右京区梅津
京都市内で歩いたことのないエリア、右京区の梅津を訪ねてみます。桂川の左岸から東は葛野大路(かどのおおじ)通、北は太秦、南は高辻通辺りまでが梅津です。
愛宕山が美しい。手前のぽっこりした山は小倉山。
カワアイサが水かきのある大きな足で顔を掻いてます。平安京創生館の巨大ジオラマの嵐山付近からの眺めに梅津付近を書き入れてみました(リンク先画像の白い楕円形)。リンク先画像上部に広がる平安京、梅津が丹波から桂川(保津川、大堰川)を流されてきた木材の集積地になり、平安京造営の資材供給基地になっていたことが分かります。
今しがた渡ってきた松尾橋が初めて架けられたのは明治中期らしく、架けられてからも度々橋が流され、松尾大社へは渡し舟だったようです。現在の橋の竣工は昭和28年、それまで渡し船が存在したのかよく分からないのですが、松尾大社に船渡御が行われていることからも参詣者相手の渡し船はあったはず。
次はどこへ行くかまだ決めていなかったのですが、四条通を歩いていると3系統四条河原町行が通りかかったので乗り込みました。四条通をまっすぐ東へ東へ。有栖川を渡ると片側2車線に広がり、両側に大きな工場、右手は日新電機本社、左手は梅津じゃなくて太秦に含まれるようですが三菱自動車京都工場、エンジンの主力工場だそうです。天神川を越えると京都外大前、ここで運転手さんが交替、発車時間調整で5分ほど道路脇に停車。京都外大のに隣接して京都市営バス梅津営業所があり、以前は京都外大前じゃなくて梅津車庫前バス停だったそうです。それ以前はトロリーバスの車庫がここにあったらしい。
「次は西大路四条(阪急・嵐電西院)」と西院がひとつにまとめられているものの英語は(Hankyu Saiin、Randen Sai)としっかり区別されていました。この3系統、戦前から3系統として運行されている由緒ある路線、四条河原町までじゃなくて、河原町通を上リ、百万遍、北白川まで行くと分かり、銀閣寺へ行ってみようかと考えているウチ、四条大宮まではスムーズに進んでいたのに四条烏丸から一気に動きが鈍くなりました。
四条烏丸から四条大橋手前まで歩道が拡幅され片側1車線に、そこへ各方面からのバスが集中、タクシーや一般車両も規制されていないので、完全にボトルネック状態。人を取るかクルマを取るかで人を取った訳で、ここは乗り通すより下りて歩いた方が絶対早いです。大丸前の四条高倉でバスを下りて、ロココさんの250円コーヒーでいっぷく。
麩屋町通、寺町通
梅津では古い町並みとか無かったので、京の町歩きがしたくなりました。2週間前に御幸町通を歩いたばかりなので、その一本西側、麩屋町通を歩いてみます。「町歩き」なのか「街歩き」なのか、「街」だと高層ビルをイメージしてしまうので、京都では町歩きがしっくり来ます。
おしゃれな店の多いエリアを過ぎると静かな京町家の町並み、軒先に並べられた季節の花の鉢、奥から順に、チューリップ、シダレウメ、スイセン、盆栽の梅、薄いピンクの花(エリカ?)、センリョウ、ナンテン。お見事でです。
夷川通との交差点、夷川通側は夷川麩屋町、麩屋町側は麩屋町夷川になってます。こういうこだわりが好きです。
1年ほど前に立ち寄った陽気なテイクアウトコーヒーのblendさん、相変わらず表に看板が見当たりません。
麩屋町通は御苑で途切れるので竹屋町通、どんつきに革堂行願寺、アサギマダラのやってくるお寺です。
迎賓館が一般公開され見学できるとは知りませんでした。宮内庁じゃなくて内閣府の管理、仙洞御所見学は無料ですが、迎賓館は1,500〜2,000円、宮内省の方が太っ腹です。いずれ仙洞御所や迎賓館の塀の中に入ってみたいと思います。
ツグミを撮ってみたところ、何か暗すぎます。ここまで来て、なら瑠璃絵の夜にカメラの露出をぐっと下げた時の設定のままになっていることに漸く気づきました。このため上掲の写真の多くは露光量を上げるレタッチをしています。鳥の写真は概ねOKなのですが空や川の写真は色味が調整しきれず、ほとんどがIPhoneで撮った写真ばかりになってます。
御苑の西側には梅林もあり、景色の変化も楽しめるのに、塀ばかりの東側を歩いてきたのは京都御所東側にバードパス(野鳥の水飲み場)があるとマップで見つけたため。ところが散々探したもののバードパス自体見つけられませんでした。とにかくだだっ広い京都御苑ですが、美しいのは美しいです。松も巨木が多く剪定は高所作業車でやってました。梅宮大社とは予算規模が全然違ってるようです。
鳥獣保護区区域図です。今日はツグミとシジュウカラにしか会えませんでした。ちなみにこの地に内裏が置かれたのは南北朝以降で、平安時代の内裏は平安京創成館の時にも書いたように千本丸太町付近です。
今出川通を渡ったところに道標、大原口道標と呼ばれ慶応4年に建てられたものだそうです。かう堂(革堂)九丁とあります。1丁は109mですが、実際には1.5km(14丁弱)あります。もう測量技術が確立したいたはずの時代なのにいささかいい加減です。