日曜の美術館
あべのハルカス美術館の「小村雪岱のすべて」が最終日、その後大阪市立美術館も訪ねることにして天王寺へ。出かける前にEテレの日曜美術館を見て今日のブログタイトルは「日曜の美術館」に決めて来ました。
いつもと違ってカメラは持っていかずリュックも背負わず、iPhoneと充電器だけをポケットに入れて行くことにしました。身軽で快適です。天王寺の某ファミレスでモーニングしようとお店に入ると日曜日でモーニングは終わっていて、グランドメニューを見ると以前よりだいぶ値上げされているみたい、朝食に千円以上払いたくないので、用ができたと断ってでてきました。最近の外食の値上がりがハンパなく驚くばかりですが、その分飽きることなく毎週一度は食べてるネパールカレーCセットやアイソの悪い大将のカツ丼ミニうどん付のコスパには感謝しかないです。
続いて501形。広電のおしゃれな広告電車をいっぱい見たばかりなのでダサさが際立ちます。撮りそびれたのですが続いてやってきた最新の1101形もスタイリッシュな低床車体が紺地にデカデカと黄色の明朝体で埋め尽くされていてビックリ。いずれも広告主が悪いんじゃなくて、町の美観を守りイメージアップにつながるような適切な広告基準が阪堺電車に無いことが問題かと。モ161形も稼働しているのはついに2両が残るのみとなりほぼ貸し切り専用、阪堺電車にはぜんぜん惹かれなくなってしまいました。
あべの筋沿いのタバコの吸える喫茶店でホットドッグ、コンビニでも同様の内容で500円弱なので、これで850円はいたしかたないか。
あべのハルカス美術館
エレベーターで16階に上がって「小村雪岱のすべて」。名前も知らなかった大正〜戦前期に活躍した日本画家、装幀家、舞台美術家の展覧会。チラシの傘の絵のように、昭和の鈴木春信とも呼ばれる線の美しさ、絶妙な余白に惹かれやってきた次第です。
撮影OKの木版画3点、三味線と鼓がポツンと置かれた広い座敷にか細い柳のしなだれかかる「青柳」、三方を庭に囲まれた奇妙な造りの座敷にえらく長細い文台が置かれた「落葉」、一階が雪に埋もれた雪国の宿の障子の細い線が美しい「雪の朝」。これは何だろう何があったんだろうと想像を膨らませてしまう3点です。
出品目録を数えると出品点数は400点以上、前期後期で展示替えされているものの、後期だけで200点以上の展示。多くは書籍の装幀や挿絵で、中でも深い親交のあった泉鏡花の小説が多数。他には自分が名前の知っているところで武者小路実篤、岡本綺堂、里見弴、田山花袋、大佛次郎、子母澤寛、三田村鳶魚、さらには先日宮本武蔵を読み終わったばかりの吉川英治も。今でも小村雪岱の挿絵入り小説本を買うことはできるものの、Kindleとか電子版は無さそうです。
撮影OKの木版画2点、嵯峨嵐山文華館で川又常正の同名作品を見た「見立寒山拾得」。右側の葉っぱに詩を書いているが見立寒山。左が相棒の拾得。もう一枚は「雪兎」、女性の手にちっちゃなウサギさんが。
チラシにあった墨の線だけで傘がいっぱい描かれたのを見たかったのですが、前期だけの展示だったのが残念。
北斉時代(550〜577年)第1窟西壁にあった如来坐像頭部、第1窟ページの最後の写真、あるいは写真集天龍山石窟PDF17ページに鎮座している仏像で間違いなさそうです。同じく北斉時代の第16窟北壁の菩薩頭部は少し小ぶりで、宝冠(菩薩冠)を戴いた修行中の貴族がモデルと思われます。
文殊菩薩騎獅像は伝天龍山石窟将来と「伝」が付いていて、シカゴ大学のデータベースには掲載されていません。獅子の上に座るお腹のでたがっしりした体型も首の無い像、獅子に座るのは文殊菩薩と決まっているらしい。
シカゴ大学のデータベースには164点の彫刻が掲載されていて、41点の個人所蔵を除き、36箇所もの美術館博物館に分散所蔵されていると分かります。大英博物館が5点、藤井有鄰館(京都)2点、ハーバード美術館25点、香雪美術館(神戸)3点、イタリア国立東洋博物館5点、ネルソン・アトキンス美術館(カンザスシティ)8点、根津美術館(東京)7点、大阪市立美術館8点、リートベルク博物館(チューリッヒ)8点、東京国立博物館7点。大阪市立美術館の8点の内、伝天龍山石窟将来を除き、ここに挙げた5点と鳳凰像の他に第8屈の仏頭2点をまだ見逃していることになります。
世界中に散逸し、天龍山石窟現地には無惨な削り跡が残されるばかりで、中国から返還要求も出されているようですが、もしそのまま残されていたしても、文化大革命(チベットでは6,000もの寺院が破壊されたらしい)でどうなったか分からなかったと考えるとやはり微妙です。
天龍山石窟将来以外の彫刻で以前(これとこれ)と重複しないようにアップします。彫刻如来三尊像龕(北斉)は周りのマス目に一文字ずつ読みやすい漢字がタイポグラフィのように刻まれているので読み取りにチャレンジしてみました。龕の右上は「上為皇帝陛下趙郡大王」左上は「群僚百官州軍令長倶登波□」龕の下は「天保八年正月二十日佛弟子黄海伯□□□□七世内外敬造白玉弥勒像一區丁及法界衆生託王西方」(□は読み取れない文字)、ChatGPTに意味を解読してもらいました。
皇帝陛下・趙郡大王のため、群僚百官・州軍の令長らがともに関与し、天保八年正月二十日、仏弟子・黄海伯が七世内外のために、敬んで白玉石の弥勒像一躯を造り、あわせて法界の衆生のため、西方浄土への往生を託した。
1500年前の人とコミュニケーションできたような気がします。菱形に削られた右端の一尊が欠けてしまっているのは菩薩五尊像(北斉)、緑と赤の着色が残る円筒状の石像は菩薩立像(北斉〜隋)。
北周の四面像(保定3年・563年)、下半分にこの龕を寄進したと思われる4人が描かれていて、楊さんという一族のようです。
同じく北周の菩薩五尊像龕(保定5年・565年)、北周は中国の南北朝時代に北斉と華北を二分していた国家で、557年に北斉を滅ぼし、隋に受け継がれます。
北斉の蓮の花にのった菩薩立像、Geminiによると、目を細めかすかな微笑みを浮かべ、内省的で静謐な美しさを湛えた表情は北斉彫刻に共通する特徴、衣が濡れて体に密着しているような質感の表現は「曹衣出水」と呼ばれる北斉の描画様式だそうです。北斉は短命な王朝も、仏教美術においては「北斉様式」と呼ばれる独自の頂点を極め、後の隋や日本の飛鳥・奈良時代の仏像制作にも大きな影響を与えたと考えられているとのこと。
中国の金属工芸
鴟鴞形水滴(後漢末~六朝時代・3~4世紀)、フクロウ型の水差しで、たぶん書道用具です。以前は他の展示品と一緒に壁面のケースに並べられていたのが独立して、当館広報大使の羽人に変わって展示室のセンターに昇格、どの方角からでもじっくり鑑賞できるようになってました。