京都国立近代美術館

コレクション展で河井寛次郎作品が多数展示されているらしい京都国立近代美術館へ。

三条京阪から三条通を東へ。マルシン飯店はこの前の様子がウソのような長蛇の行列で、別のお店に入りました。口コミ評価も高く、メニューも豊富で期待が高まったのですが、何と30分も待たされその言い訳もひどく、味や値段に関係なく二度とくることは無いと思いつつお腹は膨らみました。

白川の真ん中で水面をじっと見つめているアオサギ、ここでそんなに狙えるような魚がいるのかと思ったら釣り人がひとり、ちょっと離れてエアポンプを突っ込んだ小瓶に魚が可哀想なくらい詰め込まれていました。タナゴのようです。

平安神宮大鳥居の向こうに應天門、今日は美術鑑賞のあと、神苑を歩いてみるつもりです。

8月以来2回目の京都国立近代美術館、今日のコインロッカーはサトテルにしました。4階のコレクション展は一般1,000円で65歳以上無料。

土田麦僊/リチ・ルーム

コレクション展の「土田麦僊」展示室。海女(大正2年)、描かれているのは志摩半島の先端に位置する浪切の海女さんたち、竹内栖鳳に師事し日本画の真髄を習得も西洋画に強く影響を受けた土田麦僊(ばくせん)の六曲一双。左隻の寛ぐ海女さんたちの構図やポーズはゴーガンの午睡とそっくりです。

罰(明治41年)は麦僊が21歳の時に第2回文展に出展し3等賞を受賞した出世作。小学校で廊下に立たされている子どもたち、左端に先生の机、その下に地球儀。右手の男の子の足元にカバン、女の子の足元には野菊、通学途中で花を摘んでいて遅刻したことが立たされている原因です。麦僊が師の竹内栖鳳宅2階でこの絵を仕上げていた際、さぁ今度は野菊を描かんならぬ、どこぞ咲いてる所ないかいなぁ、と周囲に尋ね、二条城の近くに咲いていると聞いて、ちょっと行ってとってこう、飛び出していったという、同門の上村松園の回想が残されているそうな。

右の男の子の「おまえのせいで立たされたんやで」とうらめしそうな目、粗末な着物もリボンが可愛い泣きじゃくる女の子、困り果てて帰ったらおかあちゃんになんて言い訳するか呆然としている真ん中の男の子。明治生まれの自分の祖父母が同世代のはず、強いシンパシーを感じます。

土田麦僊 巴里の女(大正12年)は、大正10年から12年の渡仏中に描かれた西洋画古典技法であるテンペラ画、西洋画を深く吸収し、それを血肉化して新しい日本画家へと生まれ変わるための最初の一歩となった作品。

大原女(大正13年、画稿)。展示されていなかったものの、昭和2年作の大原女の本作もここ京都国立近代美術館所蔵。構図はマネの草上の昼食そっくりです。本作と較べ彩色が全く異なり、デッサンのあとがそのまま残されているものの、大原女たちの表情が柔らかい画稿の方が好きかも。

「セザンヌの三角形」という美術史用語があります。世界の根本的な構造をシンプルな三角形など幾何学形に見出そうとしたセザンヌは、大水浴図のように人物や木々を三角形や円錐形に配置する手法を多用、20世紀のキュビズムに受け継がれています。マネにもこの三角形が見られるものの、ラファエロらの完璧で神聖な古典的な三角形構図を壊すための手法であり、マネが壊した破片から、セザンヌが新時代の三角形を新しく発明したという流れです。土田麦僊はマネとセザンヌの両者から強い影響を受けているものの、セザンヌにより強く傾倒し着想を得、幾何学的な空間秩序とモダンな造形精神を受け継いでいると言えそうです。

「自分ひとりの部屋」展示室中央に窓の開いた大きな木の箱が置かれています。箱の前に置かれた踏み台に上って窓から中を覗いてみました。ピピロッティ・リスト「愛撫する円卓」のための模型(2017年)、「愛撫する円卓」というテーブルや椅子が置かれた部屋のインスタレーション作品のミニチュアです。 フェミニズムの先駆者で小説家のヴァージニア・ウルフが提唱した「女性が自立して思考・創造するための自由な個の空間」を視覚化したものとのこと。

「リチ・ルーム」は前回と展示室の装いは変わってないものの展示品はごっそり変わっていました。上野リチ・リックス ウィーン工房壁紙:花園 - 黄地(1928年)、後ろの壁紙もリチ・リックス。

マッチ箱カバー淑女とマッチ箱カバー・デザイン、いずれも1950年頃。

宝石箱デザイン娘たち(制作年不詳)に描かれた娘たちはイマドキのお嬢さんたちにも通じるオシャレさ。スキー用刺繍手袋デザイン(1935–44年)はぱっと見が門松のようなクリスマスツリー。

金工/小牧源太郎

「金工表現の多様性」展示室の正阿弥勝義 蓮葉に蛙皿と柘榴に蝉飾器、いずれも明治時代。正阿弥勝義(しょうあみ かつよし)は、幕末から明治時代にかけて活躍した超絶技巧の金工家。明治維新の廃刀令により、刀装具の仕事を失い、美術工芸品制作へと転向。明治政府の輸出振興策に乗り、欧米の万国博覧会出展で高い評価を獲得し、世界にその名を轟かせています。

越智健三 植物の印象(昭和44年)は高85cm、生花に使うと花が負けそうです。人間国宝・増田三男の銀象嵌鉄鴫文箱(昭和42年)は、有明海大授搦を思い出させる文箱。

「小牧源太郎」作品。シュルレアリスムに日本独自の土俗信仰や民俗性を融合させた稲荷図No.1(昭和22年)。白い影 ブラジル風物詩No.3(昭和38年)は、画家が昭和32年から33年にブラジルへ渡航、帰国後にもその体験やインスピレーションをもとにした作品。金精倶融尊 外塵密教鈔より(昭和53年)は人間の無意識や本能をあぶり出すための曼荼羅。

河井寛次郎/機械の時代

「川勝コレクションの河井寛次郎作品選」、河井寛次郎と長年交友のあった高島屋の川勝堅一氏のコレクションが昭和43年に当館へ415点も寄贈されています。17点展示の内、6点をピックアップしてみました。

釉裏紅福寿文花缾(大正10年頃)は珍しい寛次郎がまだ民藝運動に参加する前の磁器作品。青瓷鱔血文花缾(せいじぜんけつもんかへい、大正11年)も民藝以前。三彩草絵壺(大正14年)は民藝運動参加後。

白地草花文扁壺(昭和12年頃)と呉洲丸紋壺(昭和13年)は民藝運動の中心にいた頃の作品。三色打薬陶彫(昭和37年)は「用の美」を離れた晩年の「手考足思」という言葉を好んで使った頃の陶彫作品。限られた作品数でも河井寛次郎の作風の変化がよく分かる展示でした。

「機械の時代、技術の時代」というテーマで19世紀末から20世紀初頭のポスターを展示。アルフレート・ロラー ウィーン近郊シュネーベルク鉄道(1897年)はアプト式登山鉄道シュネーベルク鉄道開通時のポスター。急勾配に合わせてボイラーが傾いた1897年製の蒸気機関車が今も現役。

テオドール・ツァシェ 第6回国際自動車展 ウィーン(1906年)は右手にゴーグル、左手にクラクションを持った女性の足元には歯車、その下に描かれたクラシックカーのディテールがすごい。

アドルフ・ムーロン・カッサンドルの1927年フランス北部鉄道ポスター、パリ-ブリュッセル-アムステルダムを結ぶエトワール・デュ・ノールは、ワゴン・リ社が運行するプルマンカーでランチからディナーまでとあるので昼行列車。 ロンドン/パリ-ブリュッセル/リエージュ-ベルリン-リガ/ワルシャワ(VARSOVIE)を結ぶノール・エクスプレスは夜行列車。フランス北部鉄道は1938年にフランス国鉄(SNCF)に統合される前の6大私鉄のひとつ。

カッサンドルはアール・デコを代表するグラフィック・デザイナー、アール・ヌーヴォーを代表するアルフォンス・ミュシャのポスターと見較べると、カッサンドルは無機的で直線的、ミュシャは有機的で曲線的、とアール・デコとアール・ヌーヴォーの違いがよく分かります。ノール・エクスプレスは沢木耕太郎深夜特急1、エトワール・デュ・ノールは深夜特急6のカバー(新潮文庫)になってます。

世界遺産国立西洋美術館を設計した近代建築の巨匠、ル・コルビュジエ 直角の詩(1955年)による、A環境、B精神、C肉体、D融合、E文字、F手、G直角という7つのテーマによるグラフ詩画集のリトグラフ19点のうちの9点。左上はA環境、日の出と日の入りの太陽は、建築や都市計画も従うべき生活のリズムの基本である24時間の一日を表現。右下はG直角、水平軸に横たわる肉体と水色のラインの垂直軸が直角に交差、自然界に完全な直線や直角はほとんど存在しない中、人間が自然の中に自らの意志で創り出すもっとも気高い秩序としての「直角」の表現とのこと。うーむ、確かに国立西洋美術館も直角です。上述のセザンヌの三角形と対比できそうなル・コルビュジエの直角です。

フランシス・ピカビア 機械的構図6点の1点(1919年)、印象派、キュビスム、ダダイズム、シュルレアリスム…と何度も宗旨変えしたピカビアのダダイズム時代の素描。一見工業品設計図のようですが、目的も分からない機能を持たない図面で近代社会へのアイロニーを込めたものらしい。ダダイズムは既存の価値観や伝統的芸術を否定・破壊する前衛芸術運動、ウルトラ怪獣ダダがその名を受け継いでいます。

MoMAKマスターズ

「MoMAKマスターズ」は14,000点もある京都国立近代美術館所蔵品からの名品ピックアップ。コレクション展展示室に入室して前回同様に右から見てきたのですが、入室して左側のMoMAKマスターズが作品目録の最初にリストされています。

ピカソ「静物-パレット、燭台、ミノタウロスの頭部」やエルンスト、ブラックが掛けられた壁から展示室中央の部屋に入ると藤田嗣治「タピスリーの裸婦」と並んで、川端龍子 佳人好在(大正14年)。柳宗悦が料理に正格はなく富者の客を待つばかり、とこきおろしていた南禅寺の瓢亭の座敷を描いたものだそうで、名物の半分に切ったゆで卵がエビと並んでます。川端龍子(かわばた りゅうし)は昭和の狩野永徳とも評された日本画家。お庭の池の上の枝にカワセミは良しとして、お膳の料理や器のデッサンが変。下手なのではなく、複数の視点を共存させる技法らしいのですが、同じく複数視点をひとつにしたセザンヌの静物画と比べると不自然さが拭えません。靄った池面がとてもいい感じなのに、板の間に見える畳をもう少し描きこんでほしかったかも。ちなみに先ごろ、瓢亭の14代目当主、高橋英一氏が食文化の担い手として初となる人間国宝に認定されています。

徳岡神泉 筒井筒(大正6年)、着物の紋や扇が美しい。背景は筒井筒の井戸、ススキとフジバカマ。

田村宗立 京都駆黴院図(明治18年)、駆黴院(くばいいん)は明治時代に祇園に設置された娼妓を対象とした梅毒などの性病の検査・治療を行う医療機関、近代的でかなりの大病院です。現在祇園歌舞練場になっている場所だそうです。昭和61年に京都の洛東病院(平成16年廃院)で偶然発見され京都国立近代美術館に寄贈されています。

四代長谷川美山 京都名所図透彫飾壺(明治−大正時代)、こちら側の面に掘られているのは祇園交差点からの八坂神社、あと3面には清水寺、金閣寺、嵐山が描かれているらしい。見れば見るほど、とても陶芸とは思えない超絶技巧です。

北大路魯山人 色絵金彩椿文鉢(昭和30年)、祇園の何必館で見た魯山人のつばき鉢(昭和13年頃作)よりさらに大きく径36cmで金彩がかなり鮮やか。何必館の鉢は茶席の菓子鉢に対し、こちらは舟盛りのように、砕いた氷を盛り上げてお造りを並べたりするのにぴったりかと。

広々とした4階ロビーから東山の眺め、向かいの京都市京セラ美術館はまだ入ったことがありません。外に出たところに土田麦僊の「大原女」をトリミングした看板と東山、看板の向こうは琵琶湖疏水、山の上は将軍塚青龍殿、青蓮院門跡別院です。

まだ2回目の京都国立近代美術館、14,000点のコレクションのごく一部でもそのすごさが感じられ、さすが国立、所得税払ってよかったと思った次第。河井寛次郎の生涯に渡る作風の変化を確認し、アール・デコとアール・ヌーヴォーの違いもよく理解できました。自分的に今日のピカイチは明治を身近に感じさせてくれた土田麦僊の「罰」。

APPENDIX

美術館を堪能して平安神宮神苑へ。應天門左手に南神苑から移設され整備された重要文化財 京都市交通局二号電車、周囲を注連縄と紙垂で囲まれていました。

應天門を抜けると何やらミラーボールのようなものが重ねられていました。調べてみるとWONDER NIGHT JINGU 〜月華〜というライトアップイベントのものと分かりました。寺社のこういうライトアップイベントはあまり好まないのですが、元々博覧会会場だった平安神宮なのでよしとしましょう。

花も鳥も虫も少ない神苑。南神苑にフジバカマ、アサギマダラは現れなかったものの鮮やか。西神苑のカルガモは熟睡モード。

東神苑のライトアップイベント絡みのインスタレーション、Prism Stream 彩光のせせらぎ。

岡崎公園美術館平安神宮前バス停は長蛇の列、四条河原町へのバスは諦め三条京阪まで歩くことにしました。三条通ひと筋北の通りを歩くと下京區三條通北裏白川筋東入上ル堀池町の仁丹広告付ホーロー町名看板。京都の街歩きでよく見かける焼け焦げたような黒い板壁は焼杉と呼ばれる杉板の表面を焼き焦がし炭化させたもの、高い耐久性と防腐・防カビ効果、防虫効果、防火性の向上といったメリットがあるそうです。

重くなった足を引きずってやっと三条駅にたどり着くとやってきた特急は座席の少ない青い3000系、2両に増えたプレミアムカーに飛び込んだものの空席なしで前の車両に移動すると超満員、運良く祇園四条で目の前の席の人が下車して座れたものの、プレミアムカーが増えた分1両減った一般車は息苦しいくらいの混雑、天満橋に到着して八軒家浜で深呼吸です。どうも京阪電車の施策はナットクいかない。日中きっちり10分間隔でPRiVACEもログインなしでPayPayで買える阪急と比べるとかなり見劣りがします。