大悲閣

街道をゆく26 嵯峨散歩で司馬先生は嵐山にある角倉了以のゆかりの大悲閣千光寺という山寺を訪ねています。渡月橋付近で嵐山の家の子に訊ねても知らないという自分も聞いたことのないお寺、調べてみると京都で屈指の貧乏寺としてミステリー小説の舞台にもなってます。保津川右岸の嵐山の中腹にありインバウンド華やかな頃は見晴らしの良いお寺として大人気だったようです。マップをみると大悲閣の保津川対岸は嵯峨野観光鉄道の線路、どうしても訪ねてみたくなりました。

3週間前と同じ、梅田10:32の「快速特急A」6300系京とれいんです。今日は先頭車かぶりつきじゃなくて中間車にしてみました。向かい席に足が届かない広いボックス席、581/583系の昼行特急を思い出します。格下げ改造されて普通列車用419系になってから金沢出張で乗った記憶はあるのですが、特急の時も乗ったことがあるはず。リクライニングしないし、ちょっと損したような気がした記憶があります。でも6300系京とれいんでは足元の狭い転換式クロスシートよりこのボックス席の方が圧倒的に快適です。

西向日手前で菜の花満開の小畑川を渡ります。遠景の愛宕山も美しい。

桂で6300系から6300系に乗り換え。1976年ブルーリボン賞のパネルは改造されても大切に掲げられていました。自分にとって何かと思い出深い車両です。

シダレザクラと飛行船

阪急嵐山駅前のシダレザクラにメジロ、艶やかです。

櫓に囲まれた駅前シダレザクラの全体像です。近くからケキョケキョと響いてきます。声の方を探してみると分かりにくいもののウグイスが写ってました。

比叡山をバックに遅咲きのシダレザクラが満開、渡月橋の向こう側は亀山。亀山天皇に因み亀山と呼ばれるようですが、山容が亀の甲羅に見えます。

嵐山のサクラはこんな感じ。桂川の上空をヒドリガモたちが舞ってます。渡月橋の上流は大堰川、保津峡付近は保津川、その上流は大堰川、さらに上流は桂川、もっと上流は上桂川と名前を変えるのですが、行政上は淀川から分岐して広河原付近の源流まで全部桂川だそうです。

飛行船がやってきました。スーパードライの全国キャンペーン、先週のよんちゃんTVで山中アナがこの船内から実況されてました。

渡月橋の上流側に回ります。嵐山でも来たことのないエリアです。

大堰川右岸を歩きます。渡月橋にあれだけいた人が全然いなくなりました。振り返ると渡月橋と比叡山と飛行船。

千鳥ヶ淵

ところどころにシャガの花。小さな滝は「戸無瀬の滝」、古来多くの歌人に歌われ、歌川広重の名所図会にも描かれています。かつては大堰川左岸からもよく見える大きな滝だったものの角倉了以の開削工事や明治以降の治山工事でごく小さな滝になってしまったそうです。

タチツボスミレもたくさん咲いてました。川端にインバウンドさんたちの熱い想いが伝わってくる看板。

柵も何もなくてちょっとおっかなかった大堰川右岸の道に柵が登場すると坂道、上って下りると岩場が広がりました。

カワウとオオバンです。列車の音が渓谷に響いて河原に降りてみるとトロッコ列車が見えました。

振り返るとこんな景色、岩の隙間から咲いているスミレはコスミレかと。街道をゆくに出てくる千鳥ヶ淵とはこの辺りのことのようです。千鳥ヶ淵というと桜で有名な皇居の北のお堀ですが、嵐山にもあるとは知りませんでした。チドリは見かけなかったけど、キセキレイは見かけました。ヤマセミが好みそうな地形です。

古来筏も通さなかった保津川を開削し丹波の木材を京都へ運べるようにしたのが角倉了以と息子の角倉素庵です。鴨川沿いに高瀬川を開削したのも角倉了以。街道をゆくでは、保津川の川面に櫓を構え、巨大な鉄棒をウィンチで引き上げ、どすんと落として水面下の岩を砕くという工法がビジュアルに紹介されていました。江戸時代初期、幕府ではなく、角倉了以が私財を投じての大事業、奈良時代でいえば行基、現代でいえばイーロン・マスクかな。

ヒドリガモ♀がプカプカ。ラフティングボートが下ってきました。

保津川下りの舟です。なんとお嬢さんふたりの手漕ぎボートが間近にやってきました。ボート乗り場から800mくらいあります。その向こうで2艘の舟が寄り添っているのは、屋形舟のお客さんが売店の舟からお酒やおでんを買っているようです。いずれも他所では見たことのない光景。

カナヘビがいました。名前と異なり見た目の通りヘビじゃなくてトカゲの仲間です。径の突き当りは星のや京都、星野リゾート経営の高級旅館。くるまじゃなくて嵐山から屋形船で送迎してくれるようです。司馬先生が訪ねた頃は嵐峡館という料理旅館で、執筆の20年も前に嵐山からいきなりここへきたとを思い出しています。左手の石段の径を上ります。

大悲閣千光寺

石段の脇に大きな石碑、芭蕉の句碑です。

花の山二町のぼれば大悲閣

右下はたぶん「はせ越」の落款です。長谷寺の句碑にもありました。初瀬と掛けた落款がお気に入りだったようです。

芭蕉の作品とするには気の毒のような出来である。

司馬先生もこう評するようにガイドブックのような一句ではあります。しかしことばがなだらかで景観の大きさが表現されているそうです。その二町(約218m)を上ります。

ワラビが咲いていたのでレンズを向けていると向こうからやってきたカップルの女性が、ツクシですか? と。ワラビとツクシの区別くらい覚えなアカンで、と口からでそうなのを抑えたものの、若い女性から声を掛けてもらったのは嬉しい。

しばらく上ると正面の門が閉ざされていました。司馬先生が訪ねた時は、この辺りで引き返しています。大悲閣は1959年の伊勢湾台風で大きな被害を受け、仮補修でしのぐも1978年に解体、2012年に正式に改修されています。

閉ざされた表道の左手から脇道が続いていて上れるようになっています。脇道の入口に角倉了以の肖像画と並んで杖が立て掛けられていて、1本借用します。

大堰川開削工事の犠牲者を弔うために大悲閣を再興した角倉了以の肖像画、鋭い眼光、への字に曲げた口、とても意思の強いひとだったことは間違いなさそうです。

石段の途中に竹筒で引いた湧き水の瓶、触ってみるともっとひゃっこいと思ったらそれほどでもありませんでした。

石段途中の草葺の山門をくぐると鐘楼、その脇からの眺め、大堰川の水面が見えます。

400円払って目の前にあった縁台でひと休み。真正面に双ヶ丘が見えます。受付をしていたご住職に、双ヶ丘の方が10倍キツかったです、と話すといささかご不満げでした。

中央が本堂で千手観音菩薩と角倉了以坐像が安置されています。右手に清水の舞台のように崖からせり出した客殿、左手は庫裏。国宝や重要文化財の大寺院とは対極にあるこれも京の寺、葬式仏教のお寺でもなく、檀家も持たないようです。清々しさを感じさせます。

防火用水に溜まった桜の花びら。客殿の上り框の一輪挿し。白い花は不明も黄色い花はレンギョウ。

客殿からの眺め。渓の向こうは大河内山荘庭園。眼下は青モミジ、秋はさらに見事な景色になりそうです。

客殿のテラスの心地よさは半端なく、隣に座ったご夫婦もなかなか腰を上げる様子がありません。一筆啓上仕り候のホオジロの声とししおどしのポーンという音が渓に響きます。

ほどなくDE10推進運転のトロッコ列車がやってきました。トロッコ嵐山駅からトンネルを抜けたところです。しばし停車、渓流見物してからゆっくり亀岡へ向かって行きました。国鉄山陰本線だった鉄路、キハ58系長編成急行列車のDMH17エンジンの走行音がこだましてくるような気がします。

小さな池の金魚とご住職の手作りっぽいししおどし。

ずいぶん可愛いやつが駆け寄ってきてくれました。寺男さん(たぶん)に名前を尋ねてみると、すみれと申します、とめちゃ丁寧に教えてくれました。13歳あるは14歳のおばあちゃんだそうです。すみれちゃんに見送られ山を下ります。

下から見上げた大悲閣客殿の吹き流し。山門を出ると息を切らせながら上ってきた女性、あと少しだと気づき表情ががらっと変わりました。

坂道を下ると鐘の音、さっきの女性が突いているようです。名前が分からない可憐な白い花。

アメンボの影

実がなるのは2月頃までのはずのマンリョウがたわわに実ってました。もういちど千鳥ヶ淵の河原に下りてみます。コスミレがいっぱい。さっき見送ってくれたすみれちゃんはコスミレに因むのかも。

水面を変な影が動いてます。アメンボは足先から水をはじく成分を出して水面に浮かび、足が接した部分の水面がわずかにくぼみ、そこに光が当たると光が屈折して水面下に入り影ができるそうです。

アメンボ動画です。

河原の岩を飛び飛び和装のお嬢さんたちがやってきてビックリ。

花が散ってから青葉が出てくるソメイヨシノと違い、赤茶色の葉っぱが一緒に生えているのでヤマザクラです。

青モミジも美しい。水辺にヤマブキとシャガ。

渡月橋近くの右岸にはサクラ、モミジと交互に植えられていることに気づきました。春も秋もおこしやす、と商売上手な嵐山です。11月には間違いなく再訪することになりそうです。渡月橋は両端の歩道が一方通行状態でも人がびっしり。

学生時代、嵐山でデートすると別れるという都市伝説があり、コロナ前は京都でも最も混み合っていた観光地、できることなら避けたい場所だったのですが、人、人、人、は渡月橋から竹林の小径辺りまでだけ、ちょっと外れるとまだまだ魅力的な場所が見つかりそうです。


早速、大悲閣を舞台にした北森鴻支那そば館の謎をダウンロードしました。京都でも指折りの貧乏寺、大悲閣千光寺として実名で登場、ご住職も取材に積極的に協力していると見て取れ、貧乏寺であることを誇りにされているようです。

なでてあげたすみれちゃんのモフモフの感触がまだ手に残っています。