奈良の雪

この冬最後っぽい雪の予報、京都じゃなくて奈良へ行ってみます。雪原の鹿が撮れるかも。

生駒トンネルを抜けると家々の屋根が白くなってました。うっすら雪景色の平城京跡、画面左端に大極殿が見えます。若草山も白くなっているのがちらっと見えました。

10時頃から雪の予報なので急ぐことはなく、小西通りのドトールで温まります。モーニングじゃなくてミラノサンドB。お店を出ると予報通りチラチラ。

興福寺

雪原を駆ける鹿を期待して飛火野へ、興福寺を通り抜けます。中金堂とすっかり工事用の足場で覆われてしまった五重塔です。

国宝館前で今日の鹿1号。

青信号を渡る鹿と、赤になったので急いで渡る鹿。

背中や耳に雪をかぶった鹿。雪景色の国立博物館です。

南大門前交差点南西角の古池です。カワセミは不在。

いつもより人は少なめの南大門前交差点です。

飛火野

飛火野に到着、丘の上の方は雪が少し積もってます。

丘の上へやって来ると鹿がじっとしていました。自分と同じ発想で雪原の鹿狙いのカメラマンが何人か。

周囲の木々はいい感じに雪景色。

雪原を駆ける鹿をイメージしていたのですが、多くの鹿は雪のない木陰。

雪の無いところで鹿が駆けてきました。

1時間ほど前に鹿寄せが行われていたようです。それも今日が最終日。ドトールでコーヒー飲んでなかったら間に合っていたかも。

野鳥みたいに首に標識を付けた鹿がいました。

石灯籠の陰が好きな鹿たち。

春日大社本殿までやってくると、南門(治承3年-1179年-創建、重要文化財)の檜皮葺き屋根や石灯籠に雪が積もってました。

吊灯籠の列が美しい、雪が積もっていたらもっと美しかったかと。

石段を下りてくるとここでも石灯籠と鹿。倒れた石灯籠の基部に鹿。

水谷(みずや)茶屋の茅葺き屋根にも雪。茅葺きと檜皮葺とどう違うか、アシやススキなどのイネ科の茎で葺いたのが茅葺きで縄文時代の竪穴住居や吉城園の母屋も茅葺き、剥ぎ取った檜の皮を何層にも重ねて竹針で固定したのが檜皮葺。

水谷茶屋のショーケースにおりがみの鹿。

Quiche

茅葺き屋根に少し雪の積もった水谷茶屋に鹿がやってきました。ふだんはひっきりなしに観光客がやってくるので、こういうひっそりしたシーンはなかなか撮れません。緋毛氈の縁台も出されていないので今日はパスします。

春日山原生林の様子を確かめるべく水谷川(吉城川上流)沿いの道を歩いてみます。トリコロールの旗が掲げられているのは前から訪ねてみようと思っていたキッシュ屋さん。訪ねた知人からとても美味しかったと聞いたばかりです。

キッシュ屋さんを通り過ぎ春日山遊歩道入口、以前春日山原生林を15分ほど歩いて引き換えしてしまったのですが、道は若草山山頂へと通じています。今日は川面を覗いただけで引き返し、少しだけ若草山の方へ歩きかけたもののやはりキッシュ屋さんに入ってみることにしました。

LE CASEというキッシュ専門店、ストーブが間近の温かいテーブルをゲット。テーブルが2つの他、奥は座敷になってます。自分の後すぐに満席になってました。予約するのがオススメらしく、運が良かったようです。

一番ベーシックなキッシュ・ロレーヌを選びました。キッシュ自体アルザス・ロレーヌ地方の郷土料理、30年以上前に出張でストラスブールを訪ねたはずもキッシュを食べたかどうかは記憶にありません。

キッシュの上に生野菜や炒め野菜がたっぷり、このお店ならではのアレンジかと。とても美味、美しいお皿にバルサミコとオリーブが垂らされているのがいかにもフレンチ。

窓の外はまだコンコンと降ってます。古民家というか普通の古い木造住宅を改造したお店です。

水谷茶屋から若草山への石段てっぺんに鹿のシルエット。石段を上がるとこの子です。

平城京跡辺りからは白く見えたのですが、若草山には全然雪が積もっていません。

二月堂までやってきました。石段はブロックされていて屋根のある階段から上ってくださいと案内。雪で滑りやすくなっていることへの配慮かと。

登楼へ回ると斜面が竹矢来に囲まれていました。石段の上には「修二会専用、関係者以外触らないでください」とフタをしたネコ車。

雪に烟る大仏殿の眺めに歓声が上がってました。修二会の準備が進む二月堂です。

二月堂軒下の吊灯籠を見て登楼を下りると、お松明が立てかけられていました。

サワガニのいない二月堂裏参道、すっかり「映え」ポイントになってしまったので人が通らないタイミングを見つけるのは難しいのですが今日は特別。

大仏殿東側でジョウビタキ。オレンジと黒とシルバーのセーターがあれば買いたい。

すっかり晴れ上がってしまいました。中門の隙間から大仏殿。

中門の持国天と兜跋毘沙門天、いずれも享保4年(1719年)京仏師山本山本順慶作。兜跋(とばつ)とはシルクロードのトルファンのことらしい。

鏡池に写った逆さ大仏殿をバックに鹿の記念撮影。東大寺本坊の向こうに若草山、白い部分はほぼ全滅。

南大門の金剛力像吽形と阿形、建仁3年(1203年)、運慶一門が69日で作った国宝、高さ8.4m。

南大門と森奈良漬店の間の人通りの多いところでお休み中の鹿たち。瑠璃絵の夜にもここに集まって寝ていたので鹿たちの塒のひとつのようです。

吉城園の新しくできた裏木戸は閉鎖されていたので、氷室神社に回ってみると氷は四角く切り出されたまま。

氷室神社から吉城園へ入る木戸には今日から2月末まで閉園との貼り紙。元旦でも営業している吉城園ですが毎年この時期は閉園だったと思い出しました。

青銅器館

吉城園の代わりに奈良国立博物館に入ることにしました。この前閉館間際でしっかり見ることができなかった青銅器館をじっくり見てみたい。

タイムリーに特別展「お水取り」を開催中。特別展は撮影禁止も、東大寺開山の良弁のこと、修二会の縁起、2週間の日程や行法、1日1回の精進料理、絶対秘仏の大観音と聖観音、などが絵巻物を中心に紹介されていました。良弁の高弟で頭塔を造営した実忠が天平勝宝4年に創始した修二会は今年で1274回目とのこと。

金峯山寺の金剛力士像は高さ5mなので、8mの南大門の金剛力士像はとてもここに入らないと分かります。

仏像館と青銅器館をつなぐガラスの回廊の椅子でひと休み、外ではまた雪がチラチラ。

商末周初期(BC11〜BC10世紀)鳳凰文卣(ゆう)をじっくり鑑賞、正面と側面を見比べてみると側面が細く見えるのは気のせいか。

商前期(二里岡期、BC17〜BC15世紀)の鬲(れき、袋形で三本脚の炊器)、二里岡文化とは青銅器を大々的に使用した中国最初の文化、二里岡文化の前が二里頭文化(紀元前22〜19世紀頃)。

商後期(殷墟期、BC15〜BC11世紀)の卣(ゆう、提げ手のついた酒壺)、どっしりとひょろり、どちらもいい形してます。

商後期(殷墟期、BC15〜BC11世紀)の斝(か)は酒を温めるための器、つまりチロリです。

注口のついた急須のようなものは盉(か、戦国期 - BC5〜BC3世紀)、茶ではなく酒を注ぐためのものだったようです。斝も盉も「か」ですが、ピンインだと斝はJiǎ、盉はHéです。

西周中期(BC10〜BC9世紀)の鼎(てい、肉などを煮るための三脚の鍋)。内側に甲骨文字のような文字が刻まれていますが、甲骨文字じゃなくて青銅器に刻まれているのは金文だそうです。

その金文の文面です。文面最後のは「子」は「孫」、元祖漢字が絵文字だったと気付かされ、3千年前の人たちに親近感を覚えます。

前漢(BC3〜AD1世紀)の鍾(しょう、金へんに重)。上述の卣が壺型に進化したものらしい。左側は金メッキの鍍金鍾、金が最高峰の金属として認識されたのは春秋後期以降らしい。

西周前期(BC11〜BC10世紀)の鐃(どう、あるいはにょう)、ドミソの音階を奏でられる楽器で英語に翻訳するとSymbal。

外へでるとすっかり晴れ上がっていました。朝の写真とほぼ同じ場所が全然異なる景色、左手が仏像館、右手は青銅器館です。気温もぐんと上がったみたいでこれでこの冬はおしまいのようです。

猿沢の池のカイツブリ。