ミュシャとサラ・ベルナール

ヤマザキマザック美術館で感銘を受けたアール・ヌーボーをもっと見たくて堺アルフォンス・ミュシャ館へ。実は風邪をひいてしまったようで、鼻水がとまらないのですが、ウチにじっとしているのもつらいです。

久々の阪和線、目的地まで区間快速でひと駅。一昨日の線状降水帯でまだ水位がかなり高い大和川を渡ります。

堺市駅とペデストリアンデッキで直結しているベルマージュ堺、手前はイズミヤがキーテナントの商業棟、奥にタワマン2棟並び、北側のベルマージュ弐番館に堺アルフォンス・ミュシャ館があります。2階に受付があって4階と3階が展示室、「ミュシャのある暮らし」展開催中で期待が膨らみます。カメラOKマークがある作品のみ撮影OKとのこと。

1章「いらっしゃいませ」から「おかえりなさい」へ〜コマーシャルからインテリアへ〜は、カメラOKマークの無いリトグラフが並んでいました。帰宅後WikiPediaのアルフォンス・ミュシャのページをチェックすると、写真NGの展示作品と同じものを含む200点ものパブリック・ドメイン画像がアップされていました。同じ作品が多数存在するリトグラフならではかと。以下、WikiPediaへのテキストリンク(緑色のテキストリンク)を交え書き進めます。

ジスモンダ(1896年)は、19世紀末の大女優サラ・ベルナールが主演した宗教劇のポスター、サラが15歳も年下で無名画家だったミュシャを見出しジスモンダのポスターに起用し、ミュシャが時代の寵児となった作品らしい。

椿姫(1896年)は、ヴェルディのオペラ椿姫と同じくアレクサンドル・デュマ・フィス原作の舞台のポスター。オペラは方がずっと古く1853年の発表。オペラのヒロインはヴィオレッタで、サラ・ベルナール演ずるはマルグリット、三大テノール共演で椿姫の乾杯の歌を聞きながらWikiPediaでミュシャ鑑賞が楽しめます。

2章 明るい未来は明るいおうちからも撮影NGのリトグラフや書籍がならび、2章の奥に巨大なウミロフ・ミラー(1903-1904年)にはカメラOKマーク。貴重なミュシャ肉筆の油彩画で、テノール歌手ボザ・ウミロフ邸のマントルピースに飾られていたものだそうで、どれほど天井の高い豪邸に設置されていたんでしょう。画面左手にはカメラOKマークの無いブロンズ彫刻ラ・ナチュール(1899-1900年、ミュシャ館サイトに写真)が置かれていました。

3章 普遍のミューズたちでは一日の四つの時(1899年)、左から朝の目覚め昼の輝き夕べの無双朝の安らぎ、いずれもレプリカと明記されています。

一日の四つの時に囲まれた部屋では食卓をコーディネートして「ミュシャのある暮らし」を演出も家具はミュシャ作品ではないようです。ヤマザキマザック美術館のエミール・ガレの家具に囲まれた空間のような展示を期待していたのですが残念。カトラリーが裏向けになっているのはフランス流マナーだそうですが、グリーンのテーブルクロスが一部にしか掛かっておらず、お皿やカトラリーがテーブルクロスにのっていたり、のっていなかったりで、お簓がグラグラするのではないか、ちょっと不衛生ではないか、潔癖症の自分は気になりました。

夢想(1898年、レプリカ)と題したリトグラフは印刷工房/美術出版社・シャンブノワ社の宣伝ポスター、女性が手にしているのはシャンブノワ社のカタログ。

廊下に掲げられていた装飾デザインと題された展示、Google AIに訊くと実物のタイルとの回答、何度も念押ししたものの、19世紀末に製造された本物のアンティーク・セラミックタイルで間違いないとのことですが、どう見ても単なる図案のように見えます。念のためChatGPTに訊ねてみると、厚みが見えず、図柄がトリミングされているように見えることから、図案集ではないかとの見解です。

ChatGPT曰く「CDジャケットサイズの図案見本が並んでいるように見える」は言い得て妙。クラシック、ロック等様々なレコードやCDジャケットにミュシャが使われていると分かりました。イギリス人アーティスト・John Coulthart氏のブログでレコードジャケットになったミュシャがまとめられています。

ひとつひとつの図案をよく見るととても楽しい。左から2番目上から2番目、そばかすに三つ編みのウェンディーズのような女の子と、同じタッチの女性、全然違うタッチの女性、ジグソーのような花を開いた茎、絡まったヒモ、コラージュのような楽しさが感じられます。ド真ん中の図案も面白い。両側から細い腕が伸び、三日月型の中にはロバに餌を与える女性、その向こうに鳥の大群、こんな図柄を考えつくのは鬼才としか言いようがないと感じます。

手前はサヴォナローラチェア、ミュシャのデザインということではなく、このような椅子にモデルを座らせて絵を書いていたらしい。後ろはサヴォナローラチェアに腕をかけた罌栗と女性(1898年頃、レプリカ)、罌の字は貝ふたつを横に並べた下に缶、罌栗で「けし」と読み、添えられた英文は「Woman with Poppies」となっていました。ケシには芥子という漢字があるものの、カラシと混同されないようにこの字を使ったものと思われます。

リトグラフ印刷機はミュシャに直接関係するものではなく昭和初期の日本製、隣の小部屋で腰を下ろしてリトグラフ印刷工程が動画で学べるようになってました。

4章 掌に私だけのミュシャの世界はミュシャデザインの身の回り品がメイン。サラ・ベルナールのためにミュシャがデザインし、パリの宝飾家ジョルジュ・フーケが制作した蛇のブレスレットと指輪(1899年)は、金の蛇にオパールやルビーなどが嵌め込まれていて撮影NGなのが実に残念。WikiPediaにも見つからなかったもののミュシャ財団のウェブページで見つけました。サラ・ベルナール主演の舞台・メディア(1898年)で狂乱した王女メディアの腕に蛇のブレスレットが巻かれています。

ミュシャがデザインしたコルナ紙幣(1919-1927年)もミュシャ財団のウェブページで。1918年に誕生したチェコスロバキア共和国の紙幣デザインをミュシャは無償で引き受けており、世界一美しい紙幣と称されているようです。10コルナはミュシャの娘ヤロスラヴァ、50コルナは女神スラヴィアと娘ヤロスラヴァ、100コルナ紙幣は妻マルシュカだそうです。

さらにビスケット缶など、富裕層のための芸術ではなく、民衆に親しまれる芸術を実践していたミュシャの作品の数々。乾杯の歌でミュシャと上述したものの、やはりミュシャにベストマッチは同郷のドボルザークかと。お気に入りのラヴェック姉妹の演奏でスラブ舞曲第1集第1番ハ長調をどうぞ。

同じ時代に生きてスラブ人としてのアイデンティティを表現し続けたミュシャとドボルザーク、ふたりに直接的な接触の記録は残っていないものの、両者ともアメリカに渡り活動し名声を高め、二人に共通する友人としてヤナーチェクがいました。ミュシャのチェコの音楽の殿堂(1928年、creazillaサイト、ミュシャ館展示外)にはスメタナ(画面中央の髭の人物)、ドボルザーク(スメタナ左の楽譜を膝に置いて曲想を練っている人物)、ヤナーチェク(スメタナ右の手を組んでいる人物)が描かれています。

5章 我が家に遥かなる憧れをサマリアの女(1897年、レプリカ)は新約聖書ヨハネによる福音書を題材にした、劇作家エドモン・ロスタンによるサラ・ベルナール主演の舞台ポスター。WikiPediaの同じ作品では展示作品と異なり、流れる星が黒になってます。

黄道十二宮(1896年)はジスモンダと並ぶミュシャで一番人気の作品だそうな。雪の結晶などの髪飾りの女性の横顔と周りに12星座のシンボル。WikiPediaの同じ作品では画面下部のふたりの天使が描かれた枠の中が「Musha」になってます。元々カレンダーとしてデザインされた作品で色んなバージョンが存在しているらしい。展示作品はカレンダーの日付が入っていたスペースにミュシャ自身が智天使ケルビムを描き加えた特別仕様のバージョンと分かりました。

トリポリの姫君イルゼ(1897年)は豪華挿画本の8ページ分のページがめくれるようになったオブジェ。

3階に下りるとフォトスポット、ここで美人に囲まれたおっさんを演じたくは無いと思う。後ろのタペストリーに貼られた「Sakai Alphonse Muscha Museum」はせめてフォントを選んでほしかった。エレベーターにもミュシャ、安っちいスチレンボードの案内が残念。

展示室外のミュシャです。率直なところミュシャ館を出た時はちょっとがっかり、カメラOKの展示はウミロフ・ミラー以外は全てリトグラフの「レプリカ」、つまり印刷物の複製、おそらくデジタル処理したものと思われます。それに期待していたアール・ヌーボーの家具などもミュシャ自身の作品は見当たらず、ヤマザキマザック美術館の上質な展示室を訪ねたばかりで、どうしても見劣りしてしまいました。

自社コレクションの展示であるヤマザキマザックに対して、こちらはカメラのドイ創業者・土居君雄氏のコレクションが夫妻で新婚時代を過ごしたという堺市に寄贈されたコレクション、堺市としては千利休や与謝野晶子とは同等の気合や予算とはならなかったようです。

風邪を引いて集中力がなかったこともがっかりした原因のひとつと思われますが、美術館を出た時の感想は、官能的な女性たちの絵から山田五郎さんの「軽薄でチャラいロココ」という表現を思い出し、ビスケット缶や書籍の挿絵や装丁からはあべのハルカス美術館でみたクリエイティブディレクターのような小村雪岱を連想したまで。

ブログにまとめるのは諦めるかと、ChatGPTに相談してみたところ、ミュシャのロココ的魅力や小村雪岱との共通点という見方や、「ミュシャのある暮らし」というテーマに対する期待と実際とのズレは使える、リトグラフのレプリカという複製芸術を展示する難しさについて語るのはブログの良い切り口になるのでは、とのアドバイスをもらいました。

リトグラフのポスターは印刷物であり、町中に掲示されできるだけ多くの人に宣伝するのが本来の役割、それを撮影NGにするのは本末転倒ですが、その不満だけ語ってもあまり楽しくないかと。でも、上掲の装飾デザインはCDジャケットに見えるとのChatGPTのひとことで、一枚ずつよく見直してみると実に奥深い。葛飾北斎や尾形光琳の図案集を見たことがあるものの、ミュシャの図案は極めてバラエティに富み、常人では思いつかないような突拍子もなさがあり、美しい女性が描かれたその背景や商品パッケージなどが図案集同様の発想でデザインされていると気づきました。

それとWikiPediaに200点ものパブリックドメイン画像がアップされていたことから俄然ブログにまとめたいという意欲が湧いてきました。ミュシャ館では撮影NGでもWikiPediaの画像をじっくり鑑賞し直し、ベル・エポックならでは作品の背景が実に興味深く、ワクワクさせてくれました。

特にサラ・ベルナールとの関係については突っ込んでみました。かなり年が離れていたので男女関係はなかったようですが、サラはミュシャにとって強力なパトロンであり、またプロデューサーであったことは間違いありません。

上掲サマリアの女(レプリカ)のクローズアップです。SARAH-BERNHARDTと名前が大きく描かれ、他の作品の象徴化された女性と違って顔つきや表情にリアリティがあります。1897年の作品なので、サラ・ベルナールはもう53なのに実に美しい。実際年齢を重ねても美しさが変わらないひとだったらしい。日本の大女優でいえば松坂慶子さんを彷彿とさせます。

サラがミュシャ以外のどんな人達との交流があったかを探ってみるとこれも興味深い。まずはエミール・ガレ、サラはガレの作品を熱心に蒐集するコレクターだったらしく、逆にガレにはサラ・ベルナールに捧ぐ(En l'honneur de Sarah Bernhardt、サザビーズサイト)と題したガラスの壺が。ロートレックにもサラを描いたリトグラフ(メトロポリタン美術館)があるものの、サラにとっては実物以上に若々しく美しく女神のように理想化して描くミュシャの方がずっとお気に入りだったようです。

サラの時代は印象派やポスト印象派の時代、マネやドガとの多少の交流もあったようですが、彼女自身は印象派よりもアカデミズム(サロン・ド・パリ)を好み、ジョルジュ・クレラン作サラ・ベルナールの肖像(1876年)がサロンに出品され絶賛されています。

時はジャポニズム、日本人との交流も調べてみると、大河ドラマで松坂慶子さんが演じた川上貞奴の名前が出てきました。大反響だった1900年パリ万博での川上音二郎一座公演は、パブロ・ピカソ、オーギュスト・ロダン、アンドレ・ジッドらの巨匠たちも熱狂させ、貞奴は東洋のサラ・ベルナール、あるいはフランスの名女優サラ・ベルナールを圧倒しているとまで書き立てられています。これに対しサラは嫉妬、貞奴の演技を酷評しています。一方の貞奴は冷静に受け流し、70を過ぎても現役で美しく舞台に立つサラを究極の目標とし続けていたらしい。またサラのジャポニズムもかなりのもので、浮世絵や漆器、磁器、屏風などを買い集め、芸術家らを招いた席では着物をガウンとして羽織り、同性愛パートナーでもあったルイーズ・アベマが日本庭園のサラ・ベルナール(1885年、Google Arts & Culture)を描いています。

貞奴はサラのお抱えデザイナーのはずのアルフォンス・ミュシャまでも魅了し、ミュシャは熱心な観客となり、貞奴のブロマイドやスケッチを手元に残すも、サラへの遠慮から作品にはしなかったようです。

ベル・エポックのパリ、演劇や音楽、文学も含む芸術家たちの人物交差点を歩くきっかけを与えてくれた堺アルフォンス・ミュシャ美術館です。