上ケ原ふるえ
関大博物館を訪ね、同志社の学食で食事、立命館生が集まる喫茶店でオムライス、京大博物館でナウマンゾウに会い、そして桃山学院でチンペイさんを偲んだばかり、15年前に大阪に戻ってきていずれは訪ねなければと思っていた母校を訪ねてみることにしました。いささか恥ずかしいことも書かねばならず逡巡していたのですが踏ん切りをつけます。
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梅田阪急ビルコンコースに鳥の図鑑、シジュウカラやアカハラ、クロツグミに似た鳥もいるものの、微妙に違っていて、実在する鳥なのかよく分かりません。その向こうにはクラゲの図鑑、さらにキノコの図鑑。このコンコースは国鉄の北側に移転する前の阪急梅田駅ですが、自分が通学していた頃はすでに移転完了、ムービングウォークも設置されていて、阪急三番街や紀伊國屋書店もありました。
御堂筋線の北改札を出て、画材のいずみや(名前を変えて茶屋町に移転)脇の階段を上り、新梅田食道街から国鉄の北側に出て阪急梅田駅3階、というルートが最短で乗り換えるため4年間試行錯誤の結果でした。南海1000系ヒゲ新→御堂筋線30系→阪急初代1000系→今津線920系、とかで2時間かけて通学してました。
カッタンカッタンカッタンカッタン、神戸線と今津線のダイヤモンドクロスの音が今も聞こえてくるような気がする西宮北口で乗り換え、今津線ホームのどんつきにある若菜そばで天そばを食べながら7号線の電車を眺めているところです。今や駅そばもワンコインではなかなか収まらなくなってしまいました。
最初の目的地らしき建物を関学会館の裏手に見つけました。何ら案内はないもののたぶんこれが目的のオハラホール。外国人住宅の2号館でオハラ・アヤコ先生の寄付を記念して名付けられているとの記事を見つけ訪ねたくなった次第。商学部の英会話の先生で、姉(妹だったかも)のオハラ・シズ先生と共同での授業だったかと。日系二世のおばあちゃん姉妹で、かなり厳しい指導も、モラトリアム(この言葉を思い出すのが大変でした)を享受していた中で珍しくがんばってついていった記憶と、今もそれが身についているという実感があります。卒業後貿易の仕事に着けたのもオハラ先生のおかげです。
中央芝生にやってきました。右手に神学部と文学部、左手は経済学部とパイプオルガンも設置された中央講堂でその奥に商学部。右手は理念的研究分野、左手は実業的研究分野で、その中央で両者を統合するのが関学のシンボルとなる甲山を借景にした時計台だそうです。青空じゃないのが残念ですが、全国でも有数の美しいキャンパスであることは間違いないかと。
我が文学部です。フランス文学の加藤林太郎ゼミの卒業です。フランス文学よりアンドレ・ジイド(ドイツ文学)が好きだったのですが、あるフランス文学の短編作品で卒論を提出し、ギリギリ卒業させていただきました。「モンテ・クリスト伯」はしっかり読んではいたものの、あの大作で卒論を書く度胸はありませんでした。検索したところ、加藤先生は後に名誉教授まで務められ2021年に逝去されていました。確か女性17人オトコ3人のゼミで、優秀な女性陣に対しアホ3人を我慢強く指導してくださいました。
フランス語は隣のゼミの曽我祐典先生、NHKフランス語講座の講師もされていたダンディな先生の指導でフランス語会話には熱が入り、アテネ・フランセなどにも通ったのですが、残念ながらさして身につきませんでした。さらに第3外国語としてポルトガル語にもチャレンジしたものの、ボンディーヤ、ボワノイチしか覚えていません。まるでリオのカーニバルから飛び出してきたような賑やかで楽しい先生でした。
普段なら学生たちで賑わっているはずのお昼時のちゅうしば(中央芝生)は、土曜日で曇り空、ご近所らしい親子連れが走り回っているだけ。
時計台に付けられた関学のエンブレム、スクールモットーのMASTERY FOR SERVICE(隣人、社会、世界に奉仕するために自らを鍛錬)を土台に十字架が立ち、左上の聖書は神学部、右上の校章にもなっている新月は中等部、右下のマーキュリーの杖は商学部、左下の松明とペンは文学部を象徴するそうです。
キャンパス内の殆どの建築物の設計は近江兄弟社を築いたウィリアム・メレル・ヴォーリズ、時計台もそのひとつで登録有形文化財。時計台の下は以前図書館だったのが博物館になっています。同志社にもヴォーリズ建築があります。アメリカミッションスタイル(スペイン風)の関学の建築群と異なり同志社はゴシック風、心斎橋の大丸もヴォーリズ、クライアントの思想や意向を聞いて何でもこなせる器用な建築家だったことが分かります。
創立者、ランバス先生です。もうずっと頭の中では関西学院大学校歌「空の翼」が響いてます。「上ヶ原ふるえ」はそのサビ部分、応援団総部第78代団長濵島正樹君による空の翼で歌詞を確認。
日本の蔵書票展を開催中。学芸員さんらしき係の男性にオハラホールのことを尋ねてみると、さっきの建物で間違いないようです。
学生会館旧館の西側です。所属していたサークルの部室は市道を渡ったところという記憶はあるのですが、学生会館旧館は1959年竣工、広場の奥にみえる学生会館新館は1984年竣工、新館の場所が部室跡になるようです。関西学院辞典の学生会館を何度も読み返してやっと頭の中が整理できました。
複数のサークルのバラック部室が立ち並んでいたものの、どうやら自分の卒業からほどなく解体されたようです。バラックでもこたつなど生活用品が揃っていて居心地がよく、泊まり込むこともしばしば、自分の大学生活といえばこのバラックでした。自分より居着いていた先輩が「ヒマジンオールドピープル♪」と歌っていたのが思い出されます。アート系のサークルで、広告やデザイン関係に就職する先輩や仲間が多く、まともな作品を残していなかった自分も関連するおもちゃ業界に進むことに。
検索してみるとサークルのインスタが見つかり、後輩さんたちの作品を拝見することができました。ロットリングペンとかホルベインのガッシュとかプロ用画材を通学途中の梅田いずみやで買ってそれなりの気分になっていた自分です。(ホルベインはドイツの会社と思い込んでいたのですが、大阪市中央区の現住所近くに本社があり、引っ越してきた時ビックリしました。)
体育館前に立てられた応援団総部指導部の看板、同志社の紫に対して、関学のスクールカラーは紺色。応援団総部歴代団長には女性も、第73代団長岸本ゆずかさん、めちゃかっこいい。自分の在学中はどおくまんの花の応援団の頃、想像の域をはるかに超えた変化です。
学生会館新館は広い中庭を囲む大きな建物。学生生協もコンビニというよりスーパー。新入生のころ確か正門を入って左手にあった学生生協で初代ウォークマンを買ったことを思い出しました。
厨房に宇良関の写真とデイリースポーツ、番付表、応援タオル。番付表は東横綱豊昇龍、東小結高安、東前頭五枚目宇良なので、この五月場所のもの、右下隅にサイン付き。新聞は令和四年五月場所11日目の碧山戦、青いKG化粧まわしの宇良関は今より小さめです。
市道沿いの6号館にはスタバとセブン。この奥は2010年開設の国際学部、留学で単位が取れるなど羨ましいものの、調べてみると文学部より偏差値はかなり高め。
大学院2号館、この裏に新月池という古池があるのを思い出したのは帰宅後。
帰りかけて社会学部裏手辺りに庭園があったはず、と思い出しもう一度中央芝生。さっきから「翠耀」とロゴの入った紫色のTシャツの学生さんたちをたくさん見かけたのですが、総合関関戦のTシャツと分かりました。関大さん制作のPVを見つけました。英文表記ではKWANSEI GAKUINなのでALL KWAN-KAN GAMESとなります。今年は第48回で、1978年の第1回(在学中ですが記憶にありません)以来昨年までの通算で関学の24勝17敗1分(2007年は麻疹流行、2020-2021年はコロナで中止)だそうです。「翠耀(すいよう)」は「華麗かつ堂々たるさま」を意味する大会スローガン。コロナの頃に現役だった後輩たちのことを思うとやるせない。
社会学部にはケンタッキーの幟。文学部と違って扉が開けられていたもののケンタッキーは見つけられず。この裏手に関西学院構内古墳があると分かったのも帰宅後。古墳時代後期の円墳で、2個体以上の人骨、装身具類、馬具、須恵器などが出土、石室をのぞくこともできるみたい。考古学の授業で構内古墳ではなく、確か葛城辺りの古墳発掘現場を訪ねたことを思い出しました。
社会学部の留学の案内、今ほど留学は一般的じゃなかったし、留学できるほどの経済的な余裕もなかったものの、1ヶ月ずつ2回ヨーロッパへ行かせてくれた親に改めて感謝。おもちゃ会社で美術系卒の素養が求められる商品開発ではなく貿易の仕事に就けたのは、オハラ先生や先生方、アート系サークル、母と祖父母、そして在学中に関わりのあったいろんな人たちのおかげと45年ぶりの母校訪問で振り返ることができました。
10年ぶり
第3回阪神競馬初日です。阪神競馬場は初めて、競馬自体も10年前の京都競馬場以来です。競馬場への広い陸橋に阪神競馬重賞列伝、テンポイント、トウショウボーイ、オグリキャップ、トウカイテイオー、メジロマックイーン、ディープインパクト…。新入生の時、甲山の麓に厩舎のある馬術部を訪ねたことを思い出しました。確かトウショウボーイのイトコがいると聞いた記憶が。ただ早朝に馬の世話をするには始発で向かっても間に合わないと分かり、トウショウボーイよりテンポイントの方が好きだったこともあり入部は諦めました。
パドックは10レースの加古川特別、ダートの1800m。
APPENDIX
関学キャンパスを歩き回り、パドックと本馬場を何度も往復して24000歩14kmも歩いてました。たぶんもう関学を訪ねることはなさそうと思いつつ帰り道の満員電車に乗っていたのですが、経済学部裏の日本庭園、大学院裏の新月池、社会学部裏の関西学院構内古墳を見逃していたと分かり、いずれ再訪したいと思います。ヴォーリズ建築ももっとじっくり見てみたい。
グリークラブによる空の翼で締めます。いざ、いざ、いざ、上ケ原ふるえ♪