奈良きたまち

スナガニかサワガニか悩んでサワガニに会いに行くことにします。

地下ホームで快速急行を待っていると、両側のホームからスマホで特急を撮る小2くらいの少年たち。祖父のキャノンデミを借りて初めて写真を撮ったのはせいぜい6年生くらいのこと、今や昔。

やってきたのは最近よく当たる志摩スペイン村ラッピングの5800系L/Cカー。

クロスシートモードも進行方向反対を向いていたのでひっくり返そうと背を傾けても回転しません。座席の下にペダルを見つけ踏んだら回ったもののペダルがかなり奥に位置していて分かりにくいです。

鶴橋から乗り込んできた隣の席の人も、自分と同様に背を傾けても回らないので方向転換は諦めて後ろ向きに座ってしまいました。土日の奈良線L/Cカーはクロスシートモードで運用され、運転室からリモートで一斉に回転できるものの、三宮での方向転換が阪神電車で徹底されていないのがちょっと残念。

東向商店街のカフェでモーニング、ブッダボウルなるアメリカ西海岸発という野菜丼を試してみました。びっしりの具の下は白米じゃない十八穀米か何か。肉団子のようなものは「肉」ではないかも知れませんが、ゆで卵ものってるのでヴィーガンメニューではなさそうです。周りのテーブルは欧米系のお嬢さんばかりの中で日本人のおっちゃんひとり(←自分)、これだけインバウンドさんが増え、インバウンドさんたちの多様な文化も、日本人が輸入することなく日本人の生活に入り込み始めているのかも。

二月堂裏参道へ向かう前に行ったことのない場所を巡ってみます。旧鍋屋町交番(きたまち案内所)前をさらに北へ。

重要文化財の奈良女子大学正門です。奥に見える屋根に小さなキューポラの立つ瀟洒な洋風建築は明治42年竣工の旧本館、こちらも重要文化財。

奈良女子大学の敷地が江戸幕府の奈良奉行所だったとは知りませんでした。大坂町奉行所や京都町奉行所よりずっと大規模だったらしい。大坂城や二条城のような幕府の城が奈良になく、その代替を果たしていたようです。

さらに北へ、この辺りから初めて歩く知らない奈良です。料亭の店先に置かれた鉢を覗くと銀色のメダカ。

佐保川に出て来ました。

聖武天皇と松永久秀

佐保川を渡った向こう側が今日最初の目的地、聖武天皇佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)です。歴代天皇で人気の高いと思われる聖武天皇ですが、ひっそりしていました。

参道脇には水草に覆われた古池。参道の砂利にかなりの数の黒豆が散らばっています。まとまった数のシカたちがいたようです。

10mほど先の木立の影に牝鹿。奈良公園から500mほど離れた場所で、奈良公園のシカたちと比べて人馴れしていないように見えます。

さ雄鹿の 朝立つ野辺の秋萩に 玉と見るまで 置ける白露 - 大伴家持

万葉集に鹿を詠んだ歌は少なくなく、太古の昔もこんな様子だったかと。牝鹿は拝所への石段脇の急坂を駆け上っていきました。

石段を上がった聖武天皇佐保山南陵拝所、鹿は森の奥へ入ってしまったようです。

隣接する聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后佐保山東陵、光明皇后陵です。生垣にオオスカシバがいたもののピント合わず。

2010年のテレビドラマ大仏開眼では聖武天皇を國村隼さん、光明皇后を浅野温子さんが好演していました。病弱で優柔不断も、飢饉や天然痘が蔓延し政争が絶えない四面楚歌の中、遷都を繰り返し試行錯誤を重ね、墾田永年私財法を制定し、反政府側だった行基の協力を得て大仏を建立、責めはわれ一人にありとの言葉を残した聖武天皇、藤原氏の傀儡政権樹立を狙っていたとされる光明皇后も施薬院や悲田院を設立し民の救済に尽力、聖武天皇崩御の後は遺品を東大寺に献納し正倉院の礎を築いています。日本史上初めて国民を強く意識したまつりごとを行った夫妻だったのではないかと思います。

佐保川に戻るとスッポンがいました。ごっつい手に鋭そうな爪、それに意思の強そうな目つきです。

かなり古いモノと思われる土塀、京都では見かけない奈良っぽい鄙びた道です。

仁丹広告付き町名看板が掲げられていました。これから向かうのは多聞城ですが、「もん」の字が違ってます。これまでにブログに掲載した町名看板のページを作っていて、奈良は2枚目。

かなり急な坂道を息を切らせながら上って若草中学に辿り着きました。遺構は殆ど残されておらず、中学校の敷地なので自由に出入り出来ないものの、ここが松永弾正久秀が築いた多聞城跡です。

安土城天守はそれを真似たという四層の櫓が築かれていた日本の城郭建築の元祖、大阪城にも残る長屋風の櫓が多聞櫓と呼ばれるのもこの城が由来です。

案内板には、西側の光明皇后陵、聖武天皇陵を含む範囲と考えられ、とあります。余呉くんのお城のページの図面を見ると、光明皇后陵は西の丸、聖武天皇陵は出城だったようです。戦国時代三悪人のひとりとされる久秀だけに、聖武天皇への敬意も持っていなかった、とも取れますが、聖武天皇陵、光明皇后陵と宮内庁により治定されているものの確証はなく、多聞城築城は聖武天皇崩御の800年も後、多聞城築城から現在までよりずっと長い時間が経っています。戦国時代は対決する興福寺がよく見下ろせる小山が並んでいるだけだったのかもしれません。

松永久秀といえば麒麟がくるの吉田剛太郎さんがイメージにぴったりでした。権謀術数を巡らす希代のヒールではあるものの、城造りの天才、平蜘蛛釜と自分の首は信長公のお目にはかけぬ、と平蜘蛛釜を抱え爆死したほどの希代の好き者でした。多聞城は、天守閣の城造りを久秀の功績として残したくなかった信長により徹底的に破壊されたそうな。大仏を造営した聖武天皇と大仏を焼き討ちした松永久秀、双方の面影を偲ぶことができました。

二月堂へ

振り返ると若草山、若草中学と名付けられた理由が分かります。手前には大仏殿と二月堂、あそこまで歩きます。

佐保川のハグロトンボ。

ショウジョウトンボも。川の表情が変わってきた佐保川です。

川の左岸は多門町、川の右岸は多聞山で住所は法蓮町、62世帯だけの多門町に対して、法蓮町は4,000世帯以上、不退寺辺りまで含まれる広大なエリアなのに丁目も設定されておらず、奈良市行政の不思議です。

今在家町交差点、右の道は柳生街道、左の道は伏見への奈良街道。奈良街道を少し北へ行ったところにコスモスで有名な般若寺、宮本武蔵の般若坂の決闘があった場所でもあり、コスモスの頃に再訪することになりそうです。

アンテナのイソヒヨドリ♀がいい声で鳴いてました。

今在家町交差点をまっすぎ東へ進みます。駐車場の片隅にかなり古そうなカエルの石碑、三日月形の石のかたちも面白い。さんざん調べてみたものの何なのか不明です。

茅葺きの旧細田家住宅、奈良町と農村の境界付近に位置し、江戸時代初期築の奈良町最古の民家だそうな。お隣は細田歯科医院、歯科医や開業医を営む旧家が多いように思います。先年百歳の天寿を全うした伯父の家もかつて茅葺きの診療所でした。

東大寺の境内に入って来ました。コゲラです。正面に大仏殿、右手は正倉院。

聖武天皇陵にいたシカと違って人馴れしているシカです。かなり遠回りしましたが、ようやく目的の二月堂裏参道に到着。

いました、サワガニ。

少し川上にずっと大きいヤツ、ハサミもでかい。

ラグタイムのBGMを入れてみました。後半葉っぱについた何かをしきりに毟ってモグモグ。いつもハクセンシオマネキやスナガニたちばかりをみているので、両手で食事するのが目新しく感じられます。

二月堂とシカ。

えらく人が少ない二月堂です。台風で奈良旅行を取りやめた人が少なくなさそうです。

屋根裏で2匹のネコがウーウーと唸りながら見合っていて一触即発状態。

破格に巨大な東大寺鐘楼です。リスアカネが現れた。

鏡池周辺も人少な。殆どが欧米系の人たち、特にイタリア語がよく聞こえてきます。可愛いバンビちゃんです。

大仏殿駐車場の喫煙所でいっぷく、世界中に愛煙家がまだまだ少なくないと分かります。

吉城園

知る人ぞ知る木戸を引いて森の道を抜けて吉城園、茶花の庭の東屋で腰を下ろします。

花は少ない中、ムクゲの花。葉がギザギザはムクゲ、葉が手のひら形はフヨウです。

ニンジンボク、ハーブの一種で、見たことのあるような花ですが、ハマゴウの仲間だそうです。

中央部が薄いピンクの白い萩はマキエハギ(蒔絵萩)とても美しい名前です。

我が待ちし 白芽子咲きぬ 今だにも にほひに行かな 彼方をちかた人に - 柿本人麻呂

白い萩を万葉集で探してみたら一首、芽子は萩のこと、白は秋を意味するらしく白い萩を詠んだものではないらしいのですが、いちおうズバリです。

氷室神社を覗いてみると氷柱はずいぶんちっちゃくなってました。氷室神社にちなんで今や奈良はかき氷の聖地とされるそうですが、お腹が膨らまない、お酒のアテにもならないかき氷に1杯1,500円は自分には無理、せいぜい宇治ミルク金時まで。

裏木戸から入って来たのでいつもと反対ルートで回る吉城園、美しいスギゴケのカーペットが広がってます。

苔の庭の縁を飾るのはギボウシ。

去年の秋にも吉城園でたくさん見たリスアカネです。

前からと上から。

奈良町の内、ならまちより北側、地下を近鉄が走る大宮通りの北、航空自衛隊や佐紀町を経由する西大寺駅行バス停のあるやすらぎの道より東、東大寺より西、京都との府県境より南のエリアは「奈良きたまち」と呼ばれ、今日ぐるっと歩いてきたエリアです。県庁前で大宮通りを渡って興福寺へ、つまりこの先は「ならまち」ということになります。

ならまち

興福寺五重塔は完全に足場に覆われてしまってました。猿沢池からはこんな感じ。令和12年までこの景色でガマンが強いられます。

お好み焼き 団で遅いランチ、暖簾をくぐると、おばちゃんの耳が遠いのでものすごい音量で24時間テレビがかかってたのを、ちょっと絞ってと頼むとテレビを消してしまいました。特大牛肉と特大豚肉がのって中にはイカがゴロゴロ入ってるミックス焼き、朝のヴィーガン食風の野菜丼の効果を帳消しにしてしまうような高タンパク高カロリー食です。

お好み焼きを食べている間に結構降ったようです。

いつものようにドトールでいっぷく。大汗かいて胸ポケットに入れていたインパクトワンが原型を留めていませんでした。

帰りもL/Cカーの快速急行、もう10年も近鉄奈良線開業100周年ラッピングのまま走っているヒストリートレインです。

3番線に京都市交通局の最新型20系、初めてお目にかかったのですが、何やら東急や東京メトロの新型に似た東京顔の電車です。続いて2番線にもL/Cカーの快速急行が入線。座席の転換シーンを縦長動画で撮ってみました。縦長動画(ショート動画)は埋め込みコードが発行されないのでテキストリンクです。3列ずつの座席がダンスをするように交互に回転、こんなにスグレモノなのに、阪神神戸三宮駅でもしっかりデモンストレーションして欲しい。

雨模様の大阪平野も美しい。