好古園と姫路城
すっかり池泉廻遊式庭園フェチになってしまった自分、築地塀で区切られた9つもの庭園で構成された日本庭園を見つけました。姫路城に隣接した好古園です。姫路城を含め行ったことがあるような気がするものの記憶の彼方、大阪より姫路の方が2℃くらい涼しいという予報で早速姫路へ。
ノッキングする電車
いつもは阪神なんば線で向かうところを直通特急を始発から乗ってみることにして梅田へ、4月に新しくなった阪神梅田駅は初めてです。
9時20分の直通特急は山陽5000系、種別表示が黄色地に青字、10分ヘッドの阪神と15分ヘッドの山陽の異なるパターンを調整するために、西元町、大開、西代にも停車して赤地に白抜き表示の直通特急より姫路まで5分余計にかかる直通特急です。わかりにくいので種別自体を「直通準特急」とでもした方がわかりやすいかと。海側の転換クロスシートをゲット、尼崎で乗り換えていたらクロスシートの通路側しかなくなっていたので目論見は成功。
かなり気になったのが、この5000系電車の加速時、特に低速域でMT車のノッキングのようなカクカクという前後の揺れです。運転技術なのか、性能なのか、整備なのか、阪神の運転士さんから山陽の運転士さんに交代しても変わらないので性能か整備のいずれかのようです。
塩屋を過ぎて舞子公園手前でどーんと明石海峡大橋。橋の左手に新しい建物ができたのかと思ったら、孫文記念館が工事中でトンガリ屋根に足場が囲まれています。
東二見で車内は誰もいなくなり、加古川を渡ります。2年前右岸の土手から鉄橋を渡る電車を撮ってます。
飾磨で網干線を分岐、向こう側の築堤を上って行く網干線で夢前川へ行ったのはもう5年半も前。山陽姫路に到着、ここで下り立った記憶はありません。
山陽姫路駅から好古園まで徒歩15分ほど、大手前通りは厳しい日差しも、みゆき通りや西二階町のアーケードを行くと両側のお店のエアコンが効いてます。
Google Mapで見つけた洋食屋さんです。かなりの人気店らしく開店直後でもほぼ満席、Aランチに付いていたカニクリームコロッケが絶品、満腹して出てくると表に行列ができてました。
9つのお庭
好古園です。好古園だけだと310円、姫路城との共通券は1,050円という微妙な価格設定です。9つものお庭を巡るだけで満足して姫路城に上ることはなさそうですが、ひょとしたら上るかもしれないので共通券にしておきます。日陰でクロネコがへたってました。
最初のお庭は御屋敷の庭、藩主の下屋敷があった場所だそうです。
門をくぐると活水軒というレストラン。こういう場所にありがちなお店と異なり会席料理等がかなりリーズナブル、カニクリームコロッケも美味しかったけど、ここにすればよかった。
活水軒から渡り廊下が伸びていて左手から滝が流れ込んでいます。
渓流のコケやシダが美しい。渡り廊下右手は池が広がっていて、深い木立の向こうに天守が首を伸ばしていました。
メダカとコシアキトンボ。
池を渡る石橋、錦鯉が見事という他ないですが、今や錦鯉というとすぐ長谷川さんのギョロリとした目を連想してしまいます。
お次は苗の庭、杉木立の向こう側に江戸時代の園芸植物の苗が色々。池泉廻遊式庭園ではなく田舎の農家のようなお庭です。シオヤアブがいました。
ウマノスズクサ、姫路市の市蝶とされているジャコウアゲハの幼虫はこのウマノスズクサだけを食べるそうです。ジャコウアゲハとの出会いを一番期待していたのですがお留守でした。
好古園全体で花の少ないタイミングもオミナエシががんばってくれていました。
最近どこへ行ってももシオカラトンボよりオオシオカラトンボの方がよく見かけます。
上向きで咲いているホタルブクロは少ないかと。
庭園を囲む築地塀に囲まれた道、武家屋敷の遺構を残して設計されているそうで、時代劇のロケでもしばしば使われていて既視感があります。
築地塀の向こうに天守。かつてご家老とか重役の邸宅だった場所にいると実感。リモートじゃなくて職住接近です。
流れの平庭、夏木の庭、松の庭、花の庭と分かれているものの4つの庭がまとめて築地塀で囲まれていてその内側が簡易な塀で区切られています。花は少なく、カワラナデシコくらい。池にはフナもたくさんいます。
築山池泉の庭と竹の庭もまとめて築地塀で囲まれていて奥が竹の庭、ぐるっと回ってきたのでもう好古園入口近くです。
一般的なタケノコのモウソウチクと、この前天ぷらでいただいたハチクを見比べてみたのですが、よく分かりませんでした。
竹の庭の鹿威し。
出口を出たところに「日村さん×好古園カレンダー」、どんな景色でもほんと絵になる人です。
国宝大天守
出会った生物たちが少なく物足りないので、やっぱり天守に上ってみることしにします。
好古園の出口から大手門、三の丸の端の木陰を選んで歩き、西の丸茶店で水を買って入城口、菱の門、いの門をくぐった辺りで天守を見上げます。
ろの門をくぐり、将軍坂、暴れん坊将軍のロケで使われてから将軍坂と呼ばれるそうです。はの門、えらく天井の低いにの門、ほの門をくぐって大天守の登楼口、大阪城天守のようにエレベーターで上がるものと思っていたら、靴を脱いで、京町家のような急な段梯子を6階まで上がることになるとは思ってもみませんでした。
大天守最上階からの眺め、まっすぐ大手前通りが伸びていて突き当りがJR姫路駅、播磨灘も近く見えます。シャチホコ右手は家島諸島と小豆島。
シャチホコ左手の山肌が削られた島は家島諸島の男鹿島(たんがしま)。西側の眺めは好古園かと思いきや西の丸、西の丸の塀の向こうの木立が好古園です。
慶長14年池田輝政が完成させた国宝、世界文化遺産、大天守最上階の内部、床はピカピカに磨き上げられています。
急な段梯子を下ります。3階に武者隠し、作られたのは戦国時代後なので実戦で使われたことはないはず。
2階まで下りてきたところで足が攣りました。一面の武具掛けに槍がかけられています。ちょうど木の腰掛けがあったのでしばし足が回復するのを待ちます。下りて来る人が途切れたところで3階からの段梯子を撮ってます。
大天守1階から小天守をぐるっと回って、靴を脱いだ場所とは別のところで靴を履いて、への門、との門、ちの門、りの門と上ってきた道とは別のルートで下りていきます。
りの門とぬの門の間にお菊井戸、播州皿屋敷の悲劇の現場です。近くにいた女性が何か写っているかもね、と話しているのを聞いてぞっとしたのですが、昼間だったせいか、幸い何も写っていませんでした。いちまい、にまい、さんまい、よまい…くまい、じゅうまい、じゅういちまい…、あっ、これは落語の方です。ただお菊さんが投げ込まれた井戸が大天守の真下というのはどうも違和感があります。それに直径2mくらいの井戸でイメージより大きすぎるように思えます。
三の丸の端っぽに喫煙コーナーがありました。一服して振り返ると大天守。さっき外を眺めたシャチホコの右側の窓が見えます。エレベーター付鉄筋コンクリートの大阪城とは比較にならない、さすが国宝、世界遺産と実感です。
姫路周辺は古くから工業地帯、空襲は受けなかったのか、調べてみると、終戦直前の7月3日に大空襲を受けていました。姫路市街全域に焼夷弾が降り注ぎ総戸数の40%が消失、大天守にも焼夷弾が直撃したものの発火せず、大天守最上階の板間に100ポンドの焼夷弾が転がっていたのを見習士官で不発弾処理担当の鈴木頼恭さんが見つけ、信管が通常のものと異なっているため処理方法が分からず、若い兵隊二人と急な階段をかつぎ下ろし、城外の広場で爆破処理したそうです(参照)。もっと語り継がれるべき逸話です。
姫路おでん
駅への帰り道、みゆき通りの洋菓子やさんの店頭で見つけたおでんケーキ。▲■●ー、チビ太のおでんが今も通じるようです。
みゆき通りの一本東、おみぞ筋の大衆酒場、窓越しにカウンターの空席があるのを確認して入ってみました。ネイティブな生姜醤油の姫路おでんでプファー、汗でシャツの色が変わってるとお姐さんがウチワを貸してくれました。大阪からと聞いて姫路城に上ってきてくれたんですね、と誇らしげ。大阪の酒場で大阪城(あるいは通天閣でも)上ってきてくれたんですね、とは聞いたことがありません。姫路っ子のお城LOVEが強く感じられます。
常連さんばかりですがなかなか居心地のいいお店、また姫路に来てくださいね、と送ってくれました。必ずまた来ます。それにしても姫路はほんと食べ物の美味しい町です。これまでハズれた記憶がありません。
山陽姫路駅には2本の直通特急、3番線に先発の山陽5000系、4番線は中間車クロスシートの阪神9300系。どちらも種別表示は赤地に白抜きで迷ったものの、先発の5000系にしました。
やはり低速から中速域への加速時にカクカクします。これまで何度も乗ってお気に入りだった山陽5000系でこのカクカクが気になったことはなかったのですが。まあ姫路おでんプファーでええ塩梅になっているので往きほど気にはなりませんでした。
尼崎でLCカーに乗り換え、全然カクカクしなくて快適です。工事の進む淀川橋梁で夕日。