正倉院と平城宮
正倉院展が開催中、正倉院THE SHOWを見て、写真がNGでも行ってみようと思ったもののまだ迷っていたのですが、正倉院正倉が普段とは違って間近まで入ることができる特別公開が今日までの3日間だけと知り、行ってみることにしました。
快速急行の車内でXをチェックすると特別公開は大人気で500人くらいの行列とあり、やっぱり止めておこうと思ったのですが、ランチして吉城園だけでもいいやと奈良へ。
意外や意外、さほど並んでいなくて、長くない行列はすっすと進んでいました。普段(平日のみ公開、正倉院展開催期間は土日祝も)はこの門から少し入ったところまでしかはいれないところ、正倉院正倉を取り囲むように人人人。3年前の正倉院展開催中の時の写真です。
明治以降初、今年だけ11月1日から3日までの3日間だけの特別公開です。意外や意外、ほぼ100%日本人ばかり、特別公開の情報が発信されたのは10月15日のことで、たぶん情報を得た人が限られていたためと思われます。
正倉と西宝庫、新旧の勅封倉です。皇室御一家カレンダー令和8年版が販売中。
やはり建物だけじゃなくて中身の宝物を見たくなります。帰ってから正倉院展の予約をしようと思っていたのですが、結局気づいた時には全日程予約いっぱいになってました。複製ばかりでも写真OKだった正倉院 THE SHOWに行っておいてよかったです。でも瑠璃杯はテレビの日曜美術館で見た本物と色味がかなり違っています。本物はもっと明るい瑠璃色、上掲のあをによしのテーブルランプの色に近いです。
いっぱい引っ掛けて帰るつもりだった立ち呑み屋さんはビル自体がなくなっていました。大和西大寺駅北口で夕焼け。しばし安倍元首相を偲びます。高市首相誕生をさぞかし喜んでいるはず。
APPENDIX
藤原種継が造長岡宮使として遷都を推進した長岡京遷都に対して、平安京では誰がその推進役だったのか。平安京遷都時には和気清麻呂の存在が知られているものの、その構想立案者であり、太政大臣・左大臣・右大臣の三公職はいずれも空位で桓武天皇自身が主導していたらしい。10年で失敗した長岡京に対し、平安京千年の繁栄の礎が気づかれています。
桓武天皇にはアテルイ処刑のようにヒールの印象を持っていたのですが、稀代の名君だったと分かってきました。優柔不断で何度も遷都を繰り返したものの、とても優しい人だったという印象の強い聖武天皇にシンパシーを感じていたのですが、歴史はシンパシーだけじゃ片付けられない、と長岡宮、平城宮を訪ねて気付いた次第。