テーマパークみたいな永観堂

サワガニの次はスナガニと考えていたものの、満潮が午前9時、潮位差も少なく潮見がサイアクと分かり、残暑厳しく35℃予想の京都に変更。

8000系特急ダブルデッカーの階下席にしました。いつもと違う視点で天満橋を出発。

三条からの市バス5系統は超満員、南禅寺・永観堂道に到着もとても前へ移動できず、インバウンドさんたちに倣って乗車口から下車、運転席へ回ってicocaタッチ。インバウンドさんたちも満員の京都市バス利用法を習得済のようです。バス停から白川通をすぐ東へ、ひっそりした道の突き当りが永観堂。

消化器の赤い木箱で南禅寺下河原町と分かるものの、町名看板は住所部分が完全に消えてしまっています。周りが一部錆びているので金属版のようですが、適切なホーロー加工(釉薬を塗って高温で焼成)がされていないように見えます。ビデオ(デッキ)の広告なので昭和末期のものですが、角も尖ったままで企業ロゴも切れてしまっていて、戦前からの仁丹の広告付町名看板と較べるとずいぶんテキトーです。

永観堂

東山に残る訪ねたことのなかった名刹、禅林寺永観堂の総門です。門前の青モミジと苔が美しい。

大玄関で靴を脱いで上がります。インバウンドさんが多いせいか、上り框に靴がいっぱい脱ぎ散らかされているのですが、十分スペースのある下駄箱も設置されています。自分は靴の行方不明恐怖症なので、ちゃんと下駄箱の覚えやすい場所に靴を収めておきました。

境内図の鶴寿台、釈迦堂、瑞紫殿、古方丈の4つの建物に囲まれた池のこちらからと向こうからの眺めです。

釈迦堂の庭の悲田梅、禅林寺七世住持の永観律師がここに施療院を置き、その実を病者や貧者に与えた梅だそうですが梅の木の寿命は100年程なので、当時の木ではないはず。永観(えいかん)堂の名が由来する永観(ようかん)律師は11世紀平安時代後期の人、浄土宗を創始した法然はそれより後、鎌倉時代の人です。禅林寺永観堂は浄土宗西山禅林寺派総本山ですが、平安時代初期に弘法大師の弟子、真紹が創始した真言密教道場が始まりだそうです。

立ち並ぶ堂宇で最大の法然上人像が安置された御影堂をぐるっと廻ると本堂の阿弥陀堂、本尊のみかえり阿弥陀と呼ばれる重要文化財の阿弥陀如来立像が安置されています。顔を左真横に向けた珍しい阿弥陀如来像で、お堂の右手に回るとそのお顔を正面から見ることができるようになってました。

阿弥陀堂は四天王寺の曼荼羅堂を慶長12年豊臣秀頼が移築したもので、鴨居は極彩色、調査結果に基づき5年近くを費やし復元されたそうです。永観堂のウェブページで、鐶木瓜花久留子・切竹久留子文(かんもっこうはなくるす・きりたけくるすもん)と呼ばれる十字架をモチーフにした幾何学模様、と紹介されています。どうやら屋根を支えている緑色の部分がそれのようです。慶長12年といえばまだ禁教令が出される前のことで、キリスト教に関わる文化がこのように継承できたものと推測します。

これが見たかった臥龍廊です。何十年か前に訪ねた会津若松飯盛山のさざえ堂のようなイメージを想像していたのですが、全然違うものでした。さざえ堂は螺旋状のお堂で、短い直線を繋いで螺旋が構成されているのですが、お堂を繋ぐ臥龍廊は自然のままの崖をぐるっと回り込み、垂木や欄干もしなやかな曲線で構成されています。

臥龍廊を上りきると「く」の字の廊下が天然の崖にへばりついていて、自然の中を靴を履かずに歩ける他で見たことのない景色です。この先の開山堂で行き止まり、もう少し続いて欲しいと感じさせる廊下です。

御影堂裏の三鈷の松、3本葉の松で、智慧、慈悲、まごころの三福を授かる松葉が境内の売店で配布されているそうな。向こう側の塔は御影堂と阿弥陀堂の移動をバリアフリーにしているエレベーターです。

後ろ姿の鳥は大きさからするとたぶんヒヨドリ。下駄箱の靴は元のままで無事に靴を履くことができました。

思ったよりずっと広く感じさせる境内、水平方向だけじゃなくて立体的にも堂宇が配置されていて、石段を上るとが臥龍廊つきあたりの開山堂の外に出て来ました。ちょっと嵯峨野の常寂光寺に似た感じです。

息を切らせてさらに石段を上ると多宝塔、振り返ると標高90mほどでも圧巻の眺め。

すぐ目に入ってくる金色の像は京セラ美術館で9月1日まで開催されていた「村上隆もののけ京都」展の「お花の親子」、展覧会は終了もまだ撤去されていない様子。その向こうに平安神宮の大鳥居、画面左端に岡崎動物園のレトロ観覧車が見えます。平安時代法勝寺の十三重塔が立っていた場所です。残念ながら5頭の象たちは見えません。

右手には金戒光明寺の文殊塔。正面の森に囲まれた建物は平安神宮の大極殿、つまり森は神苑です。さらに向こうの森は御苑。

手すりを握りながら慎重に石段を下ります。せっかく上ったのに多宝塔を撮るのを忘れてました。

電動草刈り機を使っているものの、伸びすぎた苔の先端だけをちょんちょんと刈り取る職人技に見とれていました。

放生池にやってくると連結ギンヤンマ。

スイレンの花粉を集めるクマバチとタイワンタケクマバチ。

ギンヤンマはずっと交尾したまま産卵。ひとつずつ卵を産み付けるそうです。

色とりどりの錦鯉が見事な正方形を描いていました。足元の石橋に平行しているのも不思議です。

自分の周りをオニヤンマが行ったり来たりも止まってくれません。ピントが合った感触がないままとりあえず何枚かシャッターを押しておいたらオニヤンマとわかる程度に撮れてました。トリミングしたのを並べておきます。

境内の一番奥にある石段は阿弥陀堂に続いていました。阿弥陀堂の鴨居は外側も極彩色。

墨染の衣に有髪のお坊さんが丁寧なあいさつをしてくださいました。

石段のさらに奥にせせらぎ、獅子門歴代句碑とあり、周囲に立ち並ぶのは墓石じゃなくて句碑です。獅子門とは松尾芭蕉に連なる350年もの歴史を持ち今も活動を続けている俳諧結社だそうです。句碑はどれも自分には読み取れず、「古池や蛙とびこむ水の音」の句碑もあるらしいのですが分かりませんでした。

せせらぎの奥にある滝、紅葉したところを見てみたいものです。湧き水が集まったものかと思いきや、琵琶湖疏水の水を引き込んでいるらしい。

さっき上った多宝塔です。少し紅葉も始まっています。

植えられたばかりと思われる地面の青モミジです。中門に戻るとすーっと涼しい風が吹いてきました。たっぷり2時間、テーマパークのように見どころたっぷりの永観堂、まだ見落としたものが少なくないような気がします。多宝塔への石段の手すりに代えてバリアフリーも兼ねて農業用モノレールを設置すればテーマパークのライドになるかと。

ちょっと飛躍してしまいますが、舞台だけでなく音羽の滝や子安塔まで広がる清水寺、曹源池から望京の丘、百花園へと広がる天龍寺、呂川と律川に挟まれた谷に広がる三千院などもテーマパーク的です。新・平家物語では京の庶民が家族連れで法勝寺へ物見遊山に出かける場面も描かれていました。大規模な寺社仏閣は太古の昔からテーマパーク的な存在だったと思われます。平安遷都1100年記念の内国産業博覧会の目玉として創建された平安神宮はまさにテーマパークそのものです。広大な公園に広がる東大寺もしかり。

ひいてはカトリックの大聖堂なども本質的には祈りの場であるもののテーマパーク的です。ノートルダムでも壁面の精彩な彫刻やステンドグラスを鑑賞し、塔の螺旋階段をぐるぐる回って上まで上がると見事なパリの風景が広がっていました。日常から離れ五感あるいは六感のバーチャルリアリティで感動できるのがテーマパークの本質とすれば、巨刹や大聖堂はやはりテーマパークと言ってよさそうです。

簾とアサガオの鉢、残暑厳しいものの、去りゆく夏が名残惜しくもあります。

来る前に見つけた喫煙可の喫茶店でいっぷく。哲学の道を歩こうかとも思っていたのですが、このままバスに戻って次の目的地へ。

高野川

修学院道で下車、次の目的地は高野川辺に立つジュゲムという定食屋さんです。この辺りの高野川は土手の道がなく、お店のすぐ横が高野川、運良く窓際のテーブルがゲットできました。

等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅で下車、「じゅげむじゅげむ…」に改名すればと書いた時に見つけたお店で、河原に鹿が毎日のように姿を見せお店の窓から鹿を見ることができるという情報につられやって来た次第。奈良の鹿だと当たり前すぎますが、京都の鹿だとネタになります。

日替り定食を食べながら窓の外をずっと観察していたのですが、鹿は現れず。シカしながら「高野川 鹿」で検索するといくらでも動画や画像が見つかります。ずいぶん前ですが、宝ヶ池の森の中で鹿に会ったことがあり、その仲間だと思われます。

諦めてお店を出てお店の駐車場から川面を眺めているとセグロセキレイ。宝ヶ池に行ってみるか、少し足を伸ばして貴船や八瀬へ行ってみようかとも考えたものの、鹿との出会いを期待して高野川沿いを歩くことにしました。

アオサギがなにかを捕まえました。何度も川に落としてはくわえ直しています。拡大してみるとなんと小ぶりのスッポンです。

かなり四苦八苦していたものの、なんとか呑み込んでしまいましたが消化できるのでしょうか?

ハグロトンボ♂です。土手の斜面にはワルナスビ。

フイーという鹿らしき獣の鳴き声が聞こえて来てさんざん周りをチェックしたものの見つからず。

右岸へ移動。比叡山が綺麗、その向こうは横高山と水井山です。ところどころ日陰のある高野川右岸を歩きます。

ハグロトンボがいっぱい。

キバナコスモスにツマグロヒョウモンはフジバカマにアサギマダラみたいな組み合わせです。

おっと、黒豆が散らばっていました。ついにこの周辺まで鹿が出没している揺るぎない証拠です。

お目汚しに代えてキバナコスモスのツマグロヒョウモンをもう1枚。

土手いっぱいのキバナコスモス。キバナコスモスとツマグロヒョウモン♀じゃなくてヒメアカタテハです。

キバナコスモスにナミアゲハ。遠くに見える一部地面がむき出しの山は五山送り火「法」の松ヶ崎妙法。

糺の森を横切って賀茂川へ。鳥の声はいっぱい響いてくるものの暗くてもう探せません。「下鴨一老女」と何とも奥ゆかしい献灯。名を残すより思いを残すおばあさん、おそらくもうご存命ではないと思われるものの、さぞかし優しげな方だったと思われます。

ずいぶん前の雪の日に下鴨一老女さんのことを書いていました。上の写真とは別の場所の献灯ですがおそらく同じ方の献灯かと。「下鴨一老女」でググってみると上位に自分のブログが出てきて、僅かながらでもその思いをお伝えできたのかも知れません。賀茂川土手の石段を上がります。

高野川よりずっと川幅が広く見える賀茂川です。

いつも出町柳からちょっとだけ賀茂川を歩く時の目標にしている丸い木。

ハナトラノオとシオン。

ずーっと飛んでるまんまのウスバキトンボがキバナコスモスに止まってくれました。電線には口呼吸のハシボソガラス、年中全身黒装束は自分たちよりずっと暑いはず。

出町柳で8000系特急に乗り込み、もうまっすぐ帰ろうかと思いつつ、祇園四条で途中下車。ものすごい人人人の夕暮れの四条大橋を渡って御幸町へ。

PRiVACE

いつもの高田酒店でプファー、アテはハモの切り落としを梅肉で。

ええ塩梅になってお店を出るとすっかり日が暮れていた御幸町通です。

お酒を飲みながらスマホで予約した初乗りのPRiVACEです。専用アプリ不要、ブラウザからアカウント登録なしであっさりPayPay決済できたのは高く評価したい。

車内はガラガラ、まだ座席購入方法が周知されていないのが原因と思われます。豪華ではあるものの重々しいばかりでおしゃれ感がなく京阪のプレミアムカーに較べ見劣りします。もう木質感を高級感の演出には使わない方がよろしいかと。Private SpaceからPRiVACEという造語のネーミングもダサいと感じさせますが、一番気になったのは窓の横幅が狭いこと。

烏丸から爆睡、目が覚めたら梅田、寝心地は大変結構でした。

子供の頃ウチのネコは代々「トム」でした。このいつもマヌケなトムさんに因むもので、トムとジェリーに馴染みのない祖父母もトム公、トム公とすごく可愛がっていました。