哲学の道

今年初めての京都は京阪じゃなくて阪急で。梅田に着いたのは9時半前、1号線の特急と並んで2号線には快速特急がいたものの、京とれいん雅洛じゃなくてロングシートの7000系、どうやら雅洛は検査入場中らしい。9300系の特急に乗ってしまったのですが、代走の7000系に乗れる貴重な機会を逃したのは鉄ちゃんにあるまじき選択だったと気づきました。

烏丸で下車、ホームを歩いているウチに雅洛代走の7000系快速特急も到着、茨城市、高槻市、長岡天神を通過なのに特急と所要時間は全く同じです。

阪急でやってきたのはマップで見つけた朝7時から営業のお粥やさんに行ってみたかったから。中華粥がメインのようですが揚げパンがなさそうなので和粥を選択、だし巻きを追加して1,020円。朝食としては予算オーバーもやはりお粥では満腹できませんでした。コスパは高くないものの若い女性でほぼ満席でした。

ふだん朝ごはんは食べない自分、いつも10時半くらいにはすごくお腹が減って11時過ぎにランチです。朝早くでかけた時は喫茶店のモーニングや松屋のソーセージエッグ定食、あるいは朝マックを食べることもあるのですが、なぜか11時頃にはにやはりお腹が減ってしまうので、基本的に朝ごはんは要らないです。

綾小路通の「ロココ」でいっぷく、美味しいコーヒーにお菓子がついて250円。

外に出るとドピーカンになってました。バスじゃなくて市役所前まで歩いて蹴上から南禅寺へ向かうことにします。

大阪では見かけないセンスのいいお店が多い御幸町通を上リます。

9品もついて1,300円のおばんざい定食、「ちょっと待っておくれやす」の札が準備中の意味と分かり観光客向けの店と感じてしまったものの今度ここでランチしたいと思います。

ざる、かけが500円のそば屋が気になりました。朝ごはんを食べたばかりですが、東山周辺でリーズナブルなお店を探すのは容易じゃないはずなので食べていくことにしました。

250円のえびかきあげをトッピング、おつゆは甘く京風じゃなく関東風な感じ。厨房はバイトの若いお嬢さんばかりで心配したのですが、えびかきあげはしっかりサクサクに揚がっていて、甘い玉ねぎが気に入りました。

御池通に地下鉄の入口を見つけ階段を下りるとなんと地下街が広がっていました。心斎橋駅につながるクリスタ長堀に似た感じです。

京都市役所前から東西線に乗車、電車を撮ったのですが、天井までを覆うホームドアでやはり行先しか写ってませんでした。鉄道じゃなくて横移動のエレベーターです。

蹴上で下車、外に出ると菜の花、かつて京阪京津線80形が奮闘していた三条通りの坂道です。

ねじりまんぽをくぐります。ねじりまんBOとばかり思い込んでいたのですが、正しくはねじりまんPOと気づきました。「まんぽ」とはトンネルのことだそうです。

インクラインを振り返るとかなりの急勾配、1/15の勾配だそうでつまりは66.7‰、信越線碓氷峠と同じです。暑くなってきたのでセーターを脱いでバッグへ。

疎水から流れ出ていると思われる脇溝の清水、サワガニがいそうな景色ですが、まだ冬眠中のはず。

南禅寺

南禅寺の手前に金地院庭園、500円以下だったら入ってみようと近づくと500円。聞き覚えのある名前です。徳川家康の政治顧問として伴天連追放や禁中並公家諸法度を起草、黒衣の宰相や怪僧と称される金地院崇伝の自坊だった南禅寺の塔頭です。鳥居の向こうに重要文化財の東照宮があります。小堀遠州による築で創建当初は日光東照宮と比されていたそうですが、寂れたお堂としか見えず写真も撮っていませんでした。家康の遺言で作られた三社のひとつであるものの、全国にある東照宮と較べてずっと貧素なのは、崇伝の活動拠点が京から江戸に移っていたからかも知れません。

枯山水の鶴亀の庭は小堀遠州の作庭であることが史料に残る唯一の庭園だそうです。右手は重要文化財の方丈。方丈に上がり国宝の絵画等も見学できるようなのですが特別拝観料がかかるのでパス、境内には自分の他にインバウンドさん3人だけ。

前回パスしてしまった南禅寺方丈庭園を見学、靴を脱いで靴はポリ袋に入れ国宝の方丈に上がります。スリッパが用意されていたのはありがたい。

入ってすぐに気になったのが東山三十六峰の紹介。第一峰は比叡山、第三十六峰が稲荷山、概ね北から南へ並んでいるようですが、東山連峰から外れた吉田山も第十二峰に入ってます。あれ、大文字山が無いと調べてみると第十一峰如意ヶ岳の支峰だそうです。

方丈前庭は小堀遠州作と伝わる虎の子渡しの庭、小方丈庭園の如心庭は昭和の作、正直なところ立体感のある如心庭の方に惹かれ、小堀遠州を理解できていない自分です。

枯山水だけじゃなく色んなお庭に囲まれた方丈ですが、お庭に下りて歩くことはできず、池泉回遊式庭園をじっくり歩いて回れる南禅院のお庭の方が楽しいです。一室でじっくりと南禅寺紹介ビデオで予習した後、狩野派の虎の障壁画実物を観賞できました。スリッパから靴に履き替えるとポリ袋を捨てることはできず持ち帰るしかなかったのが残念。

前回付近でキビタキに会えた勅使門に仁丹の広告付ホーロー住所表示、「區京上、南禅寺福地町」ですが「禅」の旁は旧字体、しめす偏は「示」じゃなくて「ネ」、新旧混合の変な文字です。ちなみに現住所は上京区ではなく左京区。

鹿ヶ谷通を北へ向かいます。山はたぶん東山第十七峰の南禅寺山独秀峰、紅葉のような赤い木はタマミズキの実と思われます。

下校して来る高校生たちは東山高校の生徒さんたち。東山高校を過ぎると永観堂、らせん状廊下の臥龍廊を見たいと思っていたのに忘れてしまい、池のマガモと鯉を見ただけで通り過ぎてしまいました。

鹿ヶ谷通に哲学の道と新島襄先生墓地登り口右への道標、少し進むと若王子橋、哲学の道の南端で冷泉通の東端です。橋の右側に流れはなく、南禅寺境内の水路閣を渡った琵琶湖疏水の水はトンネルをくぐってここで顔を出すようです。

熊野若王子神社です。読みが違うものの1986年の三井物産マニラ支店長誘拐事件を思い出します。本殿から雅楽が聞こえてくるのですがたぶん録音。

熊野ゆかりの神社らしく三本足の八咫烏が描かれた境内図、山の奥に向かって末社が並んでいて、新島襄と八重の墓も案内されています。

少し奥の方へ歩いてみました。境内図の7番の方へ進むと薄暗い山道になって赤い鳥居は天龍白蛇辨財天、その奥の細い滝は如意輪の滝。新島襄と八重さんのお墓へは山道を20分も歩くようなので止しておきます。

哲学の道に戻り散歩を楽しみます。赤い実はカナメモチ。

哲学の道の花と鳥

カナメモチは常緑広葉樹のはずなのに赤くなった葉っぱ。

濃いピンクのサザンカばかりだった道に白いサザンカも混じってきました。

疎水の右岸の道でアオジを見つけたものの笹の葉陰に隠れてしまいました。遠くへ行った様子はなく暫く探してみたものの見つからず、哲学の道を少しもどり笹の茂みを疎水側から覗いてみると笹の葉陰にいたのはアオジじゃなくてジョビ太。

ほどなく葉陰から出てきてくれました。

川面に何か見つけたものの諦めたようです。

ジョビ太は上の枝へ移動、その上の枝にアオジも出てきました。

ジョウビタキとアオジのツーショットです。

アオジもくっきりと撮らせてくれました。以前はなんだアオジかと思っていたくらいですが、何と3年ぶりです。

私のことに気づいているはずですが、ずっと同じ枝に止まってドアップを撮らせてくれたジョビ太です。

さらに上の枝にはメジロも。

疎水の石垣に張り出し、ぶどうのように赤い実を実らせているのはナンテン。あまり見ない生え方です。

一輪だけの黄色い花はオウバイ。

満面の黄色いつぼみは白梅です。右岸沿いのお宅にウキツリボク。

哲学の道を北へ歩くに連れて開いたウメが増えて来ました。もっと人が多いかと思いきやひっそりしています。京都随一のデートスポットの哲学の道ですが、デートのカップルは多くなくて、インバウンドさんや高齢者のグループ、それに犬の散歩の人が目立ちます。

哲学の道と並ぶ人気デートスポットの嵐山でデートすると別れるという都市伝説を思い出しました。哲学の道より圧倒的に人の多い嵐山ですが、デートのカップルも多いです。もう都市伝説は無効なのかな。

ボケが咲いてました。白い実のナンテンも。

法然院

哲学の道が東へ湾曲したところから少し坂道を登ると法然院、大原の古知谷阿弥陀寺同様に「不許葷辛酒肉入山門」と建てられていました。

吉川英治の「親鸞」を読んで訪ねてみたかったお寺です。自らを厳しく律しわが道を貫く印象の強い親鸞より優しさが先立つ法然に惹かれた次第。

法然が親鸞や蓮生(熊谷直実)ら弟子たちと結んだ修行のための草庵が発祥。「親鸞」でも描かれていた後鳥羽上皇の女房、松虫と鈴虫が、法然の弟子の安楽と住蓮を慕って出家、上皇の逆鱗に触れ法然は流罪、安楽と住蓮は死罪となり草庵は荒廃。江戸時代になって知恩院第三十八世萬無とその弟子の忍澂によって再興、浄土宗の一本山だったのが1953年に浄土宗から独立した単独の宗教法人だそうです。拝観料は無料、寺社の感銘度は拝観料に反比例するというのが自分の持論です。

茅葺の山門を抜け、スギゴケが隙間をうめた石段を下りると両側に盛砂。白砂壇と呼ばれ、砂の上の模様は季節毎に変わるそうです。

右手に放生池、左手にも小さな池。

池の中の杭も苔に覆われています。杭の苔の上の葉っぱはクレソンかと。

丸く杭を覆った苔。

放生池の傍に置かれた水盤にセンリョウが一輪だけ。カラフルな花が敷き詰められた花手水よりはるかに風情があります。

赤い実が上に伸びたセンリョウと下にぶら下がるマンリョウが一緒になってました。

放生池の真ん中に大木が倒れたまま。

水盤のセンリョウを横から見ると一枚だけ並べ置かれた椿と思われる葉っぱから水滴。

何故椿の葉一枚で水盤から水滴が落ちていくのか不思議、息を呑む美しさでした。

茅葺の山門の内側はきれいに苔むしてます。極めつけの侘び寂びを体感させてくれた法然院、同じ法然を宗祖とするも大伽藍が並ぶ知恩院や金戒光明寺とは対極的です。浄土宗の高僧でありながら法然の原点を再興しようとした萬無と忍澂というふたりの僧に思いを馳せてみました。

ペテロやパウロが殉教した頃の原始キリスト教とサン・ピエトロやノートルダムのような荘厳なカトリックの大聖堂との対比に似た何かを感じさせます。

境内を出ると谷の向こうに東山第十二峰の吉田山、東山から眺める東山です。さらに向こうには愛宕山がぽっこりと頭を出してました。

疎水の不思議

哲学の道に戻ります。一面ガラス張りの陶芸のお店を何気なくのぞいていたら中の人のきれいなお姉さんが挨拶してくれてテンションが上がりました。

ナンテンの赤とサザンカの濃いピンクに縁取られた哲学の道、哲学者の西田幾多郎が好んで散策したことに因むのですが、思索よりも自然観察で忙しい自分です。

銀閣寺参道との合流地点がからどっと人が増え、白川疎水道を西へ。

疎水と白川が十字に交差する地点で不思議に気づきました。疎水と白川は合流しておらず立体交差になっているようです。ところが白川より上を疎水が流れているのに、交差点にある西田橋の下を覗くと疎水は白川の上を通っていないのです(2枚目の写真)。

西田橋をキーワードにググって謎が解けました。疎水がサイフォンの原理による凹型の水路で白川の下をくぐっているそうです。

白川通の先で疎水は向きを変え、一乗寺辺りまで北上し高野川に流れ込んでいると分かり、疎水を離れ今出川通を西へ。ちょうど節分で賑わっているはずの吉田神社に寄ろうかと思ったけど人混みは必至なので通り過ぎ、百万遍の交差点で信号待ちをしていると、明日が市長選投票日で松井候補の選挙カー、選挙最終盤なのに名前連呼じゃなくて、松井さん本人による政策や立場の演説にはちょっと好感。(ウチへ帰って選挙速報をみると大接戦、翌朝なんとか競り勝ったのを確認してひと安心しました。)

賀茂川

葵橋堰堤の上流にカワアイサが7羽。

お腹が白いのは♂の成鳥、茶色いボサボサ頭は♀または幼鳥です。

リーダーらしき先頭の♂に率いられゆっくりと川上へ移動。

一斉に飛び立ち、上賀茂の方へ去ってしまいました。

賀茂川左岸土手のロウバイとウメです。

出町柳で入線してきたのはミャクミャクラッピングの8000系、このまま帰っても良かったのですが祇園四条で下車、渡月橋よりすごい人混みの四条大橋を渡ります。

いつもの角打ち、切子グラスの中身は伏見の「坤滴」です。

阪急で帰ります。12kmくらいかなとスマホをチェックすると27,000歩20kmも歩いていてビックリ。