奈良博 世界探検の旅(後編)
承前、世界探検の旅はまだ第1章第2節を終えたところ。
第1章第4節「文明遺跡の発掘」、ティリンス遺跡城壁の巨大写真パネルです。ティリンス遺跡は、ギリシャのペロポネソス半島にあるミケーネ文明を代表する城塞都市遺跡。
1884年から1885年にかけてハインリッヒ・シュリーマンが発掘調査、1886年に刊行されたティリンス遺跡調査報告書原画の調査平面図です。精緻な「要塞ティリンスの平面図」はシュリーマンによって才能を見出された若き考古学者ヴィルヘルム・デルプフェルトによるもの。
ジャワ島の影絵芝居、ワヤン・クリはお馴染み。ガムランの音が聞こえてきそうです。
台湾やインドの展示が続くのですが大半が20世紀のものなので、割愛します。
トトメス4世の供養碑はここでも展示されていて、その隣にマヤ供養碑(新王国時代)。右端のヒエログラフの解読をAIに頼んでみたもののどうもアテにならなさそうです。ただヒエログラフが縦書きもできると分かったのは大きい。マヤとは誰なのかも不明。
ウシャブティ、死者の代わりに労働をする人形です。右2つは第三中間期、左4つは末期王朝時代。
コブラやウサギの頭が描かれた新王国時代〜第三中間期の木棺断片と、牛が描かれた末期王朝時代の木棺断片。
右から第三中間期のミイラ棺の顔部分、末期王朝時代の人形木棺の顔部分。手前は死者をミイラにする際に肝臓、肺、胃、腸を取り出して保管したカノポス壺、そのヒヒの頭の蓋を持つ肺を納めた壺で、プタハメスと銘が刻まれているらしい。Geminiによると、新王国時代、第18王朝でアメンホテプ3世に仕えた高官で、低い身分にも関わらずアメン大神殿やルクソール神殿などの建築に関わり王の寵愛を受け、個人墓の造営まで許された異例の出世を遂げた人物と分かりました。さらにプタハメスの墓から「おそらくもっとも古い固形のチーズ」が発掘されているそうです。ただしチーズづくりは紀元前5000年くらいのポーランドなど中央ヨーロッパで始まっているらしい。
第3中間期のファイアンス製スカラベはフンコロガシにハヤブサの翼をつけたもの。もうひとつはローマ時代のファイアンス製蛇飾壺。
上述した古代エジプトの時代区分では年代表記を省略したので理解した範囲をざっくりまとめておきます。世紀ではなくかなりの精度で年まで特定できるのがすごい。
- 初期王朝時代:紀元前3100年頃〜紀元前2686年頃、第1王朝から第2王朝。
- 古王国時代:紀元前2686年頃~紀元前2185年頃、第3王朝から第6王朝、クフ王の大ピラミッド、首都はメンフィス。
- この間、第1中間期、中王国時代、第2中間期。
- 新王国時代:紀元前1570年頃~紀元前1070年、第18王朝から第20王朝、エジプト文明が最も繁栄した時代、トトメス3世、ツタンカーメン、ラムセス2世、首都はテーベ。
- 第3中間期:紀元前1069年〜紀元前664年、第21王朝から第26王朝、分裂状態が長く続く。
- 末期王朝時代:紀元前664年~紀元前332年、第27王朝から第31王朝、エジプト人による支配が最後に花開いた時代、アレクサンドロス大王の征服により終了。
- プトレマイオス朝:紀元前305年~紀元前30年、グレコ・マケドニア人を中核とした古代エジプト王朝、首都はアレクサンドリア、最後の王はクレオパトラ7世。紀元前332年から紀元前305年はプトレマイオスが支配を固めるまでの移行期らしい。
- ヘレニズム~ローマ時代:紀元前330年頃~、ヘレニズム時代はプトレマイオス朝滅亡の紀元前30年に終了も、ギリシャ文化の東方拡大を継承するローマ文化を一連の流れとして扱うための芸術史や考古学での便宜的な表現らしい。
インカ帝国の銀製品と金製品。インカ帝国が滅んだのは1533年、滅ぼしたピサロはペルーの人たちにとって稀代の悪い奴のはずが、暗殺されてからもミイラになって今もリマ大聖堂に遺されているらしい。
最後に第3章「追憶の20世紀」と題し北米先住民の伝統文化、エジプト・カイロの大衆文化、北京の看板という展示は、展示点数も限られていて何のための第3章だったのか全然ピンと来ませんでした。それでもたっぷり2時間の見学でかなり楽しめました。従来のシリアス路線の奈良博特別展と違って学芸員さんたちの「ノリ」が感じられ、子どもたちにも小学高学年くらいでも分かりやすいと思われ、未来の考古学者や民俗学者輩出につながるのかも知れません。