大阪市立美術館
快晴なのに起きたのが9時、遠出は諦めてお金のかからない美術館へ。
微妙に異なるアルカイックスマイルを浮かべた菩薩立像頭部(北魏、6世紀前半、龍門石窟賓陽中洞将来)、如来立像頭部(北魏、5世紀後半、伝雲岡石窟将来)、如来像頭部(北魏、5-6世紀、雲崗石窟か)。
いずれも石窟の坐像や立像から頭部だけが持ち去られてきたものと思われます。冠を被った菩薩と団子状の髷だけの如来、上述のChatGPTの説明に合致しています。
当館の北魏石造彫刻や関西の実業家、山口謙四郎氏により収集された山口コレクション。2018年の山口コレクション展の説明文には「本コレクションの特徴は、石材を丸彫したいわゆる単独像が多くを占め、石窟寺院より将来された造像が少ない」ことが特徴として紹介されていました。やはり石窟寺院将来の石像を蒐集することに美術館としても問題意識は拭えないようです。
中国の美人画
個人蔵の美人画は撮影NG。青花睡起図洗(景徳鎮窯、清時代・18-19世紀)、皿の詩文は「睡起腰無力 舞罷却成羞」、意味は「眠りから覚めると腰に力が入らず、舞い終えると、かえって恥じらいを見せた」、中国の古詩に見られる「美人の婉然たる姿」を描写する定型的な表現だそうです。
青花人物図六角植木鉢(景徳鎮窯、清時代・19世紀)、描かれた女性は、元代の親孝行教訓書「二十四孝」に登場する曹孝女。病の父のために自分の長く美しい髪を売り薬代にあて、父は回復したそうな。
景徳年間(宋代、1004〜1007年)にその地名が改められ官窯として発展してきた景徳鎮、「古い伝統技術を守る手工芸」と「量産可能な現代セラミックス工場」を両輪とし、伝統の継承と現代需要への対応の両立を図られている由。
古代イタリアの香油壺
古代イタリアの香油壺が17点、多くはピゴリーニ博物館寄贈とあります。ローマにあるピゴリーニ国立先史民族学博物館と大阪市立美術館で1950〜60年代に寄贈交換が行われ、古代イタリア (エトルリア〜ローマ期)の陶器やテラコッタ彫刻が大阪市立美術館に受け入れられたらしい。逆にイタリアへは何が贈られてたのはAIに聞いても不明でした。ピゴリーニ博物館からの寄贈品展覧会が2014年に開催されていました。
17点を1点1葉の写真にしてわかりやすく並べてみます。
㊾ガラス把手付方瓶(ローマ、1世紀)、㊿ガラス水注(ローマ、1世紀)、これで全17点。
天理参考館で見た東地中海の香油壺と較べるとここに展示された香油壺は素朴、都市国家と農耕社会という大きな違いはあるものの、日本の弥生時代を彷彿とさせる要素を感じさせます。
大阪市立美術館エントランスホール2階のステンドグラス。天空のアトラスの顔出し看板は大人気でした。
大阪市立美術館で万博一番人気だったイタリア館の展示が実施できたのは、ファルネーゼのアトラスはナポリ国立考古学博物館所蔵ですが、ピゴリーニ博物館と大阪市立美術館との寄贈交換という歴史が背景にあったのかも知れません。香油壺だけじゃなくて、大阪市立美術館に所蔵されている大型陶器やテラコッタ像が公開される機会がいずれあるはずです。
国宝展の時には常設展(企画展)に入ることもできず、ゴッホ展の時には入ることができたものの、ペットボトルの水はポリ袋に入れろと注意され、さらにリュックは前にかけろと注意され不愉快だったのをがまんして見学、天龍山石窟の石像に惹かれ、その由来を調べれば調べるほど色んなことが分かってきて、今日はイタリアとの関係も知ることができました。大大阪時代からの経済力をバックにした膨大なコレクションがあるわけで、テーマを設けて少しずつ小出しされる企画展をが楽しみになってきました。何より65歳以上大阪市民無料はありがたい。