キョンシーカミキリ

モリアオガエルの季節、のはず。卵塊は何度か見たことがあるものの成体はまだ見たことがありません。どこへ行けば会えるか、当尾の岩船寺が可能性がありそうと分かりました。アジサイで知られる岩船寺、人が多そうですが行ってみます。

JR関西線加茂駅からコミュニティバスのルートの他、アジサイの季節の土日はJR奈良/近鉄奈良から臨時バスが運行されていると分かりました。

上本町1番線に下りると7:45の快速急行が遅れていました。桜川駅で先行列車が安全確認したとかで、上本町を6分ほど遅れて発車も、前がつかえているらしくどこまで行ってもチンタラチンタラ徐行運転。

遅延時間はどんどん増えて行き、予定していたバスに乗れないかもという不安が膨らみます。車掌さんが大変申し訳ございませんとしきりに謝るもののイライラが増すだけ。生駒トンネルを抜けてもまだチンタラチンタラ、ゆっくり富雄を通過、先月解体工事中だった旧変電所跡はきれいサッパリ更地になってました。

近鉄奈良到着は8:35で17分遅れ。結局予定していた8:41のバスには間に合わず、次のバスは1時間後。たっぷり時間があるので確実に座れるJR奈良まで歩くことにして、三条通のガストでモーニング。買ったチケットは往復のバス代1800円が1200円になる木津川古寺巡礼パスという1日乗車券です。

朝食に満足して漸く1時間無駄にしたことのイライラが収まり、JR奈良駅の観光案内所でバスのりばを訊くと、近鉄奈良駅前でチケットを買った時にもらったチラシと同じチラシに極小文字で「西口15番のりば」とあることを特大ルーペで確認してくれました。駅反対側の西口へ駆けて行ってギリギリセーフ。

岩船寺行急行バスはJR奈良駅では5人ほど、近鉄奈良駅からも5人ほどの乗車、つまりJR奈良まで歩く必要もなかったわけですが、途中浄瑠璃寺のみ停車で岩船寺バス停に到着。奈良県ではなく京都府木津川市です。

岩船寺

バスでやってきた人は多くないものの周辺の駐車場はどこも満車で入庫待ちのクルマも。参道を進むと岩船寺山門。

石段の手前になにやら石の桶のようなものが。僧が身を清めるための石風呂で鎌倉時代のものらしい。石風呂を船に見立てたことが岩船寺の名前の由来という説もあるそうな。

「入山拝観志納料」500円を納め山門を入ると正面に三重塔、両側にアジサイ。いっぱいいる人が入らない角度で撮ってます。

枯れているアジサイは少なくちょうど見頃です。

アジサイを手前に三重塔、観光案内のポスターみたいに撮れました。

靴を脱いで本堂に上がります。カエルさんたちの前に置かれたガラスのお皿に浮かべられているのはなぜかコスモス。3mもある本尊の重要文化財阿弥陀如来像の裏側では間近に十二神将像やたくさんの仏像、手を近づけると警報が鳴るので注意してくださいとのこと。

アジサイの葉っぱにクロイトトンボ。

池をのぞくと小さな魚たち、フナだと思います。

この花は分かります、ミヤコワスレです。ニホントカゲ登場。

境内は意外と広く、三重塔の奥の方までアジサイがいっぱい。白いアジサイといえばアナベルですが、アナベルとは限らないようです。

こんどはしっぽの青いニホントカゲ。

三重塔の裏に鐘楼、意外と鐘を撞くのが下手な人が多く、ゴーンと長く響かせていた人はわずかでした。

嘉吉二年(1442年)の建立とされる重要文化財の三重塔。

池まで下りてさっきと池の反対側を歩くとこちらにもミヤコワスレ。

水辺に置かれた水盤の花手水。自分的には花手水のアジサイよりわずかに咲いたミヤコワスレの方がずっと美しいと感じます。

フナたちです。

花手水と三重塔、池の名は平等院鳳凰堂の池と同じ阿字池。梵字の阿(あ)の字をかたどっているそうですが、よく分かりません。

スイレンの葉っぱに交尾中のモノサシトンボがふた組み。モノサシトンボの♀には水色のと黄緑っぽいのがいます。

こちらは胴体の節にラインがなくクロイトトンボです。

ガクアジサイが美しい。本堂で「説明」があるとのことでもう一度本堂に上がりました。たぶん80代と思われるご住職による一度も噛むことない流暢な当寺の由来や歴史のお話で、「説法」じゃなくて「説明」。アジサイはご住職と家族で育てているそうな。

ボッチのモノサシトンボ。

交尾中の♂の正面顔、よく見ると複眼の間にクロイトトンボには無い何かがあります。毛の生えた黒い塊のような何かです。ググってみると同じようにこの何かがあるのですが、これが何なのかは不明です。

ヒゲがないのでやはりフナで間違い無さそうです。

大きなカシワバアジサイの前のベンチに腰を下ろしてひとやすみ。モリアオガエルは見つからず。

石仏の道

当尾観光案内図で岩船寺周辺に広がる石仏の道をチェック、浄瑠璃寺まではかなりあるので、③④②①と歩いてみることにします。⑧の大門仏谷磨崖仏へは10年ほど前に歩いています。

石仏の道は右へ坂道を下ります。

岩船寺境内と違って人っ子ひとりいなくなって、この道で合ってるのか不安になりながら緩やかな下り坂を進みます。

5分ほど歩くと「一願不動(岩船寺奥院不動)」の案内板があって谷底へ階段が続いていました。観光案内図の③ですが、かなりの谷底、戻ってくることを想像して止しておくことにしました。

左みろくの辻方面、右下わらい仏方面(近道)との案内、右下には「距離は短くなりますが、少し危険な場所がありますので、十分に気をつけてお歩きください」と赤字で警告されているのを確認して、迷わず左へ進みます。狭い崖っぷちの道をできるだけ山沿いに歩きます。

視界が広がりました。ドラクエに出てきたような茶色く渦巻き状の塔が見えます。木津南配水池の給水塔です。遠景は生駒山、北向きの崖を歩いているとばかり思っていたのですが、西向きの崖と分かりました。ここまですれ違ったのは地元の人らしきおじいさんひとりだけ。

三叉路に出てきました。崖っぷちの道はここまでのようです。まだ0.6km歩いただけで、右みろくの辻磨崖仏0.3km、左石仏の道から浄瑠璃寺1.5km。観光案内図で決めた③④②①のルートは右で間違いなさそうですが、①から岩船寺へ戻るルートは登り坂の可能性が高そうなので、左へ浄瑠璃寺まで歩くことに方針変更。

緩やかな下り坂が続きます。

道端にねむり仏の案内板、振り返ると山肌にねむり仏、あやうく通り過ぎるところでした。

大きく傾いていますが、もともと直立していたものの長い年月を経て岩の重さで片方が沈んできたものと思われます。

石仏の前まで上ってみると右手に「わらいぼとけ」の案内板、ねむり仏ともわらい仏とも呼ばれているようです。永仁七年(1299年)大工末行の作、末行とは宋から渡来した石大工伊派の石大工のひとり。

しばらくすると女性二人連れがやってきてやはりあやうく行き過ぎるところでした。

三叉路にでてきました。一願不動、岩船寺0.4kmはさっき崖っぷちの道から見た「わらい仏方面(近道)」の出口のようです。

その先は両側がゆるい崖の尾根道。

竹林に錆びきったポストのような何か。

坂道を下ると野生のアジサイが見えてきました。

白いアジサイに混じって赤紫のアジサイ。

赤紫のはヤマアジサイの一種、シチダンカと思われます。せせらぎが涼しげな音を奏でています。

道標の傍に真ん中に穴の開いた大きな岩が置かれ「唐臼(からす)の壺」と掲げられています。

その先に歌碑

父母に呼ばれて仮に客にきて心おきなくかえるふる里 - 泉涙暮(るいぼ)

作者は地元出身の歌人で終戦直前に29歳の若さでなくなっています。「仮に客にきて」と「心おきなく」の意味が反するようでどうも飲み込めませんが、長く両親と離れていたので遠慮がちに帰省してみたら意外と居心地がよくてびっくりした、といったところでしょうか。

観光案内図の⑤、からす(唐臼)の壺二尊です。

二尊なのに阿弥陀如来座像しかありません。地蔵菩薩は摩耗して消えてしまったのか、と岩の回りを確かめて見ると、岩の左側面に彫られていました。

いずれも康永二年三月(1343年)の作ですが9日だけ違っていて、制作を依頼した願主が違っていますがいずれも岩船寺の僧侶ではないかと。仲良かったお坊さん同士が何かひとつの思いを込めて制作を依頼したのではないかと。

自分と同年輩くらいのおじさんがやってきて手を合わせていたので、岩の陰にも仏さんがいますよ、と教えてあげました。

磨崖仏の彫られた巨石の上に更に苔むした巨石が載っかっています。自然に載っかっているのではなく、人力で載せたもののようです。どうやって載せたのか、磨崖仏を彫ってから載せたのか、彫る前に載せたのか、それ以前になぜ並べないで違う向きに彫ったのか。謎ばかりが深まるものの、大昔から残された限られた事実からその背景を想像してみるのは楽しいです。

おっ、キョンシー。

4年前に額田の駅前で会って以来の2回目です。2cmもないちっちゃいカミキリムシ、背中からみるとまるでベビーキョンシー、しばらくたってラミーカミキリと思い出せました。

「キョンシーカミキリ」で検索してみるとラミーカミキリがキョンシーに見えるのは自分だけではなさそうです。

漸く民家が見えてきました。

石段が山の奥へ続くものの立入禁止のたぶん廃寺、マップを調べ春日神社(東小田原随願寺跡)とわかりました。西小田原寺とも呼ばれる浄瑠璃寺に並ぶ大寺院だったそうです。

竹林が美しい。ホタルブクロが石垣の隙間から茎を伸ばしていました。意外とタフな植物です。

バス道に出てきました。浄瑠璃寺の方へ少し坂道を上ると観光案内図⑦の藪の中三尊磨崖仏、道路から少し外れぬかるみの道を歩いたところです。弘長二年(1268年)の作、当尾最古級の石仏だそうです。

制作した大工と並んで小工の名も残されています。小工という言葉自体知らなかったのですが、棟梁から責任ある仕事を任せられた職人さんかと。名前は磨崖仏のどこかに刻まれているもののはず、鎌倉時代も人材を大事にしていたことが伝わってきます。引いて撮ってみると、なるほど藪の中。

浄瑠璃寺に到着、石仏の道で出会った人は10人もいませんでした。

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺バス停にちょうど近鉄奈良/JR奈良駅行急行バスがやってきたのですが、せっかくなので浄瑠璃寺も回ってみることにして、まずは遅めのランチ、参道入口の塔尾茶屋に入りました。

極めてリーズナブルなメニュー、「おうす」というメニューはあまり見たことがないかも。左側の絵は観光案内図にも登場している木津川市のキャラクターいづみ姫のモチーフともなっている吉祥天ですが、頭飾りを見る限り、浄瑠璃寺の吉祥天立像ではなく西大寺の吉祥天立像がモデルのようです。

スーパードライと山菜そばを頼んだもののここは京都だったことを思い出しにしんそばに変更。10年前もやはりにしんそばを食べていたことに気づきました。10年前と違って、しいたけのたいたんとタケノコも入ってます。まわりのテーブルを見ると塔尾定食や色々おかずの付いたおにぎりも美味しそう。

さっきまで店頭にネコが3匹いたのですが、いなくなってました。お店の前のガクアジサイ。

10年前にも撮ってる浄瑠璃寺参道の無人販売所、10年前より品揃えがいいです。

浄瑠璃寺山門です。本堂に上がらない場合は無料。

岩船寺と較べて境内に人は少ないです。

池の畔に一輪だけのハナショウブ。ノアザミにモンシロチョウ。

国宝の三重塔。石段を上りかけると今日3匹目のニホントカゲ。視点の位置にいたので真正面からドアップ。

10年前は浚渫工事中だった池には満々と水がたたえられ、国宝の本堂が美しい。手前の松の剪定もみごと。池の畔にはネムノキも花を咲かせていました。

参道のもう一軒のお店、あ志び乃店の入口に、モリアオガエルの卵塊が見えるとの案内が。

入ってみると青モミジにカタツムリ。勝手にお庭を歩き回るのは気が引けるのでとりあえずアイスコーヒーでひと休み。

ありました、モリアオガエルの卵塊。真下の古池にはオタマジャクシたち。

卵塊は一箇所じゃなくてところどころ10箇所くらい。よく見ると5mくらいの高さにもモリアオガエルの卵塊、あんなところまで上るとは。でも孵化しても池に落ちる確率は低いかと。残念ながらモリアオガエルの成体には会えず。

近鉄奈良に戻ってきました。岩船寺も浄瑠璃寺もインバウンド率がゼロだったので、近鉄奈良駅周辺のインバウンド率の高さには改めて驚かされます。吉城園も回ってみるつもりだったど、空模様がおかしくなってきたので帰ります。1番線に下りると目の前で快速急行のドアが閉まりました。どうも今日は近鉄に嫌われているようです。次の急行に乗車、快速急行じゃなくて急行なので布施で途中下車することを思いつきました。久々に布施の角打ち小西酒店、ちゃんとサヤからむいたエンドウ豆の卵とじが美味い。