曜変天目
5月に見ることができなかった藤田美術館の曜変天目、待ち遠しかった曜変天目を含む「誂」の展示が漸く始まりました。
初めからじっくり鑑賞すべく入口の方に戻ると、折よく学芸員さんによる展示解説が始まり、パンツスーツがキマってる美人学芸員さんについて回ることにしました。
最初の解説は「酔」から「大江山酒吞童子絵巻中巻」、江戸時代初期、菱川師宣の作。切手でおなじみ「見返り美人図」の作者で「浮世絵の祖」。都の娘たちをさらって食べてしまう大江山に棲む鬼・酒呑童子を退治すべく、時の帝に遣わされた源頼光の物語。巻物の一番向こうで茣蓙に座っているのが酒呑童子。
源頼光の作戦は酒呑童子ら鬼たちをベロベロに酔わせたうえで首をとるというもの、見事鬼たちをベロベロに酔わせた場面です。藤田美術館ウェブサイトに本作の詳しい解説、この中巻だけでなく、上巻で御簾の陰の帝から源頼光が勅命を受ける場面や、下巻で酒呑童子の首が宙を飛んでいる場面も見ることができます。
「誂」に移動、「尼焼赤楽茶碗 箱次第とも」。千利休の指導により利休の侘び茶に叶う茶碗を初代長次郎が生み出したことに始まる楽焼、楽家の妻たちが焼いた楽焼が尼焼と呼ばれるそうです。その尼焼を収納する箱が6つ、マトリョーシカのように6重もの入れ子の箱になっています。元からそうだったわけではなく、所有者が代わる度に、新しい所有者が新しい箱を作り、その前の状態を箱のまま保管することを繰り返してきたらしい。
前回もみた紅毛白雁香合、これも3重の箱に収納されています。白木の小箱、黒漆塗りの中くらいの箱、赤い大きな箱、「藤田箱」と呼ばれているらしい。ピンクのお手玉のようなのはハクガンの首が折れないようにするためのクッションです。
いよいよ曜変天目の解説です。判明している限り最古の所有者は徳川家康、家康11男で水戸藩藩祖の徳川頼房に贈られ代々水戸徳川家に伝わり、大正時代にオークションに出されたところ藤田財閥2代目の藤田平太郎が落札したとのこと。美人学芸員さんがこの茶碗のことを「このコ」と呼んでいたのがとても印象的、自分も鳥や花の個体をこのコと呼ぶことがあるのですが、モノを「このコ」は実にいい。
世界に3碗だけの曜変天目、そのうち青い光彩を放つのは「このコ」だけ。青い光彩は普通の明るい部屋では見えないらしい。絶妙のライティングで浮かび上がる青い曜変は、蛍光X線解析の結果から着色元素ではなく、チョウトンボのような構造色と判明しています。覆輪は金の覆輪の油滴天目と違って、わずかに銅を含む銀合金とのこと。
そして曜変天目の箱次第と天目台。外箱は春慶塗、二番目の箱は藤田家の藤唐紋があしらわれた黒漆塗でこのふたつが藤田箱、3番目の箱は水戸徳川家のもの、そして黒塗りの4番目の箱、さらに天目台用の箱。
饕餮禽獣文兕觥(とうてつきんじゅうもんじこう)、殷時代の青銅器の酒器。泉屋博古館の象文兕觥よりさらにごちゃごちゃと作り込まれていて、頭は饕餮、胸に鳥(ミミズクらしい)、背中は腰の部分に水牛または饕餮、首の真ん中に「虺竜(きりゅう)」。「虺」の字は「元」の字の上の横棒が無い偏に虫でやっと見つけました。
内側の曜変ももう少ししっかり確認したくてもう一度曜変天目。こんどはじっくり鑑賞しているカップルが見終わるのをじっとまっていた次第。
「誂」は10月までの3ヶ月間の公開、スケジュールを見るとその次の公開は来年4月からの「渡」となるようです。箱次第に仕舞われることなく出し放しになってしまうのは可愛そう、年中通して公開しない理由が分かった気がします。
それとこの曜変天目を何度も眺め、ずぶの素人なりに気付いたとことがあります。「このコ」は建窯の職人さんが制作したにせよ、その曜変はある程度意図されたものだとしても、焼いてみないとどんな景色になるかはたぶん運次第。釉薬のわずかな成分の違い、微妙な焼成時間や温度の違いなどさまざまな要因がたまたまこの美しい青い光彩を輝かせた、自然が生み出したふたつとない茶碗だということです。曜変天目のような希少性はないものの油滴天目についても同じことが言えそう、特に青い構造色を放つ東洋陶磁美術館の油滴天目は油滴天目の中でも異彩です。
東洋陶磁美術館の油滴天目と見比べ、どちらの方が美しいか考えてみたのですが、まさに甲乙つけがたい。どちらの方が好きかと考えても、やはり甲乙つけがたい。お寿司とてんぷらとどっちが好きかみたいな愚問です。ひとつだけ言えるのは鏡の上に置かれた油滴天目の方が内側と外側がいっぺんに鑑賞できて見やすいということ。でも絞り込まれた展示品をじっくり鑑賞でき丁寧に解説してくれる藤田美術館もやはり好きです。