奈良公園のお正月

元旦に行きそびれた吉城園へ。

吉城園

いつもは人も車も少ない県立美術館北側の狭い通りが渋滞、なぜか品川、練馬、江東(2020年にできたらしい)と東京ナンバーが目立ちます。すると柏ナンバー、越谷ナンバーも。

お隣の依水園は休業も吉城園は開園中。いつものように母屋縁側に腰を下ろすもなんとなく寒々としています。入園してくるのはほぼ100%インバウンドさんたち。

実を上に持ち上げているのはセンリョウ、下にぶら下げているのはマンリョウ。センリョウの実は黄色もあるものの、マンリョウは赤だけです。

茶花の庭も寂しい限りで引き上げます。ジョウビタキ♂発見もピント合わず。

苔の庭の端っこでフランス人ファミリーが写生会を開催中。鳥も花もいないちょっとがっかりな今日の吉城園でした。

大仏池→二月堂→水谷茶屋

このまま呑みモードではあまりに残念なので、奈良公園をぐるっと回ってみることにしました。東大寺境内の建物や門にはそれぞれ神道の風習のはずの注連飾り。

大仏池も寂しく、コガモ男子ペア。

大仏殿の裏側です。

大仏殿東側にある用水池のような長池に笑える看板。この池には奈良県指定天然記念物のワタカという魚がいるはずですが、コイしか見当たらず。

かわいいバンビちゃんと目が合いました。

二月堂裏参道に到着。

この時期にサワガニいるはずがないと知りつつも脇溝をチェック。

よくみるとサワガニの脚らしきが散らばっています。脱皮した皮なのか、アライグマに食い散らかされたものかは不明です。

いつもとは逆に登楼から二月堂へ上ってみます。

二月堂からの眺めです。大仏殿の真向に生駒山上、ここから生駒山頂を結ぶ直線の延長上に自分ちがあります。

二月堂前のお茶やさんで茶粥を食べようかと思ったらちょっと前まで700円だったのが1,000円になっていたので諦めました。若草山は本日休業。若草山山頂に鷲塚古墳という前方後円墳があって、暖かくなったら訪ねるつもりです。

水谷茶屋の灰皿が置かれた緋毛氈の縁台が空いていました。熱燗が無いのでビールにしたけどちょっと寒かった。

食後のトレーは返却口まで戻してください、が中国語、韓国語、イタリア語(grazieでスペイン語じゃないことが分かりました)とフランス語。

英語が無い、と裏返すと、英語は鹿の被り物の人が案内していました。

緋毛氈のかかった縁台の向こうは水谷川(みずやがわ)の谷、そこになにか紙切れがいっぱい散らばってます。

茶屋の人に尋ねてみると、紙の人形(ひとがた)を春日大社の神職が撒いたものと教えてくれました。調べてみると半年毎に行われる大祓式というもので、夏の動画が見つかりました。

道路の真ん中で立ち止まってしまった鹿を慎重に回避する白いクルマと、道路を横断中の母子が渡り終わるのを見守っている黒いクルマ。

浮雲園地の池では鹿が穴を掘って、座り心地の良さそうなスペースを作っていました。

南大門前はやはりすごい人、人、人。

カワセミを見つけたことのある南大門前交差点南西角のきれいじゃない古池、カワセミは不在も鹿。

奈良国立博物館

特別陳列「春日若宮おん祭の信仰と美術」のポスターを見て奈良国立博物館に初めて入ってみました。入館料700円、70歳以上は無料だそうですが、まだそこまでジイさんになってません。

「春日若宮おん祭の信仰と美術」は国宝や重要文化財を含む展示も撮影禁止だったのであまり記憶に残らなかったものの、若宮おん祭りのビデオでの紹介コーナーには誰もいなかったので、腰を掛けてゆっくり鑑賞することができました。

小学生の時、祖父に連れられ行列を見物した記憶があり、京都の時代祭のような古代の衣装を来たパレードだとばかり思っていたのですが、さまざまな神事、儀式、行列、田楽(食物じゃなくて舞踊の方)、お渡式、競馬、流鏑馬、御旅所祭、奉納相撲、能・狂言と4日間に渡って開催される想像以上に大規模な祭りと分かりました。

追記(1月12日): 特別陳列「春日若宮おん祭の信仰と美術」では、美の壺「めでたきかな 鶴」で紹介されていた国宝の金鶴とその復元新調が展示されていて、5cmほどのツルに惹かれたことを思い出しました。テレビで詳しく紹介されているのを見てその美しさや国宝になり復元新調された意味が分かりました。

若宮おん祭りのビデオコーナーを出て階段を下りると地下に広いミュージアムショップやレストランがあってビックリ。地下回廊に仏像の手(印相)の展示、仏像の手のポーズにこんなに種類があってそれぞれに意味があるとは知りませんでした。一番左の「施無畏与願印」は東大寺大仏殿盧遮那仏のポーズですね。

地下回廊を抜け階段を上がるとなら仏像館、こちらは一部写真OKです。最初は新薬師寺伝来で南都の平安仏に多い板光背を伴う重要文化財十一面観音菩薩立像。

四天王寺内にあった蓮華蔵院の本尊だったらしい如意輪観音菩薩像(鎌倉時代 - 健治元年)。6本(たぶん)の腕は肩からどのように伸びているのか見てみたい。

ユーモラスな体型に笑顔の誕生釈迦仏立像(飛鳥時代 - 7世紀)。

統一新羅(8世紀)渡来の如来立像と五胡十六国時代(4〜5世紀)中国渡来の如来立像。

吉野の金峯山寺仁王門の金剛力士像(南北朝時代 - 延元4年、康成作)左手の吽形(うんぎょう)は505.8cm、右手の阿形(あぎょう)は506.2cm、左端の男性との比較で大きさが伝わります。

それぞれに異なるダイナミックなポーズの十二神将立像(鎌倉時代 - 12世紀)、それぞれ頭に干支の動物がのっています。

それにしてもお寺と違って、博物館に展示されている仏像の前に賽銭箱などはなく、また手を合わせている人もひとりもいません。仏さんではなくて仏像と感じさせます。

なら仏像館を抜けるとガラスで囲まれた回廊、もう閉館時間なので、出口へ向かいかけるとガラスの回廊の向こうは青銅器館。写真撮影可のようなので急いで回ってみます。

商末周初期(紀元前11〜紀元前10世紀)の饕餮文大鼎(とうてつもんだいてい)、重さ62.5kg。鼎(かなえ)は3本の脚がついた鍋・釜として使用された器、3つの勢力が並び立つ状態を意味する「鼎立」、権力者の権威を疑って、地位を奪おうとすることを意味する「鼎の軽重を問う」の鼎です。饕餮文は左右対称の怪獣の文様。商は殷とも呼ばれる実在が確認されている中国最古の王朝、「商人」という言葉の語源。古いです。

饕餮文とかものすごい画数の見たことのない漢字をよみがなからあっさり変換できたのでビックリでした。

さらに古い商後期(紀元前15から紀元前11世紀)の鴟鴞卣(しきょうゆう)、「卣」は酒壺、「鴟鴞」はトビまたはフクロウのこと。

ど迫力の商末周初期(紀元前11〜紀元前10世紀)の鳳凰文卣、高さ51,4cm、口径20.2x15.7cm。見る者に迫ってくるような規則的にも不規則にも見える立体装飾でびっしり表面が埋め尽くされた壺。縄文時代中期の火焔土器にも通じる3千年前の人々のパワーを強く感じさせます。

閉館時間で追い出されるように退出、出直して来てじっくり見直してみたい思います。青銅器という全く知らなかった世界。ハマりそうです。京都鹿ヶ谷に泉屋博古館に青銅器館があり、1年間の改装中も4月にリニューアルオープンだそうな。春が楽しみです。

向こうの建物が特別陳列「春日若宮おん祭の信仰と美術」開催中の奈良国立博物館新館。左手の池の左手の地中に地下回廊が通っています。

振り返ってさっき写真を撮ったガラスの回廊が見えます。右手がなら仏像館、左手が青銅器館。

興福寺五重塔は完全に工事用の素屋根に覆われてしまいました。

西の空に上弦の月。