正倉院 THE SHOW
世間がお盆休み、学校は夏休みのど真ん中で、何故今日が山の日で国民の祝日なのか、何を祝うための日なのか、さっぱり理解できないのですが、天候はさえず遠出する気にならないので、大阪歴史博物館で開催中の正倉院 THE SHOWへ。
南久宝寺町通と交差する上町交差点、通りの向こうに兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑が立っています。明治2年京都で刺客に襲われ深手を負った大村益次郎が碑の北側に広がる大阪医療センター(当時は浪華仮病院)に入院後死去。頭が極端に大きく眉毛が濃い「火吹きダルマ」とあだ名されていた異形の大村益次郎のレリーフがはめ込まれたこの顕彰碑が建てられたのは昭和15年。まわりには発起人や賛助者88名の名前が刻まれていて、松下幸之助や小林一三も名を連ねています。「花神」は自分の愛読書のひとつ。適塾出身なので、最期の地だけでなく大阪とはゆかりが深い大村益次郎です。
難波宮跡までやってくると大阪歴史博物館は間近、右手は大阪歴史博物館、左手はNHK大阪放送局。と向こうから40歳くらいのオバハンふたりが自転車で並んでこっちに向かってきて、ぶち当たられてしまいました。謝ることもなく走り抜けていったので、待てー、と声を上げたものの完全にシカト。歩道を並走すること自体道路交通法違反のはず。
北倉中倉南倉
憤懣やる方ないまま大阪歴史博物館に入ると、チケット購入のためにロープが張り巡らされ20~30人ほどの列。2,000円払って6階の会場へ上り、暗い部屋に入ると人がびーっしりでビックリ。
今年も10月25日から開催予定の正倉院展、毎年かなりの混雑で写真撮影は一切NGらしい。中学生くらいの頃、歴史好きの伯父さんに連れられ母といっしょに訪ねたきりで、その時に幡(ばん、お寺の長い旗)に関する講演会を聴講した記憶が残っているまで。今回の正倉院 THE SHOWは実物展示はなくレプリカだけで、写真撮影OK、SNS投稿もOKとのことで、やってきた次第です。校倉造の正倉院正倉は正倉院展開催中の祝日公開の時に訪ねています。
正倉院正倉は北倉、中倉、南倉の3つの区画に区分されていて、北倉が主に光明皇后献納の品が納められ、室町時代から勅許がないと扉を開くことができない勅封倉、中倉と南倉は光明皇后献納の品以外の東大寺に関わる品々が納められていて、中倉は北倉に准ずる勅許倉、南倉は明治以降勅許倉になったそうです。
螺鈿紫檀五絃琵琶のレプリカ(リンク先は宮内庁正倉院サイト、以下御物名テキストリンクも同様)、正倉院データベースから北倉の保管、つまり聖武天皇の遺愛品です。ペルシャを起源とする四弦琵琶に対し、インドを起源にする五絃琵琶。玳瑁(たいまい、鼈甲)の捍撥(かんぱち、ピックガード部分)には螺鈿(らでん、貝殻の内側)でフタコブラクダにのった四弦琵琶を持つペルシャ人やオアシスのヤシの木が描かれており、強くシルクロードを感じさせ、天平7年に帰国した遣唐使がもたらしたものと推測されています。
裏面も撮りたかったものの巨大スクリーンで映像鑑賞の人たちがいっぱいで回り込めず、とりあえず側面。今上天皇のヴィオラのように、聖武天皇が琵琶を弾かれたのかは不明です。
中倉の螺鈿箱のレプリカ、タイミングよく巨大スクリーンでその蓋の文様が大写し、人影も相まってとてもいい感じの写真になってました。正倉院のデータベースには国産か渡来品かが記されておらず、ChatGPTに訊ねると国産の可能性が高いという回答です。
箱の内側は暈繝錦(うんげんにしき、同系色の濃淡を段階的に組み合わせる技法を施した織物)、レプリカと変わらない実物の鮮やかな発色には驚かされるばかり。
暗い部屋を出ると伎楽面、以前から見たかった、推古天皇朝に呉から伝わった仮面舞踊劇の仮面です。その復元された酔胡王面、酒に酔って顔が赤くなったペルシャ王を表現しているらしい。正倉院サイトで伎楽面を検索すると94件もヒットがでてきて酔胡王でも42件がヒット、じっくりチェックして南倉の伎楽面木彫第47号がそれらしいと分かりました。
ショーケースの後ろの壁には伎楽面の写真がいっぱい。94じゃなくて171面もの伎楽面が伝わっているとの説明も。日本書紀に、桜井に少年たちを集めて伎楽の舞を学ばせたと記載されています(参考)。艸墓古墳を訪ねた時、近くにある土舞台という遺跡を訪ねそこねたのですが、土舞台が伎楽面をつけて舞踊が舞われた最初の場所、それを推進していたのが聖徳太子です。
「聖武天皇の意思」として紹介されている大仏造立の詔は、ちょっと端折り過ぎかと。ChatGPTに訊いた原文と現代語訳です。大仏開眼会で使われた伎楽面が藤田美術館に保管されているらしい。
モニタでは勅封の儀の様子、正倉院展公式チャンネルで同じ動画が公開されているのを見つけました。正倉院は毎年10月から12月までのみ扉が開かれるとは知りませんでした。正倉院展が毎年10月から11月にかけて開催される理由が分かりました。動画は正倉院正倉ではなく、西宝庫です。昭和37年に建てられた西宝庫が正倉に代わって勅封倉になっており、正倉にはそれまで御物を保管していた唐櫃のみが保管されているらしい。
動画では宮内庁の職員さんたちが恭しく勅書を捧げ持ち、何重にも封印された扉を開き、ひとつずつ御物に異常がないか確認し、2ヶ月後再び厳重に封印する様子を見ることができます。御物を軽々しく扱うことはとても許されないと伝わり、正倉院展が撮影NGなのも納得できる気がします。
コバルトで発色する中倉の瑠璃坏(るりのつき)、実物のガラス部分は7世紀前半のササン朝ペルシャで作られたもの、銀台鍍金に中国風の龍の文様が陰刻された台脚は元から瑠璃杯に取り付けられていたものの、受座は明治時代に新しくつくられて補われたとのこと。実物の台脚部分は黒ずんだ銀色ですが、レプリカでは鍍金(金メッキ)された姿が再現されています。
露出を落として撮ってみると影に美しい瑠璃色のリングがくっきり。今年の第77回正倉院展で実物が出陳されるらしい。2012年以来13年ぶりになるようです。これは写真NGでも混雑覚悟で訪ねることになりそうです。
ちなみにカワセミの明るいブルーがコバルトブルーと思い込んでいたのですが、コバルトブルーは瑠璃杯の瑠璃だとするとカワセミではなく、オオルリ、コルリ、ルリビタキの瑠璃とほぼ同義、中でもオオルリが一番近そうです。カワセミのブルーには翡翠青磁の翡色という表現があります。
ビデオでレプリカ制作場面を紹介。
銀薫炉は衣服に香を焚きしめる道具。データベースには北倉とあるので、やはり聖武天皇の遺愛品だったようです。身にはジャイロスコープの仕組みで揺れても水平が保てる火皿が取り付けられています。
天下第一の名香と歌われる香木・蘭奢待。正倉院宝物目録では中倉の黄熟香。左端に鋸で切ったような跡は足利義政と織田信長が切らせた跡を再現しています。
ガラスの容器の蓋を取って鼻を近づけ復元された蘭奢待の香りを嗅ぐことができます。甘い香りは感じ取れたものの天下第一なのかどうかは自分には判断のしようがありません。ガラスの容器が10個くらい並んでいて違う香りがするのか試したものの判断できず、係の人に確認したところ同じものだそうです。
ヘッドホンを付けて螺鈿紫檀五弦琵琶などの音を聴けるようになってました。かなり古い音源で、音曲の一部とかじゃなくて、弦や笛の単音の音色を聴くだけ、これで感動するのは難しいかと。
ファッションデザイナー・篠原ともえさんによる漆胡瓶をモチーフにしたドレスです。
正直なところこの正倉院 THE SHOWに2,000円出すなら、兵庫県立美術館の「藤田嗣治 × 国吉康雄」か、奈良国立博物館の「世界探検の旅」を見に行けばよかったと後悔したのですが、帰宅後撮ってきた写真で調べれば調べるほど正倉院のことが興味深くなってきて、結果として行ってよかったと感じています。お墓からの発掘品ではなく、1300年近く温度湿度が管理され、盗難や災害、戦争から守られてきた正倉院御物です。例えばヴェルサイユ宮殿やプラド美術館の王室美術品と同等ですが、その2倍以上の期間大切に保管されてきた考えると正倉院のすごさが実感できます。ただ、人がすごくてパスしてしまった最初の巨大スクリーン映像がどうやらこの展覧会の目玉だったみたいです。