嵐山で花見して島原の花街へ
近所の公園も桜が満開、足が悪くて普段殆ど外に出ないようなおじいちゃんおばあちゃんたちもシルバーカーを押しながらお花見していました。桜には日本人を元気にする効果があるのは間違いなさそうです。
人と同じことをするのが嫌いで花見は桜より梅に限るなどとうそぶいている自分も人並みに桜の花見をしたくなりました。北へ賀茂川か、東へ佐保川か、南へ吉野か、西へ夙川か、さんざん迷い、人混みが大嫌いなのに、よりによって嵐山へ行ってみることにしました。
川辺に置かれていたのはラジコンの屋形船、船頭はリカちゃん。一言断って撮らせてもらいました。
対岸に戸無瀬の滝。2年前にあの道を歩いてます。
ホーホチョケチョホイ、聞き覚えのないウグイスのフレーズ。かなり近いのですが姿は見えません。
保津川の河原にダイサギが下り立ちました。展望台の外の木立にウラギンシジミ。
大悲閣千光寺からこちらを撮った写真です。この写真の左手に見える案内板の表面はトロッコ列車の時刻表で、現在地はトロッコ嵐山駅すぐ近くなのに、上り列車の案内はトロッコ保津峡駅の発車時刻が掲示されていました。スマホで上り列車のトロッコ嵐山駅の時刻をチェックした自分の方が正確なはず。
島原を歩く
実は今日一番の目的地は嵐山じゃなくて島原。花と火の帝で猿飛佐助と霧隠才蔵が六条三筋町で代書屋を営んでいる場面まで読み進み、秀吉の時に二条柳馬場に公許されていた花街が関ヶ原後に六条三筋町に移され、さらに寛永18年に京市街西に位置する朱雀野に移され、島原の乱の直後だったため島原と呼ばれるようになったそうです。輪違屋や角屋といった揚屋が今も残されていると分かり訪ねてみたくなった次第です。
輪違屋です。現在も営業を続けている日本で唯一太夫を抱える置屋だそうですが、人気は感じられません。
10年以上前、浅田次郎の輪違屋糸里を読んだことがあります。近藤勇ら天然理心流派と芹沢鴨ら水戸派の新選組内部抗争を背景にした輪違屋の天神の糸里と土方歳三の恋ものがたりです。天神とは太夫に次ぐナンバー2の遊女で揚代が25匁(55,000円くらいと思われます)だったことから北野天神の縁日の25日に引っ掛けて天神と呼ばれていたそうな。
台東区の吉原のように風俗店は残っていませんが、スーパー銭湯や日帰り入浴できる宿が並んでいます。帰ってから調べてみると誠の湯などなかなか風情のある設備でかつリーズナブル。お風呂が苦手な自分も入ってみたくなりました。
ガラス障子の並ぶ木造2階建てを背景にヤエザクラと新緑のコントラストが美しい。