法然院と三十三間堂

心待ちにしていた法然院の秋季伽藍内特別公開、直前に史上初の三十三間堂の夜間特別拝観が開催され何と写真撮影OKとの情報。さらに中国の人たちの訪日自主規制、紅葉のピークにはちょっと早そうですが、三連休初日の京都へ。

三十三間堂は夕方5時からなので遅めの出発。谷町九丁目から難波上空付近にヘリコプター、ちょうど御堂筋の阪神タイガース優勝パレードが始まったところです。

最近京阪が値上げしたので、四条まで30円安くなった阪急で向かいます。乗車する特急は増えてきた2300系じゃなくてお気に入りの9300系、このかっこいい電車をロングシートにして格下げするのは何とも忍びない。

高槻を過ぎて新快速と並走。

見たことのない紫色の特急電車がやってきました。KYOTO SANGA TRAINです。山陰線の特急きのさき、まいづる、はしだてに運用されているらしく、なぜ向日町の車庫より南を走っているのかは謎です。後2試合を残すだけのJ1、京都サンガは健闘していて4位ですが、首位アントラーズと勝点8差で優勝の可能性はなくなりました。わがレイソルは勝点1差の2位。

四条烏丸から203系統錦林車庫で下車、哲学の道を抜け法然院。

法然院

法然院山門をフレームに紅葉、山門をくぐると日差しを受けた紅葉。

今日の水盤の花は自分は好きじゃない菊。

庫裏で靴を脱いで下駄箱に置き、文化財保存協力料という名目の800円を払って上がると法話の声が聞こえてきます。30分の法話が1日5回も。

廊下の突き当りに「本当の自分」。

本堂に入ると椅子が並べられていました。しばし腰を下ろして黒服の若い女性による紙芝居形式のガイドを聴聞。

本堂東側の紅葉を賞で北側に回ると方丈庭園。

マーク・ピーター・キーン氏による現代アートな枯山水「空の川」。ガラス障子越しに菊の花手水、サッシではこの風情はでません。

休憩室の障子を開けて腰を下ろしお茶をいただきながらお庭を眺めています。実家にあった座敷縁側のガラス障子がこんな感じでした。

暖かくて心地良い休憩室で中々腰を上げられず。去年のようにエナガたちがやってこなかったのが残念。

方丈の撮影NGの襖絵を見学、暗い部屋と明るい部屋があってどちらも本堂同様に黒服の若い人たちが説明してくれます。狩野光信や堂本印象の障壁画のはずがあまり覚えていません。堂本印象の画風は分かるので記憶していていいはずですが思い出せない。

リクルートスーツのような黒服の若い人たちですが、檀家さんとかじゃなくて、学生さんのボランティアガイドらしいと分かりました。春の特別公開のガイドは母校関学の古美術研究会(こびけん)とXで見つけました。

茶室「如意庵」と案内の先に二間の茶室、どっちが如意庵なのか、両方如意庵なのかは不明ですが、ひとつはガラス障子、もうひとつは紙の障子。

紙の障子の茶室からの方丈庭園の眺め、その床の間には「無事」と掛け軸、青磁の一輪挿しに葉っぱだけの生け花がとても素敵。

まだ法話が続いていたのでしばし聴聞、話し手は梶田真章住職。散会時にお土産をどうぞ、と並べられているいろんなグッズからご住職自ら撮影という法然院山門の絵葉書をいただいてきました。

ここでトラブル、下駄箱に置いたはずの靴が見つかりません。ベージュ色のDUNLOPのスニーカーなのですが、何度探しても見つかりません。しょっちゅう自分の夢に出てくる場面が、いよいよリアルになったかと諦めかけて、チケットブースの女性に靴が見つからないんですが、と泣きを入れると、一緒に探してみましょう、と探してくれたらすぐに見つかりました。不思議です。

傾いた日差しを受けた紅葉が美しい。そして水盤の菊、好きじゃない花ですが綺麗です。菊が嫌いなのは自分が5歳の時に夭逝した父のお葬式で、いっぱい飾られていた菊の花の香りががトラウマになっているためです。

本堂の外側です。山門を内側から。

南禅寺

哲学の道沿いのモミジから、ジッジッジッとジョウビタキの地鳴きが聞こえてくるものの見つけられず。

いっぷくしたくなったので以前見つけた永観堂参道の喫茶店へ。永観堂の塀のドウダンツツジが見事。

かなりの賑わいの永観堂は総門を入ったところで紅葉の写真を撮って引き返しました。かなり広い境内、臥龍廊や多宝塔まで回る時間がありません。

参道の喫茶店は残念、閉業されれました。

市会議員さんと並んでいるのは法然院の梶田住職、自分の政治的な考え方は隣のオレンジ色のポスターの人に近いです。

喫煙所が南禅寺中門脇にあったことを思い出し南禅寺へ。永観堂よりさらに多い人、人、人。通り過ぎた観光バスには「京の三大紅葉名所めぐり、永観堂、南禅寺、嵐山」と掲げられていました。国宝南禅寺三門です。

法堂前の紅葉、東山三十六峰第十七峰南禅寺山の紅葉です。

さすが京都三大紅葉ですが、一般に南禅寺より東福寺が挙げられることが多いようです。

疎水のセグロセキレイとキンクロハジロ。

岡崎動物園のチリーフラミンゴとベニイロフラミンゴ。

岡崎公園のバス停は長〜い行列で諦めて、白川沿いを抜けて東山仁王門バス停へ。最初の206系統京都駅行は超満員で乗れず、次の202系統東福寺行はルート検索でリストされなかったので見送り、その次の206系統になんとか乗れました。もう5時を回ってしまい、三十三間堂の夜間特別拝観が始まっています。

次の東山三条で地下鉄振替の人たちがどっと下りて空いたものの東大路通の渋滞でバスはなかなか進みません。清水道でまた京都駅へ向かう人たちがどっと乗ってきて、今度はバスから下りれるのか心配になってきました。京都駅行じゃない202系統に乗るべきだったと気づいたものの後の祭り。多少歩くことになっても、多少料金がかさんでも電車で行ける範囲は電車にすべき京都です。

三十三間堂

博物館三十三間堂前バス停に到着、なんとかバスから下りることができたのが5時半くらい。通常の門は既に閉まっていて、東側に回るように案内されると、三十三間堂の東側の道路に長〜い行列。どこまで続くのか分からない行列を逆方向へ進み、南大門の近くまで来てようやく最後尾に付けました。

境内からは声明が聞こえてきて、行列は結構すっすと進むものの、三十三間堂の駐車場に入れたのは6時ちょうどくらい。駐車場内は10回くらい折り返す九十九折の行列、たぶん数千人レベルです。17時から19時までの公開で受付終了は6時半とあったので、並んでも入れるのか不安がつのります。何度か折り返して18時半に駐車場の門が閉じられました。駐車場の閉門が受付終了を意味していると思われ、拝観時間は延長されそうです。

万博レベルを想起させる大行列、16:40に並んだ人のX投稿を見ると、南大門から西へ伸びて、さらに北へ伸びて、三十三間堂全体を囲むように行列が伸びていました。

周りの人たちの万博はああだった、こうだったとかを聞きながら列が進み、6時50分、ようやく2,000円を払って境内に入れました。三十三間堂創建以来初の試みの夜間特別拝観。ブラタモリで紹介され、公開の要望が多く寄せられたことがきっかけらしい。

一概に比較すべきではないですが、常設展も見学できるもののファルネーゼのアトラス他10点ほどで1,800円の大阪市立美術館のイタリア館の至宝展とつい比較してしまいます。

長寛2年(1192年)に後白河上皇により創建、離宮のあった法住寺殿の一画に建てられた蓮華王院本堂が三十三間堂。自分は2度目で、2月に訪ねているものの、直前に訪ねた某展覧会で不快な目に遭い、三十三間堂では堂内撮影NGだったのでブログになっていません。その時の昼間の三十三間堂です。

三十三間堂左端(北端)セクションは風袋を負った風神雷神の風神。iPhoneからZV-E10に持ち替えます。

柱で区切られたセクション毎に二十八部衆像が一体ずつ、那羅延堅固(ならえんけんご、仁王の阿形)、続いて難陀龍王(なんだりゅうおう)。

弦楽器を奏でる摩喉羅(まごら)と歌の神様の緊那羅(きんなら)。

金色の羽をもち笛を吹く迦楼羅(かるら)は愛宕念仏寺伝来の迦楼羅を奈良博で見ています。ガルーダ・インドネシア航空のガルーダです。続いて鼓を打つ乾闥婆(けんだつば)。

毘舎闍(びしゃじゃ)と散支大将(さんしたいしょう、鬼子母神の夫らしい)。

満善車鉢(まんぜんしゃはつ)と摩尼跋陀羅(まにだばら、旅行者や商人を守護する善神)。

毘沙門天(びしゃもんてん、四天王の多聞天)。毘沙門天と並んで名前が掲げられている提頭頼吒王(だいずらたおう、四天王の持国天)はどこ、と探すと隣のセクションの手すりの隙間にお顔が。

ここまでで半分です。

本尊千手観音坐像の前はすごい人だかりでよく見えません。なんとか何本かの手だけが撮れました。近くで腰をかがめて何度もスマホの画角を変えていた女性に訊ねてみたのですが、やはりお顔は撮れなかったとのこと。

閉門は7時45分と案内が。

二十八部衆の続きです。毘楼勒叉(びるろくしゃ、四天王の増長天)と毘楼博叉(びるばっくしゃ、四天王の広目天)。

薩遮摩和羅(さしゃまわら、ヒンズー教のシバ神、大自在天)と五部浄居(ごぶじょうご)。

金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)と神母女(じんもにょ、鬼子母神、護法と愛児・豊穣の女神)。

金毘羅(こんぴら)と畢婆伽羅(ひばから)。

阿修羅(あしゅら)は興福寺の阿修羅とはずいぶんイメージが異なります。続いて伊鉢羅(いはつら)

裟伽羅龍王(さがらりゅうおう)、続いて密迹金剛士(みっしゅこんごうし、仁王の吽形)、那羅延堅固と対の位置です。

これで二十八部衆コンプリートかと思いきや、まだ24体です。

一番左端は風神雷神の太鼓を負った雷神。風神、雷神とも鎌倉時代の作で、日本の風神雷神彫像で最古、俵屋宗達の風神雷神のモデルらしい。

斜めに見ると一直線に並んでいる千体千手観音立像。1から1001の番号が振られており、左端(南側)最上段が1号像、左端最下段が10号像、右端最上段が991号像、右端最下段が1000号像。本尊背後に立つ夜間特別拝観で唯一見えない1001号像があります。度々火災にも運び出され、金箔に覆われたままよくぞ今に伝わったものです。

千体千手観音にはそれぞれ名前があるのかChatGPTに訊ねると、「千体の観音に囲まれるという信仰空間の実現」であり、群としての功徳が重視されているので、個々に固有の名前は無いと自信満々の回答だったのですが、三十三間堂から卒業アルバムのような千体千手観音立像の図録が販売されていて、34超越尊、60大力尊、155禁戒尊、573三密尊…と個々に名前があると分かりました。

少しずつ表情が異なり装束や手に持つものも微妙に異なる千体千手観音立像のうち、124体が創建時の平安時代の像(長寛仏)、鎌倉時代の像が876体、室町時代の像が1体とのこと。78号、80号など5体は目が水晶でできた玉眼、160号、280号など長寛仏の9体や、10号、20号など湛慶作の9体は最前列とのこと。そこまでとても観察できなかったので、次の機会を待つことになります。

本尊前の階段はまだまだ大混雑。やはり本尊のお顔は見えず。本尊前には境内外の行列まで聞こえてきた声明の座。

残る4体は本尊の両脇に脇侍しいました。本尊左に大弁功徳天(左、だいべんくどくてん、吉祥天)と帝釈天王(たいしゃくてんのう)、本尊右に婆籔仙(ばすせん)と大梵天王(だいぼんてんのう)。

これで二十八部衆コンプリートです。平成30年までは二十八部衆全てが本尊の回りに安置されていたらしい。本尊も二十八部衆も風神雷神も本堂も全て国宝、国宝ページが一挙に充実してしまいました。

「実は驚異の"一万体観音"だった!!」というポスター、千体千手観音立像の体内には数十枚の摺仏が納められていて、一万体を具現化されているらしい。「平成の再編」のポスターで漸く本尊のお顔を見ることができました。

最終日は3000名に制限するとの情報、つまりこの3日間で少なくとも1万人は集まったものと思われます。この史上初の夜間特別拝観が今後も開催されるのかは不明ですが、今回影響は小さくないかと。仏像の撮影は宗教的な禁忌ではなく祈りの空間の静謐を守るためと分かりました。

ノートルダム大聖堂で薔薇窓の写真を撮った記憶があり、バチカンではサン・ピエトロ大聖堂は堂内撮影OKもシスティーナ礼拝堂はNG、タージ・マハル霊廟内はNG、アンコールワットはOKらしい。仏像の前でピースサインしてイェイとかは論外ですが、写真を撮ることで対象についての理解が深まることは間違いなく、宗教施設や博物館、美術館で議論が深まるきっかけになるかも。

ファミマに灰皿が置かれているのを見つけていっぷく。

京阪七条から帰るのまず座れないと思われ、四条へ戻ります。四条大橋は中国人の来日自粛に関係なく大混雑。

いつもの高田酒店、体が冷えたので般若湯の熱燗です。もう特急の運行は終了していて準特急の2300系で帰ります。