夏の終わりの花見
この猛烈な残暑もいよいよ今日までらしく、空調の効いた花見へ。
ハマゴウの隣にはヤノネボンテンカ、10月に谷町筋の植栽で咲いている花です。ハマゴウもヤノネボンテンカもなぜ熱帯花木室にあるのかは分かりませんが馴染の花に植物園で会えると嬉しい。
パイナップルです。ひとつひとつのツブツブが本来の実で、たくさんの実が付け根部分の軸と融合肥大化し多量の果汁を含むようになったそうです。
他に類をみない不思議な形の花、サギに見立てられる前方部分は3つに別れた唇弁で両脇はの唇弁はサギの羽のように切れ込んでいます。後方の四角い花びらは側花弁、唇弁と側花弁の間がハイビスカスでも見た雌しべと雄しべの合体した蕊柱で、黄色い部分が花粉が入っている葯室、その先端の粘着帯と呼ばれる白い球体が密を吸いにやってきた虫にくっつき葯から花粉が出てきて別の花へと運ばれるというメカニズムだそうです(参考)。
野生のサギソウを見たくて伊吹山麓の湿原へ行ってみるつもりだったのですが、この夏は暑すぎて機会を逃してしまいました。また来年。
タマザキサクラソウ、4月に咲いていたタマザキサクラソウと色が違ってます。プリムラ・ビアリー、和名はホザキサクラソウです。
大阪シティバス83系統
長堀鶴見緑地線で帰るのはつまらないのでバスで帰ることにしました。大崎市内中心部へ向かうバス停は地下鉄鶴見緑地駅とから遠く離れた鶴見緑地の対角線上の反対、北西口を出たところに大阪駅前行の花博記念公園北口バス停があるはず。花博記念公園北口交差点の信号を渡ってすぐのところにバス停がありました。
ところがバス停は緑四丁目となっていて、時刻表の行き先は なぜか花博記念公園北口になっています。まさか国道の反対にあるバス停かそちらへ向かいかけると、国道の少し西側に別のバス停を発見、花博記念公園北口バス停です。大阪駅前からの83系統は花博記念公園北口の西側の緑一丁目で左折してぐるっと迂回して緑四丁目の東側で国道に戻り、方向転換するようです。ちょうど天満橋行のバスがやって来たのですが梅田へ出たいので数分先にあるはずの大阪駅前行を待つことにしました。
少し遅れていたバスが国道に入るところが見えスタンバイしていると、あれぇ?緑四丁目と今いるバス停の間を左折していまいました。そんなアホなと思いつつ、しばらく待っているとさっき左折した道路からこちらへ左折して大阪駅前行がやってきました。ここが始発のはずなの、車内にはすでに乗客がひとり、左折したところのすぐ先にバスが回転できる場所があり、そこにもう一つ花博記念公園北口バス停があると理解できました。
大阪駅前行のバスに乗れたものの予想を遥かに越えて、大阪駅へまっすぐ向かうのではなく、高殿、森小路、旭区役所、赤川一丁目、都島区役所と旭区都島区をくまなく周遊するようなコースを辿ります。森小路駅付近を行く京阪特急です。
クドクドとこれでも分かりやすくバスのルートを説明したつもりですが、伝わらないでしょうね。要は地下鉄で帰ればよかったと後悔したことだけ伝わると嬉しいです。見送った天満橋行に乗った方がずっと早かったとも分かりました。
商家の板の間のレプリカじゃなくて本物と思われる段梯子、座敷の縁側の雪隠と手水、こんなに広いものではないですが、同じ構成が自分の実家にもありました。6年前にも同じようなカットをアップしていました。
床一面に広がる大正12年大阪市パノラマ地図、自分ち付近です。大阪電気軌道(大軌)上本町駅の向こうに現在地と同じ場所に赤十字病院、上本町駅の南側の上ノ宮中学は明治27年開校、その北側の空地は戦後に当地へ移転してきた清風中学高校の場所のようです。
上本町駅から市電の走る千日前通を渡った反対側に「女学院」とあります。現在の大阪市立社会福祉センターの辺りです。大阪女学院がここにあったのかと調べてみたものの明治21年からずっと玉造のままのようです。さんざん調べてビックリ、我が母校の姉妹校だったランバス女学院(後の聖和女子大、現関西学院大学聖和キャンパス)がここにあったようです(参考)。1年でドロップアウトした高校も自分ちから近く、まさか4年間お世話になった母校ゆかりの地も自分ちの間近にあったとは驚くばかり。
6年前にも大阪市パノラマ地圖の特大JPG(地図のダウンロード元はリンク切れも、国際文化センターサイト等で見つかります)でタイムトラベルをしていますが、今昔館の床の地図はフレームで区切られてはいるものの、高精細で大きく拡大され強化ガラスにプリントされているので、JPGよりずっと鮮明です。
6年前に書いていなかった湊町(現JR難波)駅付近です。電車はいなくて蒸気機関車が牽引する列車ばかりです。旅客ホームが3面、西側には貨物ヤードが広がっていて、配線もかなり正確に描かれているようです。貨物ヤードから水路に直結、市電の走る道路は嵩上げされ鉄道から道頓堀の船へ容易に荷渡しできるように作られています。駅終端部の線路と垂直に井桁を描いている線路は港湾施設の一部かと。市電の線路は複雑に交差し、各方面から各方面へスムーズに直通できる配線です。画面右上に戎橋筋、角座、中座、浪花座、松竹座と並んでいて、戎橋の袂には3階建てはグリコサインのビルのようですが初代グリコサイン設置は昭和10年なのでこの時はまだなかったはず。