新・平家物語を歩く 其壱

新書太平記を読了後、新・平家物語を読み始めました。全16巻と新書太平記の倍、もう4ヶ月読み続けているものの、まだ31%、平清盛はまだ健在で、源義経は奥州平泉を飛び出して紀州新宮にいます。ゆかりの地を訪ねてみたくてうずうずしていたのですが、8ヶ月ぶりに京都へ向かうことにしました。

奥嵯峨への道

チョー久しぶりの梅田、iPhoneの超広角で撮ってみました。阪急電車も8ヶ月ぶりのはず。

9300系車内を超広角で。淀川左岸堤防はとうとうコンクリートで覆われてしまいました。

桂で6300系改に乗り換え嵐山到着。

今朝未明に京都にはゲリラ豪雨があったらしく桂川の分流には轟々と濁流。

桂川本流も濁流が激しいものの、青空が広がっていました。渡月橋の向こうに小倉山と愛宕山。下流側には比叡山。

殆ど人がいない渡月橋、2018年11月の写真と較べるととても同じ場所とは思えません。渡月橋近くでは店頭が少し浸水したようで水を掻き出していました。桂川が堤防を越えての浸水ではなく、排水溝が逆流したのではないかと思われます。

付近に人待ち顔の人力車が多数。京都に限らず、奈良や浅草でも明治時代を象徴する人力車はよく見るものの、江戸時代を象徴する駕籠は見たことがありません。人件費は倍になるけど道路交通法上も問題ないはずで駕籠は需要があると思います。京都でいうと駕籠以上に平安時代を象徴する牛車がいいですね。乗ってみたいです。

竹林への道も3年前の写真と比較しておきます。

竹林の道を15分ほど歩くと、西行井戸右へ35mという碑が立っていて、墓地の脇に井戸がありました。

西行法師詠

を鹿なく 小倉山 のすそ近み ただひとり住む わが心かな

23才で出家、30才頃までこの辺りに庵を構えていた西行が使っていた井戸だそうです。出家する前の西行の名前は佐藤義清(のりきよ)、平清盛と同い年で、北面武士の同期生です。さらに平家滅亡後鎌倉幕府の要人となる文覚(遠藤盛遠)も同期生で、この3人が北面武士の頃が新・平家物語の話の発端になっています。

墓地を囲む石柵に一つずつ歌が刻まれています。

なんとなく悟り開きたるここちにて 六十六のわれを眺むる

石神井のヨシさん、何となく身につまされる思いがします。

休憩所兼喫煙所、今日3回もお世話になりました。

くぐり戸に掲げられたオリヅルラン、小さな花が開いてます。センス良すぎ、さすが京都。

祇王寺

坂道の突き当りが今日の目的地、祇王寺です。やはり未明に相当降ったようで、山から水が溢れ出していました。

ずっとキビタキの囀りが響いています。探して探してようやく黄色い姿がチラリと見えました。

見事な苔の庭。

カクレミノの木、3裂の葉が着ると姿を消すことができる蓑に似ているためこの名があるそうです。

地面にはフタバアオイ、この葉を3つ並べると徳川家の紋所になります。

一両から万両までと、コケの標本が並べられていました。シノブゴケとヒノキゴケ。

コツボゴケ、ハイゴケ、スギゴケ。コケのミニ図鑑ができました。

境内に本堂といった建物はなく、草庵があるだけです。草庵の仏間に、刀自、祇王、平清盛、大日如来、祇女、仏御前の木像が安置されていて、それぞれの像の前に窓があるのですが、なぜか平清盛だけ窓の間に隠れていました。

新・平家物語で崇徳天皇の水守の阿倍麻鳥という魅力的な人物が登場します。吉川英治の創作した人物ですが、保元物語に登場する崇徳天皇が配流された讃岐まで訪ねて行った蓮誉という僧侶がモデルになっているようです。医者となった阿部麻鳥が、都の同じ貧民窟に住んでいた明日香ちゃんという評判の美少女を人買いから救い出し、明日香ちゃんは麻鳥にほのかな思いを寄せるのですが、思いは叶わず麻鳥は常盤御前(源義朝妻、義経の母)の侍女だった蓬子さんと結ばれます。結局明日香ちゃんは人買いに売られ白拍子として祇王と名乗り、今度は平忠度(ただのり、清盛の異母弟)に思いを寄せることいなるものの、予期せず清盛の目に留まり寵愛を受けることになります。しかし清盛の寵愛は祇王がかばった仏御前に移り、祇王は髪を下ろし、母の刀自、妹の祇女とともに隠遁生活を送ることになったのが祇王寺です。やがて仏御前も清盛の元を離れ出家、祇王寺メンバーに…。

草庵の脇に花手水、祇王寺の案内では水琴窟になっているのですが、水を流す筒は外されていました。超シンプルな一輪(シャクヤクかな)と青モミジの花手水、4人の尼さんたちがどんな思いでここに暮らしていたのか、この花一輪に彼女たちの思いが込められているようにも感じます。案外、NHKのやまと尼寺精進日記のように楽しく過ごしていたのかも知れません。

嵯峨野観光鉄道

大河内山荘庭園か天龍寺へと考えていたものの、乗ったことのないトロッコ列車に乗ってみることにしました。

嵯峨野っぽい小道の脇の池に一面のハス。小倉池、読みは巨椋池と同じです。

ハスの花を撮っていたら目の前にメジロ。

池の端に群生しているのはハンゲショウ。やはり未明の雨はかなりすごかったようで、池はドロドロです。

トロッコ嵐山駅は小倉池のすぐ隣、14:05のチケットをゲットしたもののかなり遅れているらしく1時間近くスタンバイ。小倉池のハンゲショウに戻ると2cmくらいの甲虫。

駅にはなぜか木曽森林鉄道のレイアウト。

漸くホームに入ることができました。嵯峨野観光鉄道とJR嵯峨野線のトンネルがふたつ並んでいます。福知山線武田尾駅周辺と同様に新線に切り替えられた山陰本線の旧線に観光列車を走らせている訳です。

DE10が牽引してくるのかと思いきや、推進運転でやってきました。トンネルに入るとこんな感じ、JR四国のトロッコ列車を思い出しました。

JR西日本の100%子会社が運営しているのですが、サービス全体が平成3年の開業以来全然進化していないんじゃないかと感じられ、自分としてはぜんぜんつまらなかったです。特急車両の席とトロッコ車両の2席を確保してくれていたJR四国のサービスとは全く似て非なるもので、武田尾のようにハイキングコースになっていた方がずっと楽しかっただろう、と思います。

トロッコ亀岡駅は亀岡駅じゃなくて、その手前の馬堀駅まで徒歩10分ほどですが、駅前に広い田園が広がっていて、田んぼの中の道を歩いてみるとハグロトンボ。

特急きのさき16号が通過。

カワラヒワとホオジロ。

オオヨシキリとハナムグリ。

嵯峨野線の電車で帰ります。新しくできた梅小路京都西駅で途中下車しようかと思っていたのですが、疲れたので諦めました。鉄博じゃなくて梅小路公園をチェックしてみたかった次第、梅小路公園は六波羅と並ぶ平家一族の根拠地、西八条のあった場所です。

京都駅に到着、どんどん列車が入線してきて乗降客で賑わう山陰線ホームにビックリ。それも園部までも行かない221系を使うにはもったいないような嵯峨嵐山行や亀山行の短距離列車が大半です。自分の記憶の山陰線ホームは1時間に1本程度の福知山行鈍行客車や特急あさしおが並ぶままでした。

以上、新・平家物語を歩く 其壱です。新・平家物語ゆかりの地は、鞍馬を始め京都だけでも数え切れなくあり、畿内では福原(神戸)、新宮や那智、さらに鎌倉、平泉。馴染み深いところでは義経が馬術を覚えた印旛、まだそこまで読み進んででいないものの鵯越や屋島、壇ノ浦も登場するはずです。少しずつ訪ねてみたいと思っています。