市立美術館名宝物語

おニューのスニーカーを履いてお出かけ、アマゾンで買ったのですが、何の説明も無いのに内側にファスナーが付いていてとても履きやすい。

大阪市立美術館は特別展「開館90周年記念特別展 全力!名宝物語 ―大阪市美とたどる美のエピソード」開催中、タイトル長すぎ。ここでは市立美術館名宝物語にしておきます。太閤さんに迎えられ2階へ上ります。顔が特大サイズに拡大された豊臣秀吉像は市立美術館を初めて訪ねた時にアップしています。因みに今年の大河ドラマは秀吉秀長そろってちゃらすぎてついて行けず、名古屋弁じゃないのも違和感が強くて3月くらいに離脱しました。

名宝で語る

開館90周年を記念して、自館所蔵品を中心にした特別展、このため通常は常設展(企画展)の1階展示室も含め、全館が特別展になっていました。

大正9年に大阪市議会で武術館開設が議決されたものの、世界恐慌や室戸台風で工事は度々中断、昭和11年に漸く開館。公立美術館としては、現東京都立美術館、現京セラ美術館に次いで3番目に古く、国立の東博(明治5年)、奈良博(明治28年)、京博(明治30年)を含めると6番目、私立の大倉集古館(大正6年)、大原美術館(昭和5年)も含めると8番目になるようです。「プロローグ ことはじめ―名宝で語る」からスタート。

上村松園「晩秋」(昭和18年、写真5)は、昭和18年に開催された関西邦画展覧会で寄贈された作品。障子の繕いをしている無地の着物の女性。全体にのっぺりした画面の中に、狂いのない障子の桟や敷居の溝、目や髪、帯や帯留め、鋏や刷毛、それに繕いに貼る花形の紙など、部分だけが丁寧に描き込まれています。ガラスの写り込みが惜しい。

リュウキンがダイナミックに描かれた九谷焼の柄本暁舟「磁製魚紋赤絵花瓶」(昭和11年、写真6)、創館時に開催された大阪市立美術館落成記念帝国美術院展覧会で買い上げた作品、つまり当館コレクションの最初のひとつ。

磯田湖龍斎「秋野美人図」(江戸時代中期、写真7)には「そんな姿勢にならんだろうというのはこの際置いておいて、全力で楽しんだらいいと思う」と解説があるものの、やはり変なデッサンが気になります。大河ドラマ「べらぼう」にも登場していた湖龍斎、ドクロメイクのお笑い芸人・鉄拳さんがすっぴんで演じていたらしい。決して絵が下手なわけじゃないです。

福岡黒田藩3代藩主黒田綱政に嫁いだ筑前柳川藩2代藩主立花忠茂八女呂久姫が所用していたという、祇園守紋枝垂桜蒔絵櫛箱(写真8)、まさに豪華絢爛。

草花蒔絵五つ組盃は、江戸時代後期を代表する超一流蒔絵師・原羊遊斎と風神雷神も描いた江戸琳派の祖・酒井抱一との至高のコラボ。小さいものから順に、桃の節句(桃)、端午の節句(菖蒲・蓬)、七夕の節句(稲穂)、七草の節句(スズナ)、重陽の節句(菊)を描いたもの、花ではなく葉っぱを主役に蒔絵で描くシブいセンス。

重要文化財小西家伝来尾形光琳筆図案小品集は光琳直筆の着物柄や蒔絵、扇面などのための図案集。北斎漫画ならぬ光輪漫画の趣き、写真10左下は鵜飼、右下はたぶん朝顔。

写真11左下は花札雨の20点の小野道風を彷彿とさせ、右上はこのまま着物の柄になりそうな桜と波、左上と右下の牛車などしゃしゃっと描いただけでも光輪の画力を伺わせます。

石像碑像(北魏時代、正光元-520年、写真12)、2匹の蛟龍の下に釈迦如来坐像、左右に比丘、下に寄進者名がずらり、ほとんどが郭さん。並べられている亜パネルには、大阪市立美術館は中国国外において最も多くの中国石像彫刻を所蔵する美術館であることと、寄贈者の紹介があるものの、中国からどのようなルートや経緯を経てここに集まっているかについては、全く触れられていないのが残念。

龍門石窟奉先寺洞将来の石像如来立像頭部(唐時代・8世紀、写真13)、玄宗の発願により開元年間(713〜56)に約50躯の如来坐像が追刻されたうちの一体らしい。菩薩交脚像龕や四面像など、これまで常設展(企画展)で展示されていた石像以外に初めて見る石像も少なくありません。

離れて1階の第2会場に展示の太子半跏思惟像龕(北魏時代、太和16-492年、写真14)、シッダルタ太子(釈迦)が応急の抜けて弟子のチャンナと愛馬のカンタカを伴って出家する物語が刻まれています。さらに別室のようなところにも中国石窟石仏が展示されていたものの、中国石窟石仏については以前(その1その2その3)にもかなり詳しく語っており、他にも語りたい展示がたくさんあるので、今日はここまでにしておきます。

鍋島焼を2点、色絵毘沙門亀甲桐紋皿(江戸時代・17~18世紀、写真15)、毘沙門天の甲冑に由来する毘沙門亀甲文、正確な輪郭線は鍋島焼の特徴。そして、青磁染付色絵青海波梅樹木図皿(江戸時代・17~18世紀、写真16)。いずれも有田焼でも景徳鎮でもあまり見かけない発色のピンク系の赤です。

柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司と共に「日本民藝美術館設立趣意書」起草者に名を連ねた富本憲吉の土焼鉄描銅彩野葡萄模写大鉢(昭和5年、写真17)と土焼鉄描彩柘榴模様大皿(昭和4年、写真18)。

富本は「無名の美」にこだわる柳らに対し、個人の美意識や、独創的なデザインの追求する富本は民藝運動を去っています。思想の対立で決別しつつも、生涯にわたり互いを認め合った複雑なライバル関係にあったらしい。

日本画洋画コレクションの展示室は、大阪にゆかりの作品でまとめられていました。

松本鋭次「地下鉄工事」(昭和7年、写真20)は地下鉄梅田駅の工事現場を描いたもの。現在の阪急阪神連絡デッキ付近から描いたものと思われ、アーチ状の高架橋は省線(国鉄ではない)大阪駅、その向こうは阪急百貨店と解説に紹介されているものの、現在のヨドバシカメラ辺り、鉄道省大阪鉄道管理局庁舎が正しいと思われます。

辻愛造「道頓堀夜景」(昭和4年、写真21)はまさに赤い灯〜青い灯〜♪、描かれているのは角座、慶安5年(1652年)の開業で、松竹芸能の演芸場として昭和59年まで存在し、藤山寛美さんの新喜劇が公演されていました。

OBCラジオ人生相談でも活躍していた融紅鸞「群芳」(昭和11年、写真22)、「あんさん別れなはれ」が解説のタイトル。調べていると木村政雄さんのウェブページに月亭可朝さんと一緒にレコード・ジャケット写真に見覚えのある着物のおばちゃん、このひと有名な画家とは全然知りませんでした。同じページには釣瓶新野のぬかるみの世界の写真も、懐かしすぎ。すっかり高級お好み焼店になってしまった千房、今でもぬかるみ焼を食べられるらしい。

島成園の代表作とされる「伽羅の薫」(大正9年、写真23)、モデルは成園のお母さんらしい。

目に隈を作りうつろな肖像は島成園「自画像」(大正13年、写真24)、島成園は明治25年堺生まれ、宿院尋常小学校、堺女子高等小学校(現泉陽高校の前身)を卒業し北野恒富に師事、大阪島之内に転居、花柳界の習俗に親しんで育つ。女性の情念や社会の格差、人間の内面をリアルに描き出し、京都の上村松園、東京の池田蕉園とともに「三都三園」と並び称された女流画家。大正時代のひととは思えない、どこかで合ったことがあるようなひと。

島成園の師で大阪画壇のリーダーだった北野恒富「星」(昭和14年、写真25)、10等身もある花火柄の着物の女性。星は夜空じゃなく帯に描かれています。

北野恒富「宵宮の雨」(昭和3年、写真26)、お祭りの日にあいにく古出した雨、恨めしそうに眺める3人の会話が聞こえてきそうです。おねえちゃん雨やめへんなあ、せやなぁやめんへんなぁ、しゃあないなぁ。背伸びしているちっちゃい女の子が何とも可愛い。

同じ場所ではなく「注文✕伝来」に展示されていた北野恒富「夜桜」(昭和18年、写真27)、作者最晩年の作で、戦時下に開催された「関西邦画展覧会」への出品作で。京都の舞妓が廃止になるという噂を聞いた恒富が、京都・嵐山での桜の思い出とともに、消えゆく華やかな文化への強い惜別の念を込めて筆を執った作品。ぼんぼりの赤い桟が画面をぐっと引き締めています。

はっきり言って上村松園の方が美しいと思う。でも北野恒富の美人からは感情が伝わってきます。少なくともこのひとは何を考えてるんやろう、と考えさせてくれます。恒富さん、高津神社の参道辺りに住んでいたらしい。すぐ近所なので早速訪ねてみると、河東碧梧桐の揮毫で「恒富庵」と刻まれた、特大の筆塚が建っていました。毎年花見しているのに全然気づきませんでした。

物語の美術

プロローグだけで全部使われていた2階の第1会場を一通り見終え。階段を下りて第2会場、物語の美術―みせる物語。

狩野董川中信「源氏物語図屏風」(江戸時代・19世紀)は源氏物語紅葉賀の場面。左隻(写真30)は源氏と頭中将が青海波を舞う様子、紅葉のグラデーションは自然の紅葉より美しい。右隻(写真31)は雛遊びに熱中する紫の上が女房にたしなめられている場面。狩野中信は浜町狩野家8代目で11代家斉から15代慶喜に仕えた奥絵師。

十二支の動物たちによる歌合戦を描いた十二類歌合戦絵(江戸時代・17世紀、写真32)、カラフルな装束の十二支だけじゃなく右端には何故か鹿。 

江戸時代中期から後期にかけて京都で活躍した原在中の「百鬼夜行絵巻」(写真33)。

展覧会のメインキャラクターになっているお琴妖怪を引っ張っている琵琶妖怪(写真34)。長年使い古された道具に宿る精霊や妖怪である付喪神を描いたもの、江戸時代の水木しげるワールドです。

伊勢物語筒井筒蒔絵硯箱)江戸時代・17~18世紀、写真36)は井戸の周りで遊ぶ幼馴染の男の子と女の子が結ばれる筒井筒の物語を蒔絵で描いた硯箱。

青磁象嵌 童子葡萄唐草文瓢形水注(朝鮮半島高麗時代・13世紀、写真37)、球体の部分には鳳凰ならぬ3本足の鳥、反対側には餅を搗いているウサギが描かれた青磁の水注。

青銅三角縁四神二獣鏡(三国時代・3世紀、写真38)は仿製鏡ではなく貴重な舶載鏡の三角縁神獣鏡。大阪府南河内郡茶臼山古墳出土と解説パネルにあるものの、高井田古墳群の大和川対岸に位置する柏原市松岳山古墳群の茶臼塚古墳の間違いかと。

青銅人物吉祥文鏡(写真39)は元〜明時代の青銅鏡、そんな頃まで作っていたんだと思わせる青銅鏡です。古代の青銅鏡に比べるとかなり見劣りがします。白銅を素材とし銀色に輝く青銅器が、高い技術を持つ国営の工房で、神器として作られていた古代と異なり、元明以降は錫の含有量が減り、民間で大量生産され、実用品となっています。技術は時代が進むほど洗練されるとは限らないです。

景徳鎮窯、17世紀の青花布陣童子図皿(写真40)と青花仙人図皿(写真41)、日本からの注文で日本向けに制作された古染付です。その辺の骨董市かバザーで売られていても値打ちに気づきそうにないシロモノですが、ここに展示されているということは少なくとも何十万円かするんだと思います。

国宝物語下絵料紙金光明経巻第二(鎌倉時代・建久3-1192年、写真42)、墨絵で物語の下絵が描かれた上に経文を書写した大阪市立美術館第1号の国宝。

犬寺演技絵馬上下巻のうち下巻(江戸時代・17世紀、写真43)、兵庫県神崎郡神河町にある高野山真言宗の古刹、金楽山 法楽寺(通称:播州犬寺)の開創の由来を描いた絵巻。

平野区長寳寺の重要文化財仏涅槃図(鎌倉~南北朝時代・14世紀、写真44)、釈迦の周りには、泣きはらした菩薩や弟子だけでなく、象や虎、鶴、コウノトリら動物たちがびっしり。

神戸市西区太山寺の重要文化財水月観音像(楊柳観音像、朝鮮半島高麗時代・14世紀、写真45)、セクシーな観音さまの左下に教えを求める善財童子。

注文×伝来

「注文×伝来―美術成立の裏側」展示室へ。

16〜17世紀景徳鎮窯の青花婦人図方瓶と青花花鳥図方瓶(写真47)は、同じ景徳鎮でも日本の茶の湯のための古染付とは異なるヨーロッパ向け輸出品、18世紀の古伊万里に似た趣きです。

尾方乾山「銹絵楼閣山水図火炉」(写真48)は京都鳴滝窯で焼かれた火鉢。尾方乾山「色絵能絵皿」(写真49)は能の演目に因む景色を描いた角皿。藤田美術館の10枚の銹絵絵替角皿の色絵版ですが、モノトーンの方が風情を感じます。

鍋島焼、民藝、古染付、尾方乾山と陶磁器が少しずつ別々の展示室なのが気になります。陶磁器鑑賞はやはり東洋陶磁美術館がいい。

青銅銭弘俶(せんこうしゅく)八万四千塔(写真50)は守口市の佐太来迎寺所蔵、中国五代時代(10世紀)呉越国の最後の王である銭弘俶が、インドのアショーカ王の故事に倣い、戦死者の供養などのために鋳造させた小型の金銅・青銅塔であるの銭弘俶塔の江戸時代・17世紀に作られたレプリカらしい。

重要文化財銅湯瓶(鎌倉時代・13~14世紀、写真51)、信貴山朝護孫子寺に由来する信貴形と称さえる水瓶。

重要文化財鉄極楽律寺綱維坊尾垂佂天命(南北朝時代・文和元-1352年、写真52)、最古の紀年を持つ天明釜。尾垂(おだれ)は茶の湯釜の形状の一種、天命は筑前の芦屋釜と並び称される下野の茶釜の産地。

押しピンにのった豊中市東光院萩の寺の木造如来坐像(平安時代・11世紀、写真53)は7.3cmの小さな坐像、清凉寺の国宝釈迦如来立像光背化仏のひとつらしい。

素材×技法

「素材×技法―美術成立の裏側Ⅱ」の展示室は、ほとんどが常設展でも展示されていたカザールコレクション、江戸末期から明治時代の工芸品です。常設展で見た根付や印籠だけでなく、櫛や書道具なども。総数は4000点もあるらしい。

犀角蓮葉形筆洗(中国清時代・18世紀、写真54)はサイの角で作られた蓮の葉形の筆洗。茎の部分は空洞になっていて水滴としても利用されていたもの。中国にサイが生息していたのか調べてみると1957年に雲南省で絶滅するまでは野生のサイがいたらしい。

花卉透彫象牙櫛・笄(写真56)は象牙に透かし彫りで草花が聖地に刻まれた髪留めの櫛と笄(こうがい、髪に挿す棒状の髪飾)のセット。

橘尽柳川象牙櫛・位置止(写真57)は象牙をベースに、橘の実や葉が緻密な彫刻や彩色、蒔絵で埋め尽くされた櫛と髪留めのセット。

雪持笹蒔絵櫛銘(写真58)は、忍耐と強靭や純潔と気品の意味が込められた、積もる雪の重みに耐える笹の姿を漆と蒔絵で描いた髪飾り。「梶川(榮)」と銘があるらしく、江戸時代の蒔絵師の名門である梶川家の作、榮は特定の蒔絵師を指し、極上品として扱われるらしい。

麻葉繋菊透彫銀覆輪棟櫛(写真59)は金属製かと思いきや鼈甲の髪飾り、麻の葉文様をに菊の花の透し彫りに銀が被せられています。

螺鈿捻花文盒銘千里(中国清時代・18世紀、写真60)は木製漆塗りに超絶技巧の螺鈿細工。虫眼鏡から覗いた螺鈿の美しさに息を呑みます(写真61)。

萩蒔絵鼈甲箱根付銘峯雲斎(江戸~明治時代・19世紀、写真62)と秋草蒔絵箱根付(明治時代・19~20世紀、写真63)、超絶技巧のミニミニ蒔絵漆塗根付。

猿が足で柿を抱えている猿牙彫根付銘「正民」と、一瞬アルマジロに見えた粟を啄むウズラを彫った粟鶉牙彫根付銘「岡友」(いずれも江戸~明治時代・18~19世紀、写真64)。正民と岡友は制作者名。

橋姫蒔絵硯箱(江戸時代・18~19世紀、写真65)、蒔絵で描かれた川に風車。この風車は密閉されていた中に水銀が仕込まれていて、傾けると象牙の風車がくるくる回転するようになっているそうですが、硯箱としてはかなり重くなってしまったようです。

未来に繋ぐ物語

エピローグの「研究×修復―未来に繋ぐ物語」、展示の意図は理解できるものの、プロローグの48点に対し17点のみ。

景徳鎮窯青花蓮池文瓶(中国・元時代・14世紀、写真67)、首から上は複製されたものらしいのですが、全く分かりません。

長谷川等二「竹藤図」(江戸時代・17世紀、写真68-69)、江戸時代初期の長谷川派絵師らしいものの、経歴等詳細は不明。傷みや虫害、下地の反りなどのため、2023年度から2024年度にかけて本格的な解体修理、保存修復が行われています。

慶沢園を眺めながらひと休み、目障りだったラブホのお城が漸く解体され見晴らしがグッと良くなりました。市立美術館名宝物語の展作品リストには221点、内38点は後期のみなので183点、小は根付から大は六曲二双の屏風まで。大阪市立美術館のコレクションはスゴい、ということの外はイマイチ展示テーマにピンと来なかったのですが、もりだくさんでオムニバスな展示から新しい発見や自分のお気に入りを見つけられたので十分満足感がありました。

市立美術館エントランス前の琵琶妖怪。原在中「百鬼夜行絵巻」もインパクトあったけど、自分的には大阪をテーマにまとめられた北野恒富や島成園らの近世の絵画展示とカザールコレクション。

マレーシアゾウ

プファして帰ることにして新世界へ向かいかけたところ、天王寺動物園にゾウがやってきたことを思い出しました。

新世界側のゲートから引き返すとずっと工事中だった「アジアの熱帯雨林ゾーン」が広大な「エレファントヴィレッジ」になってました。6600㎡もあります。およそサッカーのピッチ1面分です。

最初は画面上の人が暑余っているところから見ていたのですが、ゾウが遠いので反対側のプール前に移動してきました。

水浴び中の2頭、鼻の頭が白いのがダラ(14歳♀)、白くないのがアモイ(9歳♀)。以前の天王寺のゾウよりずっと小さく見えます。同じアジアゾウですがマレーシアゾウという亜種だそうですが、亜種だから小さいのではなく、まだ子どもなので小さいらしい。

エレファントヴィレッジの西側に回ってきました。柵のこちら側はクラッ(20歳♂)、ダラやアモイより一回り大きい。

ハルカスをバックにクラッ、14年前に撮ったまだ未完成のあべのハルカスと春子です。この時64歳だった春子と比べるとやはり小さい。現時点でエレファントヴィレッジの住民はこの3頭だけのようですが、今後どう変わって行くのか楽しみです。これから度々会いに来れるので今日はここまでにして新世界へ。