタルショーでプファー、スマホをチェックすると、何とオオタニさんが3ホーマー、10奪三振でワールドシリーズ出場決定に超ビックリ。珍しく長田本庄軒の行列が短かったのでぼっかけやきそば目玉焼きのせ。

三宮から直通特急じゃなくて入線してきた快速急行がLCカーだったのでのんびり帰ります。尼崎で、淀川の花火の姫島へは普通に乗り換え、と案内されていたものの、花火は1時間ほど先。

帰宅後、自宅からの淀川の花火、急な雨で大変だったようです。