京都の残暑

ちょっと過ごしやすくなったかと思いきやまだ続く猛暑日。それでも大阪より暑い京都へ向かうことにしました。曇りがちとの予報なので、何とかなるかと。行ったことのない等持院へ。

東梅田から阪急へ。いつもめちゃ人が多いこの場所がなぜかガラガラでびっくり。クリスマスやらバレンタインやら、いつも楽しませてくれるウィンドウディスプレイもどうやら入れ替え中のようです。ちなみに昭和40年代まで電車のホームだったこの場所の名前は阪急梅田本店コンコースだそうです。

2号線から8:48の準特急が発車するところに間に合いました。9時以降特急になるので朝の最終準特急です。これだと西院へ乗り換え無しで行けます。最後尾から飛び乗ったので、ひとつひとつ連結部のドアを開けて先頭車へ。連結部のドアが自動ドアになっているもののセンサーがどこにあるのか分からず脇に座っている人が教えてくれました。

カブリツキが空いていたので迷わずゲット。いつの間にか南海や近鉄よろしく阪急の運転士さんも運転室右窓前にバッグを置くようになってしまい幅1/3ほど視界が遮られているものの、ずっと首を右に向けて京都へ。水無瀬で新幹線と併走。このシーンなかなか撮れないです。

特急だと桂で準急連絡のところ長岡天神で連絡、何と準急は長岡天神で8分も停車です。桂で準急に乗り換えても格別不便でもないので、朝晩に特急を準特急に代えて西院と大宮に停める理由がどうもよく分かりません。

西院に到着。利用は初めてのはずの準特急、Privaceは連結されていない9300系です。Privaceが連結されていたら最後部から先頭車へ移動することはどうやらできなかったようです。大宮寄りの北改札ができて嵐電乗り換えはずいぶん便利になったと改めて感じさせられます。

嵐電西院駅のホームに出るとモボ106が入れ替え作業中。車庫にモボ301も見えます。

ほどなくモボ301も入れ替えで上り本線に出て来ました。

大好きな電鐘式踏切、踏切待ちの人がひとりもいなかったのはラッキー。

モボ631江ノ電号に乗車。単行の車内は満員。春秋の観光シーズンは2連になる嵐山本線ですが、今や年中観光シーズンのはず、単行では厳しいかと。嵐電所有は全て電動車、電動車2両での運用はコストがかかるので、トレーラー(クハやサハ)が欲しいところです。

社章を隠すように料金表が掲げられていました。嵐電の新型Kyotramが今年度中に導入予定で、インスタで車両組み立て中の様子まで紹介されています。新型導入時に社章を変更するのではないかと推測。

帷子ノ辻で北野白梅町行に乗り換え等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅に到着、下車したのは自分だけ。

一時期日本一長い名前の駅名だったものの僅か7ヶ月で日本一の座を明け渡したそうです。全然無意味な競争で元の「等持院」、せいぜい「等持院立命館」で十分かと。あるいは「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ…中略…ちょうきゅうめいのちょうすけ」とでもして競争に終止符を打つといいかも。

京都とじゅげむで話しが繋がらないかググってみると、修学院駅近く高野川べりにジュゲムという定食屋さんを発見。自分好みな感じです。

等持院

駅から5分ほどで等持院、足利尊氏が夢窓疎石を開山(初代住職)として開基した臨済宗天龍寺派の寺院で、境内に尊氏の墓所もある足利将軍家の菩提寺で等持院は尊氏の戒名です。

外国人観光客で大賑わいの天龍寺と違ってひっそり、靴を脱いで下駄箱に置くと他に一足だけ。達磨の障壁画とお庭だけ撮影OKと確認。達磨図は臨済宗天龍寺派管長、天龍寺二百四十一世で等持院住職を兼ねていた関牧翁の筆、何となくアラジンの魔法のランプを彷彿とさせます。

方丈の右手に枯山水のお庭、その奥にある霊光殿に歴代足利将軍と徳川家康の木像が安置されています。足利将軍15代の内、なぜか第5代義量と第14代義栄は不在。第6代義勝は少年の像、満9歳で死去、在位はわずか9ヶ月だったそうです。

方丈の左手は夢窓疎石作と伝わる池泉廻遊式庭園の芙蓉池、サンダルを履いて歩き回れるようになっています。

芙蓉池の向こうのビルは立命館大学衣笠キャンパス。衣笠キャンパスは理工系、文系と本部は朱雀キャンパスだそうです。衣笠キャンパスの向こうには衣笠山が聳えていて、元は衣笠山を借景にした庭園だったもらしい。竹林は衣笠山を隠してしまった衣笠キャンパスを隠すためだそうです。

芙蓉池のメダカです。

ロープに止まっていたオオシオカラトンボが葉っぱに移動してくれました。

ハンゲショウはもう殆ど白い部分が無くなってます。

芙蓉池を奥へ進むともう一つの池泉回遊式庭園になっている心字池。ふたつの池の間に足利尊氏のお墓があります。

早々と紅葉し始めたモミジです。

思ったよりかなり広い池泉回遊式庭園、それを完全に独り占めしている自分です。惜しむらくは今咲いている花は僅か。

ふつうのシオカラトンボです。

オオシオカラトンボの合体。

森の中にアオサギ、なんでここに?

カクレミノはクマバチの大好きな木だそうです。BGMはツクツクボウシ。

カクレミノにはタイワンタケクマバチも。

オタマジャクシが時々息継ぎで池面にでてきます。何カエルかは不明。

芙蓉池北側の小山の上に立つ茶室、清漣亭からの眺めです。

とても丁寧に丹精込めて手入れされている等持院のお庭、天龍寺と同じ庭師さんかどうか確かめてみたいところです。花や紅葉の季節に再訪したいと思います。

等持院を出てもうひとつの目的地、上七軒へ向かいます。笹屋町通の洋風なお宅のトクサ、ハイセンスな京風です。

塀から外にはみ出したブルーはルリマツリ。

笹屋町通を東へ。聖母子像は洛星中学校・高等学校、完全中高一貫の男子校で京大進学者数は私立校一位だそうですが、グラウンドでサッカーしていた少年たちの様子から、自分が1年でドロップアウトしたミッションスクールとは異なる自由な校風が感じられました。

笹屋町通では西大路を渡ることができず北野白梅町で西大路を渡ると「北野廃寺跡」の石碑。平安京ができる前、古墳時代からの寺院の跡だそうです。平安京ができる前の京都はどんなだったか、これまた興味深いです。

上七軒

北野橋、下を流れるのは天神川のはずですが紙屋川となっています。ここから川上は紙屋川の別名があるそうです。西大路通じゃなくて紙屋川を境に東側が上京区でつまり洛中、少し遡り北野天満宮の東側には御土居も残されています。ちなみに紙屋川の西側、白梅町や等持院は鴨川源流のある雲ヶ畑まで広がる北区の南端です。

趣きのある町並みに入ってきました。上七軒です。

上七軒芸妓組合です。

マップにマーカーをつけていて今日はここでランチのつもりだったお店は本日定休日、マップの情報と違ってました。

上七軒歌舞会は夏場にビヤガーデンになるのですが、まだ営業時間前でした。

北野天満宮は太宰府天満宮と並ぶ天満宮の総本社。自分の実家のすぐ近くに天神宮があって格好の遊び場だったのですが、悪さをして神主さんに叱られたことを思い出します。境内をぐるっと回って御土居のもみじ苑へ行ってみたかったものの、炎天下で道が分からず諦めました。

上七軒通、祇園と並ぶ京の花街ですが、人通りは僅か。春に訪ねた島原は花街というよりかつての遊郭。芸妓の活動拠点が花街、娼妓の活動拠点が遊郭と定義されるようです。オロナミンCやボンカレーのホーロー看板も残されていると聞いてやってきた上七軒ですが、暑さで探すのを忘れていました。

うな重が2千円しないお店を見つけランチ。お手洗いを借りてテーブルに戻るともうお重が置かれていたので、作り置きと分かり、蓋を取るとガッカリ。大きさだけじゃなくて蒲焼っぽくないです。あまり何度も見たくないので写真はテキストリンクだけにしています。

府立植物園

千本今出川の喫茶店でいっぷく。まだ帰るのは惜しいけど、歩き回るには暑い。曇りがちとの天気予報はハズレ日差しはまだ強いです。

温室が涼しいはずなので、植物園に向かうこと決めました。サギソウが見られる可能性が高いです。206系統の市バスに30分も乗って植物園前で下車、並木道じゃなくて鴨川沿いから正門へを入るとヒマワリに囲まれたティラノサウルス。25日までのタキイ種苗とシュライヒの共同企画だそうです。

子供の頃たくさん買ってもらって集めひとり動物園ごっこをしていたライオンやシマウマの動物フィギュアはシュライヒ製だったと今さらながら気付かされました。1935年創業の元祖海洋堂みたいなドイツのおもちゃメーカーです。

ジャングル室、冷房室、砂漠サバンナ室、高山植物室と温度がくるくる変わる府立植物園の温室、サウナと水風呂の繰り返しに似ています。

花を咲かせていたバオバブ(画面左上に枯れかけた白い花)。ワスレナグサは同じ水色の花も六甲高山植物園で咲いていた葉っぱが毛むくじゃらのノハラワスレナグサとは別の品種のようです。

似た規模の府立植物園温室と咲くやこの花館も、この日の府立植物園高山植物室は殆ど花は咲いておらず、咲くやこの花館が勝ち。

期待通りサギソウ。温室のラン・アナナス室に品種の異なるサギソウの鉢が4つ並べられていました。数日前に大阪本町の坐摩神社も訪ねてみたのですが、タイミングを逃したようで、花のないわずかな鉢だけでした。

iPhoneの方がくっきり綺麗に撮れました。

サギソウの反対側にショクダイオオコンニャク。8月はじめ頃、世界最大級の花が3年ぶりに3日間だけ開花、期間中温室は無料開放され賑わっていたらしい。生ゴミのような強烈な臭いだそうです。

温室前の蓮池でコシアキトンボの飛翔。

クササンタカの蜜に夢中のタイワンタケクマバチ。

何度も来ている府立植物園、地図をチェックすることなく記憶を頼りに水車へ向かいます。ハグロトンボ♀です。

コットンコットンいい音で回る水車ですが、水で回転しているのではなくたぶん水車小屋の中に動力があるはずと推測しています。

水車足元のシュウカイドウはいつも通り。

ハグロトンボ♀、前翅が大きく欠けてしまってますがしっかり飛翔していました。

せせらぎ周辺全体でまとまった数のハグロトンボが舞ってます。

曇りがちの予報は外れ日差しは強いまま。ひょうたん棚でしばし涼みます。

アオモンイトトンボの♂と同色型の♀が産卵中。シャクトリムシのようなアクションです。

チャバネセセリとショウジョウトンボ。

色の無い見たことのないイトトンボ。さんざん調べてみたものの不明です。

川に咲いた一輪だけの黄色い花はミズキンバイ、環境省レッドリストの絶滅危惧Ⅱ類です。

黒いイトトンボ、胸はグレーで肩に条も入っています。

アオモンイトトンボです。

水車まで戻るとハグロトンボも産卵中。

口を開け肩で息をしているハシボソガラス、黒いだけにさらに暑いかと。

またまた森の中の道にアオサギ。

さっきからゴロゴロ雷が鳴り出していますが降りそうで降ってきません。折りたたみは持ってきているのでサーッと降って欲しいところです。

比叡山とバラ園です。

出町柳へ行ける204系統より先に205系統が来たので乗車、新葵橋で下車、鴨川を覗くも鳥は少なくカルガモだけ。

葵橋の橋の下にある京都市電の紹介看板。自分と同じ1959年製で、1979年から1980年にかけて広電に移籍、15両全てが元気だった1900形の内、1902と1903の2両がついに引退、1903はすでに解体されたそうです。8年前の1902の写真がありました。

昭和36年の京都市電路線図、今日バスで移動した206系統の千本今出川から植物園前、205系統の植物園前から新葵橋(葵橋東詰)がそのまま市電で移動できたことが分かります。

比叡山辺りの稲光を眺めつつ河合橋を渡り出町柳、ランチが寂しかったのでちょっと豪勢なプファー。この前ランチしたお店です。

〆の鯖寿司、京都の鯖寿司と大阪のバッテラは似て非なるものと分かりました。京都のサバは大阪のサバよりはるかに肉厚、箱寿司で四角い大阪に対し、京都は巻き簾で巻いてぎゅっと押してあります。昆布がのっていませんが、これはこの店の仕様かと。当然バッテラの倍以上の値段の鯖寿司、ふた切れでも結構お腹が膨らみます。ちょっと京都に住んでみたエピソード1で佳奈さんが京都のキワの音羽川砂防ダムでおじさんから頼まれた竹皮包の鯖寿司を残さず食べてしまったのを思い出し、もう一度チェックしてみると、佳奈さんの鯖寿司は昆布で巻かれていました。

ゴロゴロ鳴っていたけど結局一滴も降りませんでした。