ロダンと異人館

原田マハ美しき愚かものたちのタブローの松方コレクションが兵庫県立美術館へやってきました。国立西洋美術館へ行かなくても神戸で鑑賞できるとあればこれは見逃せません。

いつもと較べて何かと電車の接続が悪く、尼崎で乗り換えは最初からコレに乗ればよかった後続の快速急行、魚崎で山陽5000系直通特急に乗り換えるとドア内側まで美しくない広告シールがベタベタ、御影で普通に乗り換え漸く岩屋駅という残念な往路。10分ほど歩いて兵庫県立美術館を素通りしてJICAの食堂、10月のエスニック料理のエジプト料理にしたら前回食べてイマイチだったモロッコ料理とほぼ同じ内容の残念なランチ。

JICAから海側に出るとトラックがえらく急勾配を上って行きます。摩耶埠頭とポートアイランドを結ぶ摩耶大橋で、最大勾配6%はベタ踏み坂で知られる松江市と境港市を結ぶ江島大橋と変わらないです。

水辺を歩き海側から兵庫県立美術館へ戻り、チケットを買って展示室に入る前に喉が乾いたので自販機の場所を尋ねると、隣のビルのローソンが一番近いとのこと。テキサス州ダラスのように1ブロックが遠い町並みを、県立美術館とJICAのビルに挟まれた丹下健三設計で3月までWHOのあった閑散とした巨大なビルのローソンに入ってみると奥行が殆ど無く狭くてビックリ。よる10時までの営業、夜になると至って寂しくなる町のようです。県立美術館に戻り、髙橋遥人の29番は一番下だったので掛布の31番のコインロッカーにリュックを入れ、「松方幸次郎×山村德太郎 蒐集のパッション」展示室へ。

松方コレクション

川崎造船所初代社長の松方幸次郎は、1916年から11年間ロンドン、パリ、ベルリンなどで1万点以上の美術品を蒐集、金融恐慌で日本に運ばれていた作品群は売りたてられ、イギリスに残された作品群は焼失。美しき愚かものたちのタブローで詳しく描かれていたように、フランスに残されていた約370点が、第二次大戦後の吉田茂首相による日仏政府間交渉で日本に「寄贈」という名目で返還され、その受入施設として国立西洋美術館が開設されています。

ヴィクトリア朝イギリスを代表する画家で、ラファエロ以前の素朴で率直な芸術に立ち返ることを目指したラファエル前派の創設者のひとり、ジョン・エヴァレット・ミレイ 狼の巣穴(1863年)、室内のグランドピアノの下を「狼の巣穴」に見立てて、秘密基地のようにして遊ぶミレイの4人の子どもたちです。松方自身が1920年に蒐集した「旧松方コレクション」のひとつで、長年個人コレクションになっていたものを2020年に国立西洋美術館が1億1千万円で買い戻しています。

フランス写実主義のギュスターヴ・クールベ 肌ぬぎの女(1867年)、1922年に松方がパリの画廊で購入、戦後フランスから日本へ「寄贈」された「松方コレクション」のひとつ。

古典主義の大家ウィリアム・アドルフ・ブグローに師事していたイギリス人画家。フランク・スキップワース おしゃべり女(婦人の肖像、1889年)。これも「旧松方コレクション」に含まれ、現在は兵庫県加西市が所蔵し兵庫県立美術館に寄託。

若くしてレジオン・ドヌール勲章受章も36歳で早逝した自然主義のフランス人画家、ジュール・バスティアン=ルパージュ 洗濯女(1883年)は、その故郷ロレーヌ地方ダンヴィエの村の小川で洗濯にいそしむ女性たち。個人蔵で兵庫県立美術館寄託の「旧松方コレクション」。

ポール・ゴーガン ブルターニュ風景(1888年)はファン・ゴッホのいるアルルへ向かう直前の作品、戦後に「寄贈」された「松方コレクション」のひとつ。草むらなどは印象派の筆触分割表現に、家々などは総合主義の新しい表現が混在しています。独自のケルト文化やブルトン語が色濃く残り、素朴で深い信仰心を持つ人々が暮らし「画家たちの村」と呼ばれるブルターニュのポン=タヴェンで描かれたもの。

クロード・モネ 陽を浴びるポプラ並木(1891年)、ジヴェルニーを流れるエプト川岸辺のポプラ並木を描いた連作のひとつで「松方コレクション」。松方は1921年にジヴェルニーのモネを訪ねています。

松方は深い親交のあったフランク・ブラングィンに共楽美術館の設計を依頼、当初松方が住んでいた神戸に建設予定だったものが東京麻布の松方所有地に変更、ブラングィンによる共楽美術館構想の俯瞰図です。建設予定地は東京・麻布でした。

フランク・ブラングィン 松方幸次郎の肖像(1916年、旧松方コレクション)、松方コレクション、旧松方コレクションの絵画はここまで、ちょっと物足りなくちょっと残念。

続く展示室はロダンの彫刻が12点、絵画の展示室と異なり圧巻。

ダンテ「神曲」に描かれたパオロとフランチェスカに通じる愛をテーマにした永遠の青春(1884年?、兵庫県立美術館)。そして、体を丸めたうずくまる女と堕ちる男(女性を両腕で抱え上げている男性)の二つの異なる単体像を組み合わせた 私は美しい(1885年頃、松方コレクション)。

ご存知、考える人(71.5cm、1881-82年、松方コレクション)も元は「地獄の門」の一部、フランスで法的にオリジナルと認められた21体のうちの1体。1881-82年とあるのは原型制作年で、松方幸次郎の注文によりロダンの死後1926年にフランスのルディエール鋳造所で作られたもの。ロダン生前の鋳造は9体しかなく、内1体が鹿児島のパチンコ店グループの長島美術館にありロダンのサイン付らしい。

京都国立博物館で屋外展示されている考える人は等身大で国立西洋美術館には本作とは別に等身大が屋外展示されています。さらに38cmの考える人が久保惣美術館にあります。オリジナル21体とは別にやはりオリジナルとされる縮小版が30〜50体以上あるうちのひとつらしい。

オルフェウスとマイナスたち(1889年以前、松方コレクション)は竪琴の名手オルフェウスがディオニュソス(バッカス)の狂信者マイナスたちに八つ裂きにされる場面。3人の女性の他に台座にも顔、これがオルフェウスらしい。

上掲「私は美しい」の「うずくまる女」と同じ型からつくられ向きを変えて単独の作品になっているうずくまる女(1882年頃、1906-08頃に拡大、松方コレクション)。

石膏製の円柱上のスフィンクス(91cm、1903頃、旧松方コレクション)は、オベリスクのような巨大モニュメント制作を目論んでいたのでは、と感じさせます。

小さめのブロンズが4点。ローマ神話に登場する牧畜の保護神 三人のファウナたち(24cm、1896年以前、松方コレクション)、そしてギリシャ神話に登場する海神の娘で、舟人を美しい声で魅惑し難破させたネレイスたち(43cm、1887年以前、松方コレクション)。

人の老齢期を象徴し生命の儚さを伝える 美しかりしオーミエール(1885-87年、松方コレクション)。そしてフギット・アモール(去りゆく愛、1887年以前、松方コレクション)は上掲の「永遠の青春」と同じく「パオロとフランチェスカ」の物語に由来する、許されぬ愛の末に命を奪われ、永遠に顔をあわせることのできない恋人たち。

壁にはロダンのデッサンが35点、さかんに流れてくる本展のCM動画には67点が集結とあり、このデッサンは35点で1点とカウントされているのは良心的。

ロダンの「地獄の門」はロダン生前にはブロンズとして鋳造されておらず、松方幸次郎の注文を受けて1930年から1933年にかけて鋳造され、戦後に「寄贈」された松方コレクションのひとつで、国立西洋美術館に屋外展示されています。その国立西洋美術館の「地獄の門」の写真と展示作品の照合パネル、「地獄の門」は高さ540cmもあり、「考える人」はどまん中にいます。

賑わっていたロダンの展示室に誰もいなくなりました。監視員の女性に、ロダンひとりじめ、と声をかけると、私もカメラを持っていたら撮りたいくらいですと返事、目立たないところに隠れてくれる気遣いが嬉しい。

隣のコレクション・ダイアローグ展示室にもロダン、青銅時代(1877年、松方コレクション)さらに 痙攣する大きな手(1900年以前、兵庫県立美術館)。

ロダン オルフェウス(1908年、1921年鋳造、松方コレクション)は上掲「オルフェウスとマイナスたち」にも登場しています。そして朝倉響子 女(1971年)、戦後日本を代表する彫刻家の都会的で洗練された女性像、フラワーロードに同名の朝倉作品があります。

山村コレクション

ここから山村德太郎コレクション。山村はガラス瓶のトップメーカー山村硝子社長を務め、国内有数の前衛美術コレクションを築いたコレクターで、多くが兵庫県立美術館と国立西洋美術館に寄贈されています。

まずは段ボール製の篠原有司男 モーターサイクル・ママ(1971年)。そして巨大やじろべえは前衛芸術グループ「具体美術協会」の中心作家・白髪一雄の 超現代三番叟(1957/85年)、1957年に発表で1985年に再制作された能や長唄ではなく、前衛芸術の三番叟パフォーマンス用衣装で長さ7m。

ジョアン・ミロ 絵画(1953年、国立西洋美術館、山村家から寄贈)、ホアン・ミロと呼ぶ方が馴染みがあるのですが、スペインでもバルセロナ出身なのでジョアンが本人も希望した正しい呼び方らしい。

シュルレアリスムを牽引したドイツ人画家・彫刻家のマックス・エルンスト 石化した森(1927年、国立西洋美術館)は「森と太陽」シリーズの代表作。白い円は月ではなく太陽、日の差さない暗い森を描いたものかと。背景の空のブルーが絶妙です。

ジャン・デュビュッフェご婦人のからだ「ぼさぼさ髪」(1950年、国立西洋美術館)、土偶を彷彿とさせるヌードです。

山村德太郎の夢:戦後日本の現代美術の展示室は兵庫県立美術館の山村コレクション。さっきから時々火災報知器の音が鳴り響いていて、故障かなと思っていたら、押しボタンだけの田中敦子「ベル」という作品で静謐な展示室に大音響を鳴らすことができるようになっていたのですが何故か撮影NGでした。

白髪一雄 泥にいどむ(1985年)は白髪がパンツ1枚で泥の山に飛び込んだ1955年のパフォーマンスのエネルギーで絵具と格闘して生み出した作品らしい。

最後にオーギュスト・ロダン地獄の門のマケット 第三構想(1881-82年頃、松方コレクション)はフランス政府から依頼を受け制作に取り組んだ「地獄の門」の石膏着色による立体習作の最終的な第三段。

人間の生命の脈動や内面の葛藤というロダンの魅力を言葉で表すのはとても難しく、それに鋳造サイズの違いや単体像や組み合わせ像(アサンブラージュ)が混在していて難解、テーマ自体も難解。もし美学科学生だったとしたら取り組むテーマとしてはかなりハードルが高そうです。

常設展の小磯良平展示室は閉鎖されていて来週かららしい、残念。Ando Galleryへ続く螺旋階段の下から見上げたところです。水辺に出ると多くないけど小魚の群れ、緑のラインが見えた気がするのでトウゴロウイワシかと。

県立美術館前の歩道橋からの眺め、正面は摩耶山、白い鉄塔が立っているところが掬星台、そこから10分も歩くと摩耶山天正寺でアサギマダラがいる可能性が高いのですが、バスとケーブルカーとロープウェイを乗り継いで1時間かかり夕方になってしまうので諦めます。

歩道橋を下りたところに緑色のオブジェ、恐竜かと思いきやPEASE CRACKER、サヤエンドウです。灘駅前にタバコの吸える喫茶店を見つけひと休みして三宮へ。過日ヨドコウ迎賓館を訪ねたブログの文末で書いた風見鶏の館を訪ねてみることにします

風見鶏の館

観光客で賑わいソフトクリームやさんとかが並ぶトーマス坂は昔の清里を思い出させます。

北野町中公園に「北野・山本地区はパリのモンマルトル地区と友好提携を結びました」というプレート。モンマルトルよりずっと狭いもののその雰囲気が少し感じられます。

風見鶏の館(旧トーマス邸)に到着。ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマス邸として明治42年頃に建てられた重要文化財、外壁が煉瓦張りの木造2階建てで塔屋に風見鶏。

応接間のソファは当時のものではなさそうです。テーブルのバラはたぶんアーティフィシャルフラワー。食堂の食器が揃っていないのが残念。

食堂の戸棚は当時のままのようです。錺金具や取っ手の意匠が素晴らしい。

戸棚の扉が開かれたところの内部にはブリキ板が貼られワインセラーになっています。上段に並んだ特徴的なボトルの3本はフランケンワイン。玩具の仕事で度々訪ねたニュルンベルクで味を覚えた、フランケン地方の辛口の白ワイン。あのフランケンシュタインと同じ「フランケン」です。

2階へ上がります。窓の磨りガラスがかなり凝ってます。シャンデリアや暖炉は昔のままと思われる朝食の間に昭和53年の朝ドラ「風見鶏」のパネル。主演は新井春美さん、ドイツ人のパン職人と結婚した女性の物語で神戸の老舗ベーカリー「フロインドリーブ」をモデルにしているらしく、風見鶏の館のトーマス家とは無関係らしい。ドラマはうっすら見た記憶があるような。

中曽根元首相が「風見鶏」とあだ名されていたのは、この朝ドラに因むものと思い込んでいたのですが、実際には佐藤内閣を激しく批判していたにもかかわらず、手のひらを返して入閣した昭和42年以来だそうで。このあだ名の方が朝ドラよりずっと古いと分かりました。

子供部屋に続く化粧台とミシンのある部屋、おもしろい形のソファはたぶん昔のものを修復しているようです。

ベランダからの眺め、大阪湾をまたいで遠く富田林のPLの塔まで見えます。

1階に戻り5面のベイウィンドウが張り出した書斎。ジトーマスと記された表札、ジはTHEでトーマス家という意味のはず。子音だから「ザ」ではないか、とか細かいことはなし。

萌黄の館

隣接する異人館、萌黄の館です。アメリカ総領事ハンター・シャープ邸で明治36年築の木造2階建て、昭和19年から小林秀雄神戸電鉄社長邸となり、昭和53年まで居住されていたらしい。昭和55年に小林家住宅(旧シャープ住宅)として重要文化財に指定された当時は「白い異人館」と呼ばれていたものの、昭和62年からの半解体修理で明治36年当時の萌葱色に改められています。

入口のあるベランダの天井に幾何学模様は和風の格天井をコロニアル様式風にアレンジした装飾。スタッフさんたちのメイドさん風の黒いロングスカートの衣装が素敵です。

ホール入口にステンドグラス、「図柄は現在の所有者である小林家の家紋」と案内されていますが、これは間違いで、神戸市に譲渡され、所有権が移っています。

「寄贈在日米国大使館アメリカ合衆国独立250周年記念」とあるフロアマップ付きの萌黄の館紹介プレート、最近の寄贈のようです。

食堂兼居間、棚の上の鏡像はムッソリーニのものだったらしい。

マントルピースのタイルはイギリス・ミントン社製、棚の人形は古いものではなさそうですが素敵。

応接室の暖炉の上の鏡は姿見ではなく、外の景色を写して楽しむためだそう。

2階の化粧室の床にはトランクと帽子、寝室の小テーブルに寝酒のワインとチーズ。

ベランダからの眺め、神戸市にはタワマン規制があったはずですが、せっかくの海の眺めが台無し。調べてみると左のタワマンは規制ができる前に竣工したもので、右の建設中は複合商業ビルらしい。

居間のテーブルにはチェス、居間の暖炉のタイルが美しい。

震災で3本の煙突が全て落下、その1本が裏庭に遺されています。

裏口の外の坂道がすごい、測ってみると20%はありそうです。

萌黄の館の裏側です。表にはサックスを吹くおっちゃんの像、神戸は日本のジャズ発祥の地、とは知らんかった。

ふたつ訪ねた異人館、同じ洋館でも芦屋のヨドコウ迎賓館とは全然違ってました。ヨドコウ迎賓館のような重厚感が感じられないものの楽しさが感じられる風見鶏の館や萌黄の館、ヨドコウ迎賓館はフランク・ロイド・ライト設計の建物の展示に対して、風見鶏の館や萌黄の館は生活空間の展示と言えそうです。

日が陰ってきた風見鶏の館。坂道を下りていつもタルショウでCS第4戦をテレビで見ながらフランクでプファー。9回裏2死満塁で代打木浪、ホームランがでれば逆転サヨナラのシーンでテレビ中継終了。サンテレビだとありえないことで、帰るわ、お勘定して。

長田本庄軒の行列が短かったので並んでみたものの、ぼっかけ焼きそばにありつけるまで結局30分ほどかかりました。目玉焼きのせが150円プラスはありえないと思いつつ追加。これまでお気に入りだったのですが、阪神スナックパーク・ローマ軒のナポリタン(630円)の方が満足感が高いと気づいた次第。

結局木浪は三振で今年の野球は終了、直通特急は空席なしで立ちん坊、尼崎で奈良行普通に乗り換えるとドーンという音、今日は淀川の花火と気づきました。あのまま直通特急に乗っていたら車窓から見えたはず。何かと残念なことが多かった一日でした。