花を愛でる、古きを尊ぶ

大和文華館の特別企画展「花を愛でる古きを尊ぶ」の出陳目録に俵屋宗達の名を見つけ学園前へ。まいど気の利いたお店は見つからず、マック、ミスド、ケンタ、コメダ、スタバ、モスと揃っているのに、松屋や吉野家は無い学園前、迷って迷ってミスドでおかずパイふたつのブランチ。居心地良くないものの、さすがにきれいなひと、おしゃれなひと、上品なひとが多い学園前です。

南口から炎天下を500mで大和文華館のチケットブース、門を入ると森の道で少し涼しく、フヨウがきれいです。

ピカピカに磨かれた渡り廊下の先、展示室入口にはいつものように単独陳列の展示ケースが3つ。その右側のケースは黄地紫彩花卉人物文尊式瓶(景徳鎮窯官窯、明時代後期万暦年間)、古青銅器の「尊」を模した倣古陶磁器です。

花を愛でる

展示室右半分は「第1章 花を愛でる」、展示品#1は重要文化財伝毛益筆 蜀葵遊猫図・萱草狗図 (南宋時代、12-13世紀)、右幅はタチアオイが咲いた太湖石(江蘇省太湖周辺から切り出された奇石)の庭で遊ぶふさふさした毛並みのニャンコたち、左幅は萱草(かんぞう、ワスレグサ)が生えた太湖石の庭で遊ぶふさふさした毛並みのワンコたち。

江戸時代中期に日本に伝わり唐絵の最高峰として珍重され、狩野派や伊藤若冲らに大きな影響を与え、円山応挙や長沢芦雪の犬の絵の原点となったのが本作らしい。昭和30年に重要文化財指定されています。

伝余崧筆 桐下遊兎図(清時代)、3羽のウサギ、画面右下はシュウカイドウ、長く伸びた赤い花、白い花はホウセンカ。

鄭燮筆 墨蘭図(清時代、18世紀半ば)、蘭の葉っぱだけじゃなくて、画面左上の薄墨は蘭の花、右下の薄墨は蘭の根っこだそうです。

伝狩野安信筆 唐絵手鑑(江戸時代前期)は56図の唐絵模本を一冊にまとめたもの、このページは籐籠に活けられたスイセン、サザンカなど冬の花。オリジナルの李嵩花籃(宋時代)が台北の故宮博物館サイトに紹介されていました。狩野安信は狩野探幽の弟で江戸時代前期の奥絵師。

宗清立花伝書(著者不詳、享禄2年 - 1529年奥書)、室町時代に書院造りの座敷に花を飾るための作法として創成された華道、その三具足、平地、寿命、古今などの華道の型の立花図を記した初期の華道の姿を伝える花伝書。三具足(みつぐそく)は香炉と花瓶と燭台を並べた型。

山本梅逸筆 四君子図(天保10年、1839年)、四君子とは蘭、竹、菊、梅の四種の花を君子に例え称える言葉、その季節の異なる四君子が墨絵で一枚に収められた一幅。山本梅逸は江戸時代後期、尾張南画の文人画家。

「花を愛でる」の奥の掛け軸5幅は今日のハイライト。

俵屋宗達筆 桜図は、宗達が確立し琳派の絵師に受け継がれた「たらしこみ」技法で描かれた山桜。豪華絢爛な金屏風のような作品を期待していたのですが、この墨の濃淡だけもすごくいい。弧を描いた枝に囲まれた空間の表現はいかにも宗達。「宗達法橋」の落款と「対青軒(宗達の画号)」の朱文円印が絶妙なポジションに。たらしこみ技法の実演動画がとても参考になりました。

喜多川相説筆 草花図、たらしこみで描かれたリンドウ。喜多川相説は俵屋宗達、俵屋宗雪を継ぐ琳派の絵師。

酒井抱一筆 瓶花図(文化12年 - 1815年)、画面の少し右よりの絶妙な位置に配された花瓶、タチアオイとアジサイ、一輪だけテッポウユリ、よくみるとナデシコも。花瓶には「文化乙亥年六月二日 抱一暉真筆」の落款、印は「光琳忌百幅之一」、尾形光琳百回忌に描いた百幅のひとつです。

松村景文筆 花鳥図(双幅)、右幅にはボタンと2羽の雀、左幅にはフヨウとシジュウカラ。松村景文は江戸時代中期の京都四条派の花鳥画の名手。ここに光琳の花を描いた軸が並べば、と想像してみたのですがちょっと贅沢すぎるかな。

古きを尊ぶ

展示室左半分は「第2章 古きを尊ぶ」。金農筆 陸瀛贈硯銘・尺牘巻(乾隆10年-1745年)、金農は清初の書画篆刻家。金農が創出した隷書体の「漆書」による巻物。フォント出力見本以上に美しく文字が並んでいます。

丁敬筆 花鳥図冊 (乾隆30年、1765年)の一部、行書体の五言律詩と雁。

金石索(道光3年、1823年刊行)は、中国清代に馮雲鵬(ひょううんほう)と馮雲鵷(ひょううんえん)兄弟によって編纂された、古代の青銅器や石刻の銘文を研究する金石学の総合図録。

その金策の巻から鐘鼎(青銅器)の頁と鏡鑑(銅鏡)の頁、図文互証による、器形のイラストや銘文の拓本・釈文と考証(解説)がセットになっています。

金石索石索の一頁、史記に記された秦王・政(のちの始皇帝)暗殺未遂事件の場面、左頁は驚いて逃げ回る秦王、右頁は秦王を仕留め損ない無念の形相の荊軻(けいか)と恐怖により色を変えて震え上がっている秦武陽。

唐岐陽石鼓一、右頁は馮雲鵬兄弟による解説、左頁は現存する中国最古の石刻文字資料の石鼓文(せっこぶん)に刻まれた文字は大篆(だいてん)と呼ばれる篆書体の拓本。青銅器時代の金文(きんぶん)から始皇帝時代の(しょうてん)へ移り変わる過渡期の書体らしい。

清代の文人画家、方士庶筆 山水図冊(雍正6年 - 1728年)、題箋(だいせん、表紙のタイトル)は清末民初の文人考証学者の羅振玉によるもの。辛亥革命で膨大な所蔵品と共に日本に亡命、京都の碩学たちに書画骨董を実見研究する機会を提供しています。

清末民初の文人で甲骨文研究の基礎を築いた羅振玉筆 篆書七言聯、篆書体の対聯で右幅は「下馬逐鹿入幽谷」、左幅は「與人入雉登高隆」。「馬」や「鹿」「雉」などはほぼ象形文字のままです。

富岡鉄斎筆 山荘風雨図(大正9年)は嵐の中で文人が読書にふける様、右上は禅僧・熙晦機の詩文「人間万事塞翁馬 推枕軒中聴雨眠」で「雨」の字が象形文字風。印にある「富岡百錬」は上述の羅振玉から鉄斎に贈られたもの。

富岡鉄斎筆 万歳書(大正4年)は大正天皇即位儀礼に際して謹書された篆書体の書。

呉俊卿筆 葫蘆図(中華民国9年 - 1920年)、葫蘆はひょうたんのこと。詩・書・画・篆刻のすべてに秀いでた巨匠が気負わずに奔放な筆遣いで描かれたひょうたん。

潘祖蔭筆 博古拓識語軸(光緒2年 - 1876年)、潘祖蔭は清朝の官僚で金石学者、中央右は卣(ゆう)、左は觚(こ)、下は匜(い)、泉屋博古館で掲示されていた殷周青銅器器種一覧で確認しました。

花博古図

第3章は「花を愛でる 古きを尊ぶ 、特集展示 『花博古図』の世界」。「花博古図」とは、花を愛でる思いと古きを尊ぶ思いが合わさり生まれた、古器物の拓本に花を書き込んだ画題。「はなはく・こず」ではなく「はな・はくこず」です。

呉重熹 筆吉金延壽図(四幅対、光緒22年 - 1896年)の左幅の青銅器は藤田美術館の饕餮禽獣文兕觥そっくりですが、脚がありません。趙雲壑筆 文房清供図(中華民国13年 - 1924年)西周時代中期(紀元前9世紀頃)の青銅器毛公方鼎の全形拓(立体を平面に立体的に写し取る拓本技術)に紅梅、水仙を活け、手前にはライチ。

泉屋博古館や奈良博、久保惣等でその迫力に圧倒された紀元前11世紀頃の青銅器の意外な姿にビックリ。花博古図で青銅器に息吹が感じられます。

陸恢筆 孤館消寒図(光緒15年 - 1889年)、古青銅器の文様の陶磁器には白梅、籐籠には庚申薔薇、椿、白菜、竹の子と季節の異なる花や野菜、籐籠の手前には落花生。

富岡鉄斎筆 歳朝図(大正11年)、画面後ろの篆書で「寿」と描かれた白瓶には梅の枝、手前の籠には柿と橘の実。鉄斎さん再登場ですが、花博古図に並べるのはちょっと無理くりかと。

日本ならではの花博古図を描くとすれば、縄文時代の火焔土器と生け花とかアリではと考え、調べてみたところ、絵は見つけられなかったものの、生け花としては実践例があるようです。

高野侯筆 博古花卉図軸(中華民国18年 - 1929年)、右幅は全形拓の青銅器に太湖石が置かれた盆栽風、左幅は全形拓の觚(こ)に活けた芭蕉、手前にライチの枝。高野侯は清末民初の収集家で書画篆刻家。

高野侯筆 磚拓紅梅図(中華民国34年 - 1945年)は磚拓(古代のレンガの拓本)から梅が生えています、つまり現実にはありえない姿で、空想の花博古図です。これがOKなら、銅鐸から生えた梅もアリかもしれません。

炎天下のお庭、文華苑を少し歩いてみたものの、花はわずかにハマユウだけ。見頃は過ぎて花弁の先が茶色くなってますが、これはこれで絵になっていると感じる今日このごろの自分です。学園前駅までの道のり、逃げ場を奪う南中したお日ぃさん。

花を愛でる+古きを尊ぶ→花博古図、という理解しやすいコンセプトの展覧会、発見や学びも多々ありました。パソコンのフォントとしてしか触れたことのなかった隷書や篆書、行書体など漢字の書体の本来の姿や意味、変遷に少し触れることができたことも大きい。