曜変天目

5月に見ることができなかった藤田美術館の曜変天目、待ち遠しかった曜変天目を含む「誂」の展示が漸く始まりました。

天満橋から15分ほど歩いて藤田美術館。係の女性が首にかけたタブレットにPayPayで入館料を払って真っ暗な部屋に入り、そのドアが開くとボヤーっと「藤田美術館」。美しい建物なのに今日も美術館外観を撮るのを忘れてました。

2ヶ月単位の3つのテーマが毎月ひとつずつ順に切り替えられる展示方法で、現在は「酔」「雨」「誂」。

一目散に曜変天目へ、タイミングよく周りに誰もいません。露出を落として曜変の青い光彩を浮かび上がらせてみました。

側面の曜変は青くないようです。宋代に福建省建窯で作られた黒釉茶碗で、世界で3碗のみ現存し全て日本に所在、いずれも国宝に指定されているそのひとつがこの藤田美術館の曜変天目。あとふたつは東京丸の内の静嘉堂文庫所蔵で稲葉天目と称される曜変天目と、大徳寺塔頭の龍光院所蔵で通常非公開の曜変天目。

初めからじっくり鑑賞すべく入口の方に戻ると、折よく学芸員さんによる展示解説が始まり、パンツスーツがキマってる美人学芸員さんについて回ることにしました。

最初の解説は「酔」から「大江山酒吞童子絵巻中巻」、江戸時代初期、菱川師宣の作。切手でおなじみ「見返り美人図」の作者で「浮世絵の祖」。都の娘たちをさらって食べてしまう大江山に棲む鬼・酒呑童子を退治すべく、時の帝に遣わされた源頼光の物語。巻物の一番向こうで茣蓙に座っているのが酒呑童子。

源頼光の作戦は酒呑童子ら鬼たちをベロベロに酔わせたうえで首をとるというもの、見事鬼たちをベロベロに酔わせた場面です。藤田美術館ウェブサイトに本作の詳しい解説、この中巻だけでなく、上巻で御簾の陰の帝から源頼光が勅命を受ける場面や、下巻で酒呑童子の首が宙を飛んでいる場面も見ることができます。

「雨」に移動し、国宝「仏功徳蒔絵経箱」。蒔絵が施された平安時代の経典を保管する箱、法華経の教えが衆生にいきわたることを草木に雨が降る様子になぞらえて描かれているとのこと。蓋もあるものの、なぜ身だけの展示なのかは確認しそびれました。

「誂」に移動、「尼焼赤楽茶碗 箱次第とも」。千利休の指導により利休の侘び茶に叶う茶碗を初代長次郎が生み出したことに始まる楽焼、楽家の妻たちが焼いた楽焼が尼焼と呼ばれるそうです。その尼焼を収納する箱が6つ、マトリョーシカのように6重もの入れ子の箱になっています。元からそうだったわけではなく、所有者が代わる度に、新しい所有者が新しい箱を作り、その前の状態を箱のまま保管することを繰り返してきたらしい。

前回もみた紅毛白雁香合、これも3重の箱に収納されています。白木の小箱、黒漆塗りの中くらいの箱、赤い大きな箱、「藤田箱」と呼ばれているらしい。ピンクのお手玉のようなのはハクガンの首が折れないようにするためのクッションです。

真ん中にピアノ線で固定された一筋のなだれが景色となっている小さな茶入が真中古野田手茶入、瀬戸焼の一種で、焼失した「野田」と呼ばれる茶入に似ていることから「面影」という銘が付けられています。交換用の牙蓋(げぶた 、象牙の蓋)が4枚、4つの仕覆(しふく、裂地の袋)が付属して、4重の収納箱に入れられ牙蓋の箱までセットになってます。茶碗に対する偏執的とすら感じさせる思い入れ、ここに極まれりと感じさせます。今やほぼ完全に物欲が無くなった自分ですが、その思いは十二分に理解できます。

いよいよ曜変天目の解説です。判明している限り最古の所有者は徳川家康、家康11男で水戸藩藩祖の徳川頼房に贈られ代々水戸徳川家に伝わり、大正時代にオークションに出されたところ藤田財閥2代目の藤田平太郎が落札したとのこと。美人学芸員さんがこの茶碗のことを「このコ」と呼んでいたのがとても印象的、自分も鳥や花の個体をこのコと呼ぶことがあるのですが、モノを「このコ」は実にいい。

世界に3碗だけの曜変天目、そのうち青い光彩を放つのは「このコ」だけ。青い光彩は普通の明るい部屋では見えないらしい。絶妙のライティングで浮かび上がる青い曜変は、蛍光X線解析の結果から着色元素ではなく、チョウトンボのような構造色と判明しています。覆輪は金の覆輪の油滴天目と違って、わずかに銅を含む銀合金とのこと。

そして曜変天目の箱次第と天目台。外箱は春慶塗、二番目の箱は藤田家の藤唐紋があしらわれた黒漆塗でこのふたつが藤田箱、3番目の箱は水戸徳川家のもの、そして黒塗りの4番目の箱、さらに天目台用の箱。

展示解説が終了し、「酔」に戻ります。お酒にまつわる展示です。パネルの「酔」の左下の赤い点はゴミかと消去しかけたのですが、どうやら落款らしいと分かりました。

最初は南宋時代の浙江省龍泉窯で作られた酒を貯蔵する青磁の壺、日本にもたらされてからは茶の湯の水指として使われていたようです。

明代に作られた金襴手馬上杯、馬上で乾杯するための酒器らしい。

龍泉窯で作られた青磁、鉄を含む顔料で黒褐色の斑紋が付けられた飛青磁、酒を注ぐための片口。

饕餮禽獣文兕觥(とうてつきんじゅうもんじこう)、殷時代の青銅器の酒器。泉屋博古館の象文兕觥よりさらにごちゃごちゃと作り込まれていて、頭は饕餮、胸に鳥(ミミズクらしい)、背中は腰の部分に水牛または饕餮、首の真ん中に「虺竜(きりゅう)」。「虺」の字は「元」の字の上の横棒が無い偏に虫でやっと見つけました。

首の脇に虎、四神の白虎のような竜に似た虎です。お尻の部分は人面の怪獣、足は蝉。紀元前11世紀頃の人がよくぞ空想上の生き物をここまで上手く一体にまとめたものだと感心せざるを得ません。

グロテクスではあるもの意外と可愛くもあります。

続いて「雨」。本手雨漏堅手茶碗は朝鮮半島で作られた茶碗、壁の雨漏りの染みのような景色を味わうものらしい。

展示品は全てガラスケースの中ですが、ガラスがあるとは気づかないくらい磨き上げられています。撮影OKもスマホのみと限定されています。一眼レフとかだとレンズをガラスにぶつけてしまうことが懸念され、スマホ限定にナットクです。

雨といえばカエル、伊賀焼の火鉢です。撮りそびれたのですが、背中には緑色の釉がかかっています。

「誂」に移ります。

5cmくらいの油滴小天目茶碗。金時代(12〜13世紀、南宋と同時代)河北省磁州窯で焼成されたもの。その箱次第一式、何度も開けて出てきた茶碗の小ささに驚かされそうです。油滴天目ではあるものの青い構造色はでていません。

朝鮮時代(16世紀)の刷毛目茶碗と箱次第。素朴さが愛された刷毛目茶碗であれば、箱次第ももっと簡素な方がよろしいのでは、とも思います。

黒楽茶碗 銘まこもと箱次第。楽家初代長次郎作、利休から孫の千宗旦に受け継がれています。同じく長次郎作で千宗旦が所持した黒楽茶碗「あやめ」に似ていることから同じ水辺の植物の「まこも」と銘されたと、箱書きに残されているとのこと。コハクチョウたちの大好物のマコモです。

内側の曜変ももう少ししっかり確認したくてもう一度曜変天目。こんどはじっくり鑑賞しているカップルが見終わるのをじっとまっていた次第。

「誂」は10月までの3ヶ月間の公開、スケジュールを見るとその次の公開は来年4月からの「渡」となるようです。箱次第に仕舞われることなく出し放しになってしまうのは可愛そう、年中通して公開しない理由が分かった気がします。

それとこの曜変天目を何度も眺め、ずぶの素人なりに気付いたとことがあります。「このコ」は建窯の職人さんが制作したにせよ、その曜変はある程度意図されたものだとしても、焼いてみないとどんな景色になるかはたぶん運次第。釉薬のわずかな成分の違い、微妙な焼成時間や温度の違いなどさまざまな要因がたまたまこの美しい青い光彩を輝かせた、自然が生み出したふたつとない茶碗だということです。曜変天目のような希少性はないものの油滴天目についても同じことが言えそう、特に青い構造色を放つ東洋陶磁美術館の油滴天目は油滴天目の中でも異彩です。

東洋陶磁美術館の油滴天目と見比べ、どちらの方が美しいか考えてみたのですが、まさに甲乙つけがたい。どちらの方が好きかと考えても、やはり甲乙つけがたい。お寿司とてんぷらとどっちが好きかみたいな愚問です。ひとつだけ言えるのは鏡の上に置かれた油滴天目の方が内側と外側がいっぺんに鑑賞できて見やすいということ。でも絞り込まれた展示品をじっくり鑑賞でき丁寧に解説してくれる藤田美術館もやはり好きです。

暗い部屋でたっぷり1時間半美術鑑賞してました。明るい部屋に出ると藤田家の藤、鳳凰、蝶をモチーフにした酒器、明治38年頃、傅三郎夫人キタのデザインで京焼の陶工三代清風与平作。真夏に熱燗もいいかも知れない。

と思ったら外は今まで経験したことのような暑さ、藤田邸跡庭園を歩くのは諦め隣接する大阪城北詰駅に逃げ込みました。めったに乗らないJR東西線で北新地、イチビルでプファ。もうどこへも寄り道する気はなくなって、ニビル、サンビル、ヨンビルを抜けて東梅田から帰宅。