奈良博 世界探検の旅(後編)

承前、世界探検の旅はまだ第1章第2節を終えたところ。

第1章第3節は「ひろがる祈りの世界」、主に仏教が生んだ造形を通じで文明間交流のありようを探るという展示。最初はガンダーラ地方(現在のパキスタン北部)クシャーン朝時代(3~4世紀)の弥勒菩薩と考えられる菩薩立像、インド・アーリア人っぽいお顔立ち。

クシャーン朝時代(2〜3世紀)の弥勒菩薩像と弥勒菩薩像またはジナ像。ジャイナ教の祖師・ジナの像の可能性もあるという像。ギリシャ彫刻的です。

重要文化財の兜跋毘沙門天立像(平安時代)、興福寺伝来で奈良博の所蔵。冠を被り、人面や鬼面の付いた鎖を編んだ鎧を着て、足元には二鬼を従えた地天女。唐時代に西域にあった兜跋(とばつ)国に出現したといわれ、平安時代初期に唐から伝わり平安京の羅城門上に設置されていたといわれる像が東寺に国宝として現存。本像は原像に忠実であろうとした模刻とのこと。

迦楼羅王(かるらおう、鎌倉時代)は京都の愛宕念仏寺伝来の二十八部衆の内の一体で奈良博の所蔵。迦楼羅(ガルーダ)はインド神話に登場する龍を食べる巨大な鳥。羽の生えた仏像は珍しいかと。

霊鳥ガルーダに乗るヴィシュヌ神像(20世紀インドネシア)、上掲の迦楼羅王よりはるかに立派な羽、肩車しながら飛んで行けそうです。足元の裏側にもうひとりの人物が隠れていました。

第1章第4節「文明遺跡の発掘」、ティリンス遺跡城壁の巨大写真パネルです。ティリンス遺跡は、ギリシャのペロポネソス半島にあるミケーネ文明を代表する城塞都市遺跡。

1884年から1885年にかけてハインリッヒ・シュリーマンが発掘調査、1886年に刊行されたティリンス遺跡調査報告書原画の調査平面図です。精緻な「要塞ティリンスの平面図」はシュリーマンによって才能を見出された若き考古学者ヴィルヘルム・デルプフェルトによるもの。

ティリンス宮殿の壁画「牛の背で踊る男の図」の模写と、さまざまな発掘品の図版。周囲に描き込まれたメモ書きはシュリーマンの自筆らしい。

木馬伝説のトロイヤ遺跡をシュリーマンが発掘調査したのは1870年、先立つ1868年(慶応元年)には来日し一ヶ月滞在しています。功名心が強く、その荒っぽい発掘手法も批判を受けたものの、伝説でしかなかったトロイヤを実証したその功績は大きく、地中海考古学の父であることに変わりないようです。

ようやく西新館の第2章「神々と摩訶不思議の世界」です。パプアニューギニアの精霊仮面、儀礼用仮面がいっぱい。

ニューギニア島アスマット地方の「プラモン」、子どもはこの舟に乗って霊魂の棲む不思議な別世界へ行って大人に生まれ変わるらしい。後ろの欄間のようなのはニューアイルランド島の「マランガン」と呼ばれる葬儀用飾り貫(ぬき、柱同士を水平に繋ぐ材)。

カヌー舳先飾り「チチェメン」もアスマット地方のもの。アスマットはニューギニア島西部にあるインドネシア・パプア州に属する地方、ニューアイルランド島はパプアニューギニア独立国に含まれるニューギニア島東部の長さ300kmもある細長い島、その距離は1500kmも離れています。

ジャワ島の影絵芝居、ワヤン・クリはお馴染み。ガムランの音が聞こえてきそうです。

台湾やインドの展示が続くのですが大半が20世紀のものなので、割愛します。

エジプト

世界探検はいよいよエジプトへ。古代エジプトでもっとも人気の高いオシリス神像(末期王朝時代)と、イシス神像(プトレマイオス朝時代)。イシス神はオシリス神の妹で妻、ホルス神の母。

20cmほどのスフィンクス(ヘレニズム~ローマ時代)2体、ギザの大スフィンックスは全長73.5mあるらしい。

新王国時代の木製精霊像と、末期王朝時代のトキ(クロトキ)像。頭部と脚は青銅、胴は木製、目は赤石の象嵌。

末期王朝時代のホルス神像、フクロウじゃなくてハヤブサです。上掲のイシス神が抱いているのもホルス神とあったので、調べてみると、ホルス神には大ホルスと小ホルスがいると分かったものの、この像はどちらなのか分からず、ChatGPTに画像をアップすると太陽と月の目を持つ天空神が大ホルス、イシスとオシリスの子で幼児神が小ホルス、この像は大ホルス、と教えてくれました。

男性被葬者像はずっと遡って古王国時代。

トトメス4世の供養碑はここでも展示されていて、その隣にマヤ供養碑(新王国時代)。右端のヒエログラフの解読をAIに頼んでみたもののどうもアテにならなさそうです。ただヒエログラフが縦書きもできると分かったのは大きい。マヤとは誰なのかも不明。

ウシャブティ、死者の代わりに労働をする人形です。右2つは第三中間期、左4つは末期王朝時代。

ローマ時代のミイラ被い、背景はギザのピラミッド。誰のミイラなのかは情報がゼロ。

カルトナージュと呼ばれる亜麻布などの繊維を漆喰(プラスター)で固め彩色されたミイラ被い。

プトレマイオス朝時代の人形彩画木管。側面に描かれたヘビで、アクミームという町で作られたものであることが分かり、被葬者はアクミームの女性だそうです。

コブラやウサギの頭が描かれた新王国時代〜第三中間期の木棺断片と、牛が描かれた末期王朝時代の木棺断片。

右から第三中間期のミイラ棺の顔部分、末期王朝時代の人形木棺の顔部分。手前は死者をミイラにする際に肝臓、肺、胃、腸を取り出して保管したカノポス壺、そのヒヒの頭の蓋を持つ肺を納めた壺で、プタハメスと銘が刻まれているらしい。Geminiによると、新王国時代、第18王朝でアメンホテプ3世に仕えた高官で、低い身分にも関わらずアメン大神殿やルクソール神殿などの建築に関わり王の寵愛を受け、個人墓の造営まで許された異例の出世を遂げた人物と分かりました。さらにプタハメスの墓から「おそらくもっとも古い固形のチーズ」が発掘されているそうです。ただしチーズづくりは紀元前5000年くらいのポーランドなど中央ヨーロッパで始まっているらしい。

石英細粒にカルシウム、銅を加えて焼いたファイアンス製のヌン碗(新王国時代)。ヌンとは世界の始まりの海のこと。描かれている魚は、外敵が近づくと子を口の中に入れて守るナイル川のティラピア。

もう一枚は日没に端を閉じ、日の出とともに花を開くハス。

第3中間期のファイアンス製スカラベはフンコロガシにハヤブサの翼をつけたもの。もうひとつはローマ時代のファイアンス製蛇飾壺。

上述した古代エジプトの時代区分では年代表記を省略したので理解した範囲をざっくりまとめておきます。世紀ではなくかなりの精度で年まで特定できるのがすごい。

  • 初期王朝時代:紀元前3100年頃〜紀元前2686年頃、第1王朝から第2王朝。
  • 古王国時代:紀元前2686年頃~紀元前2185年頃、第3王朝から第6王朝、クフ王の大ピラミッド、首都はメンフィス。
  • この間、第1中間期、中王国時代、第2中間期。
  • 新王国時代:紀元前1570年頃~紀元前1070年、第18王朝から第20王朝、エジプト文明が最も繁栄した時代、トトメス3世、ツタンカーメン、ラムセス2世、首都はテーベ。
  • 第3中間期:紀元前1069年〜紀元前664年、第21王朝から第26王朝、分裂状態が長く続く。
  • 末期王朝時代:紀元前664年~紀元前332年、第27王朝から第31王朝、エジプト人による支配が最後に花開いた時代、アレクサンドロス大王の征服により終了。
  • プトレマイオス朝:紀元前305年~紀元前30年、グレコ・マケドニア人を中核とした古代エジプト王朝、首都はアレクサンドリア、最後の王はクレオパトラ7世。紀元前332年から紀元前305年はプトレマイオスが支配を固めるまでの移行期らしい。
  • ヘレニズム~ローマ時代:紀元前330年頃~、ヘレニズム時代はプトレマイオス朝滅亡の紀元前30年に終了も、ギリシャ文化の東方拡大を継承するローマ文化を一連の流れとして扱うための芸術史や考古学での便宜的な表現らしい。

アンデス

第2章の最後はアンデス。

アンデスの各文化領域図で名前を知ってたのは地上絵のナスカ文化とマチュピチュのインカ帝国だけ。

象形鐙形注口壺 ジャガーとサボテン(クピスニケ様式)、幻覚剤の材料となるサン・ペドロと呼ばれるサボテンとジャガーが描かれた紀元前15~前6世紀の壺。

橋形把手付双注口壺(ナスカ文化)、注口がふたつに把手がついてハヤブサが描かれた壺。単純化されたデザインも顔はしっかりハヤブサになってます。

ティワナク文化のケロ、トウモロコシの醸造酒・チチャを供するための酒杯で、描かれた浮き彫りのティワナクの主神。ふたつめは、ランバイェケ文化の把手付注口壺、注口基部はシカン神、その首元から左右にヘビ神。そして、チムー文化の把手付扁壺、注口の付け根にサルの塑像、胴部には異なる帽子を被って笏を持つ男性と女性。描かれたキャラクターはいずれも温かみや優しさを感じさせる南米風。

インカ帝国の銀製品と金製品。インカ帝国が滅んだのは1533年、滅ぼしたピサロはペルーの人たちにとって稀代の悪い奴のはずが、暗殺されてからもミイラになって今もリマ大聖堂に遺されているらしい。

最後に第3章「追憶の20世紀」と題し北米先住民の伝統文化、エジプト・カイロの大衆文化、北京の看板という展示は、展示点数も限られていて何のための第3章だったのか全然ピンと来ませんでした。それでもたっぷり2時間の見学でかなり楽しめました。従来のシリアス路線の奈良博特別展と違って学芸員さんたちの「ノリ」が感じられ、子どもたちにも小学高学年くらいでも分かりやすいと思われ、未来の考古学者や民俗学者輩出につながるのかも知れません。

常設展

新館を出て庭園を眺めながら椅子に座ってひと休み。

常設展の仏像館と青銅器館はもう2回も訪ねているのでざっと回るだけに。撮影OKの五大明王像(平安時代)です。中央の不動明王は1面2本腕、右手前の降三世明王は3面8本腕、左手前の軍茶利明王は1面8本腕、左奥の大威徳明王は6面6本腕、右奥の金剛夜叉明王は3面6本腕。荷物が多い時などもう1本腕があれば便利なのにと思うことがあるものの、8本あったら面倒だろうとも思います。

青銅器館の卣3点と鼎7点。

奈良博新館前のプールで体を冷やしている鹿たちです。氷室神社を覗いてみると、氷はずいぶんちっちゃくなってました。

吉城園は花も鳥も苔も寂しい状態、ギボウシが咲いてました。近鉄奈良駅すぐ近くまで鹿。