市立美術館名宝物語
おニューのスニーカーを履いてお出かけ、アマゾンで買ったのですが、何の説明も無いのに内側にファスナーが付いていてとても履きやすい。
大阪市立美術館は特別展「開館90周年記念特別展 全力!名宝物語 ―大阪市美とたどる美のエピソード」開催中、タイトル長すぎ。ここでは市立美術館名宝物語にしておきます。太閤さんに迎えられ2階へ上ります。顔が特大サイズに拡大された豊臣秀吉像は市立美術館を初めて訪ねた時にアップしています。因みに今年の大河ドラマは秀吉秀長そろってちゃらすぎてついて行けず、名古屋弁じゃないのも違和感が強くて3月くらいに離脱しました。
石像碑像(北魏時代、正光元-520年、写真12)、2匹の蛟龍の下に釈迦如来坐像、左右に比丘、下に寄進者名がずらり、ほとんどが郭さん。並べられている亜パネルには、大阪市立美術館は中国国外において最も多くの中国石像彫刻を所蔵する美術館であることと、寄贈者の紹介があるものの、中国からどのようなルートや経緯を経てここに集まっているかについては、全く触れられていないのが残念。
龍門石窟奉先寺洞将来の石像如来立像頭部(唐時代・8世紀、写真13)、玄宗の発願により開元年間(713〜56)に約50躯の如来坐像が追刻されたうちの一体らしい。菩薩交脚像龕や四面像など、これまで常設展(企画展)で展示されていた石像以外に初めて見る石像も少なくありません。
離れて1階の第2会場に展示の太子半跏思惟像龕(北魏時代、太和16-492年、写真14)、シッダルタ太子(釈迦)が応急の抜けて弟子のチャンナと愛馬のカンタカを伴って出家する物語が刻まれています。さらに別室のようなところにも中国石窟石仏が展示されていたものの、中国石窟石仏については以前(その1、その2、その3)にもかなり詳しく語っており、他にも語りたい展示がたくさんあるので、今日はここまでにしておきます。
辻愛造「道頓堀夜景」(昭和4年、写真21)はまさに赤い灯〜青い灯〜♪、描かれているのは角座、慶安5年(1652年)の開業で、松竹芸能の演芸場として昭和59年まで存在し、藤山寛美さんの新喜劇が公演されていました。
OBCラジオ人生相談でも活躍していた融紅鸞「群芳」(昭和11年、写真22)、「あんさん別れなはれ」が解説のタイトル。調べていると木村政雄さんのウェブページに月亭可朝さんと一緒にレコード・ジャケット写真に見覚えのある着物のおばちゃん、このひと有名な画家とは全然知りませんでした。同じページには釣瓶新野のぬかるみの世界の写真も、懐かしすぎ。すっかり高級お好み焼店になってしまった千房、今でもぬかるみ焼を食べられるらしい。
同じ場所ではなく「注文✕伝来」に展示されていた北野恒富「夜桜」(昭和18年、写真27)、作者最晩年の作で、戦時下に開催された「関西邦画展覧会」への出品作で。京都の舞妓が廃止になるという噂を聞いた恒富が、京都・嵐山での桜の思い出とともに、消えゆく華やかな文化への強い惜別の念を込めて筆を執った作品。ぼんぼりの赤い桟が画面をぐっと引き締めています。
はっきり言って上村松園の方が美しいと思う。でも北野恒富の美人からは感情が伝わってきます。少なくともこのひとは何を考えてるんやろう、と考えさせてくれます。恒富さん、高津神社の参道辺りに住んでいたらしい。すぐ近所なので早速訪ねてみると、河東碧梧桐の揮毫で「恒富庵」と刻まれた、特大の筆塚が建っていました。毎年花見しているのに全然気づきませんでした。
尾方乾山「銹絵楼閣山水図火炉」(写真48)は京都鳴滝窯で焼かれた火鉢。尾方乾山「色絵能絵皿」(写真49)は能の演目に因む景色を描いた角皿。藤田美術館の10枚の銹絵絵替角皿の色絵版ですが、モノトーンの方が風情を感じます。
鍋島焼、民藝、古染付、尾方乾山と陶磁器が少しずつ別々の展示室なのが気になります。陶磁器鑑賞はやはり東洋陶磁美術館がいい。
エレファントヴィレッジの西側に回ってきました。柵のこちら側はクラッ(20歳♂)、ダラやアモイより一回り大きい。
ハルカスをバックにクラッ、14年前に撮ったまだ未完成のあべのハルカスと春子です。この時64歳だった春子と比べるとやはり小さい。現時点でエレファントヴィレッジの住民はこの3頭だけのようですが、今後どう変わって行くのか楽しみです。これから度々会いに来れるので今日はここまでにして新世界へ。