大阪市立美術館

快晴なのに起きたのが9時、遠出は諦めてお金のかからない美術館へ。

アジアの彫刻

万博イタリア館のファルネーゼのアトラスが展示されている特別展「天空のアトラス イタリア館の至宝」を開催中ですが、1月12日までの全日程のチケットはあっという間に完売も、国宝展の時と違って企画展(常設展)は入れます。

チケットを持った人たちはどんどん2階へ、自分は1階の企画展へ。9月7日9月14日に続けて訪ねているので3回目です。

アジアの彫刻展示室は9月から一部が展示替えされてました。クメールの男神立像に代わって道教四面像(北魏、永熙3年・534年)。

菩薩三尊像(南北朝時代東魏、武定7年・549年)と菩薩半跏像(南北朝時代北斉、天保4年・553年)、いずれも少しピンクがかった白い石が美しい。菩薩三尊像の左手に菩薩はいないものの右上に天女が舞ってます。

簫楽天像(響堂山石窟将来、南北朝時代北斉・6世紀中頃)、簫楽天は人物名ではなく、簫(しょう)を奏でる楽人を意味しているだけらしい。響堂山石窟は河北省邯鄲市にある36の洞窟の石窟群。この石像も20世紀初頭に海外へ持ち出されたもののようです。

あまり巧くない彫刻ではあるもの、素朴なほのぼの感が伝わってくる二仏並坐像(北斉、6世紀中頃)。

何とも魅力的な微笑を浮かべる菩薩立像(隋時代、6世紀後半)、悟りを求め、衆生を救おうと修行中の存在で宝冠や装身具をつけるのが菩薩(サンスクリット語のボーディサットヴァ - 菩提薩埵 - 悟りを求める者)、悟りを完成した仏でシンプルな僧形、髪型は螺髪でアクセサリーなしが如来(サンスクリット語でタターガタの漢訳)だそうです。

象にのった菩薩騎象像龕(北魏、6世紀前半)、側面を見ると石窟から剥がされた様子が伺えます。

道教四面像(南北朝時代北魏、永熙3年・534年)と道教三尊像(南北朝時代北魏、延昌4年・515年)。

道教は老荘思想を背景にした中国固有の現世利益の宗教で、中国・台湾・華人社会で今も広く信仰されている、とのChatGPTの説明。台湾や香港、横浜や神戸、長崎中華街の関帝廟は、三国志の関羽が神格化され祀られる道教の寺院。

如来坐像(北魏)、天安元年・466年)、背面に浮き彫りがあり、石窟から剥がされたものではないと分かります。 

微妙に異なるアルカイックスマイルを浮かべた菩薩立像頭部(北魏、6世紀前半、龍門石窟賓陽中洞将来)、如来立像頭部(北魏、5世紀後半、伝雲岡石窟将来)、如来像頭部(北魏、5-6世紀、雲崗石窟か)。

いずれも石窟の坐像や立像から頭部だけが持ち去られてきたものと思われます。冠を被った菩薩と団子状の髷だけの如来、上述のChatGPTの説明に合致しています。

当館の北魏石造彫刻や関西の実業家、山口謙四郎氏により収集された山口コレクション。2018年の山口コレクション展の説明文には「本コレクションの特徴は、石材を丸彫したいわゆる単独像が多くを占め、石窟寺院より将来された造像が少ない」ことが特徴として紹介されていました。やはり石窟寺院将来の石像を蒐集することに美術館としても問題意識は拭えないようです。

9月のブログと重複しますが、天龍山石窟第第8屈将来の鳳凰像と第3屈将来の菩薩半跏思惟像。

中国の金属工芸

蟠螭文鼎(ばんちもんてい、戦国時代 - 紀元前5~3世紀)、蟠螭とは角のない龍、饕餮文の殷代と異なる戦国時代の特徴らしい。

鐺(とう、前漢時代 - 紀元前2~1世紀 )は鼎(てい)に似た三本足の鍋。腰に手を当てキリッとした姿の人物が三方から鍋を持ち上げています。

細文地蟠龍文鏡(さいもんじばんりゅうもんきょう、戦国時代・紀元前5~3世紀)、細かい文様の中に蟠龍の鱗や足らしきが見えます。

「尚方」方格規矩四神文鏡(前漢時代・紀元前1世紀)、宮廷御用の工房で造られたことを意味する尚方作の格式の高い鏡、馬見古墳群など国内の古墳からの出土例があり、仿製鏡も作られているようです。

中国南方の土俗的作品と見られる坐人(前漢時代・紀元前1世紀)と並坐人(後漢時代・1~2世紀)、いずれも5cmくらいの小さなフィギュア。

中国の美人画

個人蔵の美人画は撮影NG。青花睡起図洗(景徳鎮窯、清時代・18-19世紀)、皿の詩文は「睡起腰無力 舞罷却成羞」、意味は「眠りから覚めると腰に力が入らず、舞い終えると、かえって恥じらいを見せた」、中国の古詩に見られる「美人の婉然たる姿」を描写する定型的な表現だそうです。

青花人物図六角植木鉢(景徳鎮窯、清時代・19世紀)、描かれた女性は、元代の親孝行教訓書「二十四孝」に登場する曹孝女。病の父のために自分の長く美しい髪を売り薬代にあて、父は回復したそうな。

景徳年間(宋代、1004〜1007年)にその地名が改められ官窯として発展してきた景徳鎮、「古い伝統技術を守る手工芸」と「量産可能な現代セラミックス工場」を両輪とし、伝統の継承と現代需要への対応の両立を図られている由。

九成宮図 (伝仇英、明時代・17世紀)、明代中期の宮廷風絵画の巨匠、仇英作と伝わる唐の離宮、九成宮を描いた絵巻。超精密な工筆(中国絵画の技法)の極地。九成宮は太宗(李世民)が愛した夏の離宮。

香りの工芸

企画展「香りの工芸」展示室です。

青銅龍文提梁香炉(魏正始8年・247年)、正始8年といえば卑弥呼が亡くなった年です。

闘彩八吉祥文香炉(景徳鎮窯 「大清乾隆年製」青花銘、清時代19世紀)、殷代青銅器の鼎(てい)を模した香炉、描かれた花は空想の花の宝相華。華やかな仕上がりも記された「乾」の字が間違っており、景徳鎮であっても官窯ではなく民間の製品らしい。

龍泉窯青磁袴腰香炉(南宋~元時代、13~14世紀)、殷代青銅器の鬲(れき)を模した香炉。

鍋島焼青磁袴腰香炉(江戸時代、18世紀)、鍋島焼の青磁は土が白いため、本歌(基準となる道具)より明るい鮮やかな色に仕上がるとのことですが、この色、好きかも。

三川内焼染付葡萄文香炉(江戸時代、19世紀)と薩摩焼堅野窯色絵金彩菊花文香炉(江戸末~明治期、19世紀)。

三川内焼は平戸焼とも呼ばれる佐世保市三川内の陶磁器。細長い取っ手の影がいい感じですが、下の布地がツギハギなのがいただけない。

銅 誕生仏立像(白鳳時代、7~8世紀)、灌仏会(花祭り)の灌仏盤に立てられた赤子の釈迦像。

青銅 誕生仏立像(元~明時代、14~15世紀)、中国の誕生仏の現存例は少ないらしい。

古代イタリアの香油壺

古代イタリアの香油壺が17点、多くはピゴリーニ博物館寄贈とあります。ローマにあるピゴリーニ国立先史民族学博物館と大阪市立美術館で1950〜60年代に寄贈交換が行われ、古代イタリア (エトルリア〜ローマ期)の陶器やテラコッタ彫刻が大阪市立美術館に受け入れられたらしい。逆にイタリアへは何が贈られてたのはAIに聞いても不明でした。ピゴリーニ博物館からの寄贈品展覧会が2014年に開催されていました。

17点を1点1葉の写真にしてわかりやすく並べてみます。

㉞褐色磨研陶器オイノコエ型香油壺(紀元前7世紀)、㉟彩文陶器アリュバロス型香油壺(ナチア出土、紀元前5世紀)、ナチアはイタリア半島の踵部分・プーリア州、㊱黒釉彩文陶器アスコス型香油壺(アピュリア出土、紀元前4~3世紀)、アピュリアもプーリア州。

㊲黒釉彩文陶器把手付香油壺(紀元前4世紀)、㊳黒釉陶器レキュトス型香油壺(紀元前3世紀)、㊴彩文陶器レキュトス型香油壺(紀元前4世紀)。

㊵白色陶器アリュバロス型香油壺(ナチア出土、紀元前2~1世紀)、㊶白色磨研陶器オルペ型香油壺(エトルリア出土、紀元前7世紀) 、㊷彩文陶器アラバストロン型香油壺(紀元前5世紀)。

エトルリアは紀元前8世紀頃から紀元前1世紀頃にイタリア半島西部にあった文明、フィレンツェやピサのある現在のトスカーナ州で栄えたものの、ローマ拡大によりエトルリアはローマに吸収されローマの市民権を得て消滅も、その文化や宗教、芸術はローマに受け継がれています。

㊸黒釉彩文陶器アスコス形香油壺(紀元前4世紀)、㊹白色陶器紡錘形香油壺(エトルリア出土、紀元前2~1世紀 )、㊺ガラス長頸瓶(ローマ、1世紀)。

オイノコエ型、アリュバロス型、アスコス型、レキュトス型、アリュバロス型、オルペ型、アラバストロン型 アスコス形は壺の形態を表すものですが、全てギリシャ語、あるいはギリシャ語由来だそうです。

㊻ガラス長頸瓶(ローマ、1世紀)、㊼ガラス扁平壺(ローマ、1世紀)。ガラス瓶は全てローマのもの、 ガラス製造ではギリシャやエトルリアよりローマが先を進んでいたようです。

㊽練製把手付香油壺(ベルガモン出土、紀元前3世紀)、ベルガモンはエーゲ海に面したヘレニズム諸国のひとつ、現トルコ共和国イズミル県ベルガマ。

㊾ガラス把手付方瓶(ローマ、1世紀)、㊿ガラス水注(ローマ、1世紀)、これで全17点。 

天理参考館で見た東地中海の香油壺と較べるとここに展示された香油壺は素朴、都市国家と農耕社会という大きな違いはあるものの、日本の弥生時代を彷彿とさせる要素を感じさせます。

大阪市立美術館エントランスホール2階のステンドグラス。天空のアトラスの顔出し看板は大人気でした。

大阪市立美術館で万博一番人気だったイタリア館の展示が実施できたのは、ファルネーゼのアトラスはナポリ国立考古学博物館所蔵ですが、ピゴリーニ博物館と大阪市立美術館との寄贈交換という歴史が背景にあったのかも知れません。香油壺だけじゃなくて、大阪市立美術館に所蔵されている大型陶器やテラコッタ像が公開される機会がいずれあるはずです。

国宝展の時には常設展(企画展)に入ることもできず、ゴッホ展の時には入ることができたものの、ペットボトルの水はポリ袋に入れろと注意され、さらにリュックは前にかけろと注意され不愉快だったのをがまんして見学、天龍山石窟の石像に惹かれ、その由来を調べれば調べるほど色んなことが分かってきて、今日はイタリアとの関係も知ることができました。大大阪時代からの経済力をバックにした膨大なコレクションがあるわけで、テーマを設けて少しずつ小出しされる企画展をが楽しみになってきました。何より65歳以上大阪市民無料はありがたい。