ヤマちゃんと英泉の花火

37℃予想の奈良へ。

絶滅危惧種の喫煙室で飲食ができるドトールでモーニング。興福寺西金堂跡のハクセキレイをiPhoneで。

東金堂から県庁へ抜ける道は外国人観光客と鹿たちで渋滞。若草山は若草色、さすがに誰も登っていないようです。

吉城園

ツワブキの季節以来9ヶ月ぶりの吉城園、だーれもいません。木立の中に入ると少し涼しい。

ヤマガラを見つけたものの…、画面下ギリギリに写ってました。

茶室裏の古池にクロイトトンボ、なぜミズイロトンボと命名しなかったのか。

ギボウシとノカンゾウ。

アブラゼミ3匹、同じ木に止まっていた別個体です。光に透かすと赤くなってました。

ふたたびヤマちゃん登場、こんどはたっぷり遊んでくれました。

奈良県立美術館

実は奈良県立美術館で開催中の「みやこのかたち」展が今日奈良へやってきた目的、洛中洛外図が出陳されているはず。前を何度も通っているのですが入館は初めて。

元信印洛中洛外図帖、屏風ではなく画帖形式の洛中洛外図。狩野元信の朱文壺印があるものの、元信の息子である狩野松栄(狩野永徳の父)の若い頃の作、あるいは松栄の狩野派工房作の可能性が高いと考えられているそうです。

展示されていたのは「立売」の商家の頁と「公方様」の御所(室町幕府)の頁。全24頁あり、東は清水、西は嵐山、南は伏見、北は賀茂社までカバーされている由。洛中洛外図としては描かれた人物が少なくいささか賑わいに欠ける京です。

洛中洛外図屏風(桃山〜江戸時代)は六曲一双ではなく四曲一隻、右端に三十三間堂、その左に方広寺大仏殿、左下の橋は四条大橋と思われます。まず全体に黒ずんでいて保管状態が良くなく美しくないです。方広寺から三十三間堂のクローズアップすると、この辺りには人が大勢描かれているものの、当時から目抜き通りであったはずの四条大橋周辺は人もまばら、洛中洛外図定番のはずの祇園祭も描かれておらず賑わいも楽しさもありません。率直なところあまり出来の良い洛中洛外図とは思えず、そのためあまり大切に保存されてこなかったものと思われます。

出品リストを見ると六曲一双の洛中洛外図屏風 が展示会前期限定で展示されていたことが分かります。展示会のウェブページの主な出品作品欄に、その六曲一双の小さな画像が掲載されていて、無理やり拡大すると祇園祭の山鉾も描かれていることが確認できました。発色もよく、四曲一隻の現展示品よりほほど状態も良く、画面全体に京の町の賑わいも感じられよほど上出来です。なぜ六曲一双を前期だけで取り下げて四曲一隻に取り替えてしまったのか、とても残念。

展示室自体、このくすんだ四曲一隻の洛中洛外図のように、営業不振で閉業が決まっている百貨店のような雰囲気が漂っています。この1年以内に訪ねた兵庫県立美術館広島県立美術館愛知県立美術館和歌山県立近代美術館と比較してもかなりみすぼらしく見える奈良県立美術館です。

歌川芳虎 東都名所八景之内吉原日本堤夜雨(嘉永7年 - 1854年)、芳虎は国芳の弟子。雨にけぶる日本堤を行く吉原通いの人々。洞庭湖周辺の瀟湘(しょうしょう)八景に倣い、近江八景、金沢八景などが瀟湘に見立てられ、広重の名所江戸百景や北斎の富嶽三十六景が描かれ、この東都名所八景もそのひとつ。

伝狩野探常 浅草吉原図巻、狩野探常は鍛冶橋狩野家の奥絵師。隅田川から日本堤を経て新吉原仲之町までの道程を描いた絵巻とのことですが、江戸湾に注ぐ隅田川河口付近と人通りもまばらな吉原への道中部分だけの展示で、出し惜しみせず巻物全体を長く広げてほしかったところです。展示された部分そ見る限り、建物と人物のスケールが全然違っているなど、あまり上手い絵師ではなかったように見受けられます。

江戸時代初期の僧・明誉古磵筆の南都八景図鑑、南都八景から春日野の鹿、猿沢池の月見、東大寺鐘楼が確認できます。奈良を描いた展示品で唯一撮影OKでした。瀟湘八景の説明や東都名所八景之内吉原日本堤夜雨の展示はこの南都八景へ繋ぐためのものと思われますが、まわりくどく分かりにくいです。

伝菱川師重 吉原風俗図屏風、5枚の絵が六曲一隻に貼られた新吉原仲之町の図。描かれた女性たちの髪型がみな江戸時代初期流行の鴎髷(かもめまげ)で元禄期頃の制作と思われます。

伝川又常之 浮絵新吉原、新吉原大門をくぐってすぐの茶屋を遠近法で描いた図。禿をふたり従えて歩く大柄の女性は太夫ですね。その後ろに菅笠で顔を隠した坊さんはなぜここにいるのでしょう。

吉原の賑わいを描いた喜多川歌麿(2代)江戸浮絵新吉原仲之町夕景之図、歌舞伎興行の賑わいを描いた歌川豊国 新板浮絵東都三芝居顔見世狂言之図と歌川豊春 浮絵歌舞妓芝居之図。浮絵とは遠近法の浮世絵のこと。

伝司馬江漢 江戸橋より中洲を望む図、司馬江漢は江戸時代後期の絵師で洋学者。「のぞき絵」と呼ばれる凸レンズで見た景色で、描かれた人物は同時代の浮世絵とは全く異なる明治時代の風刺画のようなタッチ。

歌川広重 名所江戸百景筋違内八ツ小路八ツ見のはし 。だだっ広い広場を行く大名行列と日本橋川に架かる一石橋からの富士、格別みやこの賑わいを感じさせるものではなく、せっかくの広重なのに、コレクションから適当に出陳された感じが否めません。

正直なところイマイチな展示会でピカイチを見つけました。渓斎英泉 東都両国橋夕凉図、ファン・ゴッホのタンギー爺さんの背景に描かれた英泉のoiran、英泉作品自体初めて見ました。

両国橋には人がびっしり、ダイナミックな花火の描き方でドーンと音が響いてきます。これ以上割り込む隙間もないほどの隅田川に浮かぶ舟、左端の「吉の丸」にはoiranのような猫背で立ち姿の女性、手前には「蔦屋」としっかり版元名をアピール、画面左下のいなせな若い船頭が櫓を操る舟には「英泉画」、その後ろの舟では大太鼓、小太鼓、鉦に笛、その賑やかなこと。右下のスケベそうな3人の男女の舟には下駄や草履が脱ぎ揃えられ、その屋根にはお尻丸出しで頬杖付いた男がひとりで花火を楽しんでいます。実に楽しげ、見ているだけでこっちまでウキウキしてきます。

ファン・ゴッホのoiranは英泉の原作雲龍打掛の花魁と左右反転していますが、雑誌パリ・イリュストレ45/46号合併号の表紙になった時点ですでに反転しているので、ファン・ゴッホじゃなくてこのパリ・イリュストレ日本特集号を編集した林忠正のせいです。1880年以降革命記念日のパリでは花火が打ち上げられていたらしく、もしファン・ゴッホがこの東都両国橋夕凉図を見ていたら、きっと花火を絵も描いていたはず。ぐるぐる巻の星空を描いたファン・ゴッホが描く花火はどんなだったか想像してみます。

もう1点いい感じの作品が、北宋の都・開封の賑わいを描いた伝柳沢淇園 清明上河図。柳沢淇園は江戸時代中期の武士、文人画家、漢詩人。曲芸をする人たちと見物人、橋の上で開かれている市、杵で餅を搗いている男たち、人相書きのような絵を掲げて何やら講釈している男性と聞き入る人たち。まるで安野光雅の絵本のようです。

同じ展示室に川瀬巴水の大和壺坂寺もあったものの撮影NG。洛中洛外図の展示室以外の明治以降の作品の展示室はは全面的に撮影NG、平城京や二上山、大仏など奈良を描いた作品も少なくなく、こちらのほうが、京の洛中洛外図や江戸吉原の絵巻や屏風絵より、奈良の「みやこのかたち」を感じられたものの、あまり記憶に残っていません。

奈良で開催の「みやこのかたち」展、奈良時代の洛中洛外図は無理だとしても、後世に南都と呼ばれるようになった奈良はどのような町だったかは期待があったもののガッカリ。

自分がいた時間、自分の外にひとりも来館者を見受けませんでした。コレクションの整理見直し、展示会の企画、展示方法、それに建物自体の改装まで根本的な運営方法の見直しが必要と思われる奈良県立美術館ですが、奈良県立美術館整備基本構想が3月に策定されたばかりと分かりました。コロナ禍以降も年間入場者数が3万人レベルで低迷しており、建て替えか、現状何のための施設かよく分からない春日野国際フォーラムへの機能移転かで計画が進められているようです。

暑さを溝でしのいでいる鹿たちです。何度か訪ねたことのあるちょっと気の利いた小料理屋さんでランチとお店に向うと以前は1,000円だった日替りが1,500円になっていてビックリ。入る気がなくなって餅飯殿や東向商店街でお店を探すも、1,500円でも小料理屋にしておけばよかったと後悔するばかり。商店街を歩く人は外国人ばかりで、黒門市場や錦市場を彷彿とさせ、奈良でランチする気が失せてしまい、電車に乗りました。

乗った電車が快速急行じゃなくて急行だったので布施で下車、いつもの角打ちでプファー、メニューが見えにくい位置に付いたので、スマホでホワイトボードのメニュー表を読み取れるギリギリの角度で撮って「牛肉しめじつくだに」と「あじなめろう」を頼んだところです。

「みやこのかたち」ではちょっとブログにはしづらいところ、吉城園のヤマちゃん(ヤマガラ)と英泉の花火でブログになります。

現在地で建て替えにせよ、春日野国際フォーラムに移転にせよ、器の問題だけでなく、コレクションの整備、企画、展示方法などのソフト面の見直しも不可欠で、それは器が出来る前でも試行錯誤してほしいところです。どんなコレクションを所有しているかチェックしてみると富本憲吉の作品が200点も収蔵されており、今秋、富本憲吉展が、上村松園らの作品を含む日本画のゆくえ展と同時開催と分かりました。

もう当面来ることは無さそうと思ったばかりですが、建物や設備がボロくても膨大なコレクションで出来ることはまだまだいっぱいあるはず、学芸員さんたちのアイデアと工夫に期待です。