当尾大門仏谷磨崖仏

奈良斑鳩1dayチケット大阪市交通局版を谷町九丁目駅で購入、めいっぱい鳥鉄するつもりが、切符についてきた地図のフリー乗車区間をチェックしているうちに気が変わり、浄瑠璃寺へ行ってみることにしました。

「浄瑠璃寺の春」という課題が中学か高校の授業であったのを思い出しました。ググってみて、堀辰雄の「大和路・信濃路」という作品の一部とわかり、青空文庫アプリでダウンロード。

近鉄奈良駅から浄瑠璃寺への急行バスに乗車、青空文庫を読む間もなく、県境を抜け京都府木津川市に入り、浄瑠璃寺口のバス停を過ぎると景色が一変しました。当尾(とうの)という地区だそうです。

20分ほどで、浄瑠璃寺のバス停に着いてしまいました。バス停から山門までの小径から見上げると、山の端に繊細な金細工のような三本の木、何の木なのか、すごく気になります。(メタセコイアですね。※追記2015/2/14)

山門手前の喫煙所で一服していると、ここでもメジロとサザンカ

境内は予想よりはるかに小さく、残念ながら池は浚渫工事中でした。

帰ってから「浄瑠璃寺の春」を読みました。「大和路・信濃路」は昭和16年頃のエッセイ集で、太平洋戦争開戦前後なのにそのことには一切触れられておらず、奈良ホテルに滞在し周辺の古寺や里山を歩き感じ考えたことが淡々と綴られていました。「浄瑠璃寺の春」は浄瑠璃寺に咲いた馬酔木の花をテーマにした堀夫妻と大和弁の寺の娘との、他愛のない、それでいてしっとりとした会話の一節です。

馬酔木で思い出しました。確か高1の時、担任のY先生の現国の授業だったと思います。馬酔木が馬を酔わせる木、ということしか覚えていないのですが、地味な現国の授業で、今も覚えているということは、Y先生の工夫を重ねた授業だったようです。

参道の無人販売所でゆず大根がさびしくぶら下がっていました。1軒だけ営業していた食堂で鰊そば。

この辺り、奈良市のすぐ隣ですが、京都府域で、走っている軽トラも京都ナンバーです。京よりも大和の風土を強く感じるのですが、鰊そばは京の食べ物、京と大和の二つの文化が融合した贅沢な地域といえるのかも知れません。

「浄瑠璃寺の春」の寺の娘のセリフに、「ほんまになあ、しょむないとこでおまっせ。あてら、魚食うたことなんぞ、とんとおまへんな。」とあったのですが、鰊そばは食べていたかも。

帰りのバスは1時間以上ありません。ここから岩船寺へも近いのですが、上り坂のようなので、当尾の石仏を訪ねるみち(美しい日本を歩きたくなる道500選)、とある道を下ることにします。

誰も歩いていない林の中の道を20分ほど下ると「磨崖仏」と書かれた道標がありました。道標の矢印は谷底への草むらに覆われた小径を指していて、ちょっと下りる勇気がでませんでした。

と、その少し先にも案内板があって、谷の向こうをみると磨崖仏。

引いて撮ると大きさが実感できます。

とても優しげなお顔です。聞こえるのは谷底のせせらぎの音だけ。

鎌倉時代初期の作か、とありますが、平安時代、さらには奈良時代との説もあるそうです。いずれにせよ、この山の中で800年以上、何らお供えもなく、ひとり佇んでいる仏様です。

いったい誰が何のために作ったのか、完成するのに何年かかったのか、800年という時の流れとは何なのか、頭のなかで色んな疑問が回り始めます。

たぶん火の鳥の我王のような人が何十年もかけて独りで彫ったのではないか。でも我王のような怒りのエネルギーではなく、慈愛のようなものをエネルギーにして、時の権力者や政治にも経済にも振り回されること無く掘り続けたのではないか。

去りがたい思いを残し、少し坂を下り始めると、もう仏様は見えなくなりました。

さらに坂を下るといきなり棚田が広がりました。棚田フェチの自分としては、緑一色の夏や黄金色の秋にぜひともまた来たい場所です。

冬の田んぼにホオジロオオジュリンがいっぱいいました。でも自分が少し近づいたのを察知してどんどん樹の上に上がってしまいました。ツグミもやっぱり少し近づいただけで逃げていきます。いつものお城や河川敷のホオジロと較べて人には全然慣れていないようです。

赤かぶの収穫をしていました。たぶん京漬物になるのではと思われます。やはりここは京都です。

モズを見て、逆光の高い梢に何かいる、たぶんカワラヒワを撮ろうと露出を変えたり試行錯誤していたら、ちょうど奈良駅行きのバスがやってきました。フリー乗降区間なので、タクシーみたいに手をあげたら、きっちり止まってくれました。