高砂や この浦舟に帆を上げて
前々からこの週末はヒガンバナ花見を計画していたけど、シギチに会いたくなったので計画変更、加古川河口へ向かいます。
シギチに会えなくても別の楽しみがあります。高砂駅周辺をGoogle Mapで眺めていると明らかに廃線跡らしき道路が確認できます。昭和59年12月に廃止された国鉄高砂線です。
高砂線の廃線跡をマイマップにプロットしてみました。加古川駅から加古川市の中心部を通って尾上の松駅で山陽電車と並行、並んで加古川を渡り、山陽電車高砂駅の少し南にあった高砂駅までの8kmほどの短い路線で、昭和39年9月号時刻表復刻版を見ると毎時1本程度が加古川から高砂まで15分ほどで走ってます。
高砂駅から高砂港(貨物駅)へ、また高砂駅からスイッチバックして、国鉄高砂工場や三菱重工、キッコーマン、神戸製鋼の工場への支線が延びていました。ただのローカル線ではなく、産業鉄道的な色合いの濃い路線だったと分かります。
付近には国鉄高砂線に先立ち昭和59年2月に廃止された別府鉄道の廃線跡も広がっていて、保存車両も展示されているので、鳥見がハズレなら行ってみることになるかも。
8000系の直通特急で尼崎から高砂まで70分のかぶりつき。運転手さんのバッグが床に置かれているのが嬉しい。
阪神特急は、直通特急、直通特急(神戸高速線内各駅停車)、須磨浦公園行特急が毎時2本ずつ、10分ヘッドの阪神線内と15分ヘッドの山陽線内のズレを神戸高速線内各駅停車で調整しているとやっと理解できました。路線図では西元町、大開、西代の3駅を一部の直通特急が通過とあるのですが、一部じゃなくて半々です。3駅通過の直通特急を直通快速特急とかにした方が分かりやすいかも。
すれちがう各駅停車をチェックしていると、5000系の運用がかなり減っているようです。
山陽5000系が最新型の6000系に合わせたカラーリングになってました。
高速神戸で山陽電鉄の運転手さんに交代も、バッグはフックに掛けてくれたので、依然視界良好です。地下区間を抜け海が広がり須磨浦公園を通過。
東二見で乗ったことのない6000系の普通車が退避していたので、乗り換えてみました。前面窓の下がカーブしていてカブリツキの視界はイマイチです。
尾上の松駅を過ぎて国鉄高砂線廃線跡が並行します。上掲の地図のプロットをしていると、尾上の松駅から1kmほど南に加古川飛行場跡があることに気づきました。特攻隊員たちが飛び立っていった旧陸軍飛行場です。
加古川を渡ります。左手に国鉄高砂線の鉄橋が並行していたはずですが、跡形も有りません。ググってみると、国鉄・私鉄の思い出というサイトにDD13がワムに挟まれたスハネフ14らしきと、さらにキハ47らしきを逆向きに繋いだキテレツな編成を牽引して加古川を渡っています。国鉄高砂工場への入庫車両です。
高砂駅に到着、山陽電車と並行して加古川橋梁に向けて廃線跡と分かる緑道が続いています。
道路の向こう側のカーブした駐輪場が高砂北口駅のあった辺りかと。緑道をちょっと進むと国鉄ではなくて「山陽電鉄旧高砂駅跡」の碑、昭和33年、駅舎を西方に約100m移設、連絡地下道、追い越し設備の新設、とあります。
5000系の普通車が加古川を渡ります。その少し川上をのぞみ号が駆け抜けて行きました。
山陽電鉄加古川橋梁です。
川面の上空にミサゴ。
しばし一点でホバリング、ほどなくダイブ。
30cmくらいの魚(たぶんボラ)をゲット。
シギチが好みそうな干潟が広がっているものの何もいません。
ふたたびミサゴ登場。殆ど羽ばたくことがなく、滑空するばかりです。
さっきのは魚を捕まえたばかりなので、これは別のミサゴかと。ズームしてもピントが合ってきました。
干潟に人がいるのですが下りる道が見当たりません。どうやら急な石垣を下りるしかないようですが、ダイサギとアオサギしか見当たらないので止めておきます。
さらにミサゴ、2番目のミサゴが去った方角と別なので、これも別のミサゴかと。
お魚ゲット!シギチはハズレもこれだけミサゴに会えたので良しとしましょう。
加古川右岸河口の先端、高砂島という小さな島(たぶん人工島)までやってきました。播磨灘が広がっています。正面は鹿ノ瀬と呼ばれる浅い海域で古くからタイやタコの絶好の漁場、かつては播磨と淡路の漁師たちの争いが絶えなかった、と街道をゆく7にありました。
鳴門海峡あたりまで見えます。左手は淡路島、右手はもう四国かと。
西側の眺めです。こんもりとした小島は家島諸島東端の上島(かみしま)、右手の山が削られた島は男鹿島(たんがしま)、中央奥は小豆島です。
絶壁の断崖に囲まれた小さな無人島の上島、頂上に灯台が見えます。播磨国風土記にも紹介されていて、古来から船乗りたちの目印になっていたようです。
小さな干潟にコメツキガニたち。
かなりの数がいます。
加古川右岸河口の高砂海浜公園、左手が高砂島、コメツキガニがいたのはその小さな干潟です。
アオモンイトトンボみっけ、お久しぶりです。
間違いなくいろんな生き物が潜んでいそうな河原ですが、何も見つかりません。
川の外側に運河が伸びていてます。赤レンガの建物は三菱製紙高砂工場。
高砂神社にやってきました。しーんとしていて誰もいません。立派な能舞台があります。
てんとう虫のサンバと並ぶ昭和な結婚式余興の定番ですが、ここから船出、淡路の島影を眺め、鳴尾の沖を過ぎ、住之江に着くまでが謡われています。イヤーワームが謡曲になったのは初めての経験です。
北側から入ってきたのですが、表門は南側にあり神社は海に向かっています。
戎町屋台倉の扉が開かれ人が集まっていて、お断りして写真を撮らせてもらいました。秋祭りは10月10日、11日ですが、やはり残念ながら今年は自粛だそうです。
広い通りが多いのですが歩く人どころか車の通行もわずかです。でも人を見かけないだけで、生活感は感じられる町です。
国鉄高砂駅跡にキハのものと思われる動力車輪が置かれていました。
このすぐ東側にアーケード商店街、「預金は播州信用金庫」と「播磨環境管理センター」が目立つものの、よく見ると「銀座商店街」とあります。廃線跡を辿ることに気を取られ、ちょっとだけ覗いただけですが、元気に営業中のお店も少なくないようです。
すごい建物発見!レンガ造りと木造が融合した4階建て。ちょっと覗くと薪がいっぱい積まれています。
サンタクローズが好みそうなレンガの四角い煙突が何とも素敵、木造4階建ての4階部分は増築しているようですが、どうやって上るのでしょう。中で作業している人が見え、何かの工房かと思って、反対側に廻ってみるとなんと銭湯です。
モルタルづくりのこっちが表でレンガと木造は裏ですが、国鉄高砂線廃線で裏の方が目立つことになってしまったようです。「高砂 梅ヶ枝湯」でググってみると独立したWikiPediaがありました。中はどうなっているかぜひ見てみたいものですが、営業は4時からなので機会を改めます。WikiPediaでは千と千尋の神隠しの湯屋を連想させるとありますが、ハウルの動く城に近いと思います。
廃線跡は一旦狭まり、Y字に分岐、右が本線、左が国鉄高砂工場やキッコーマン、神戸製鋼、三菱重工への支線です。
おっと転轍機が6本も並んで保存されてました。左側の丸いのも転轍機ですが、役割の違いは調査中とします。
旧国鉄高砂線の分岐点の碑が立てられていました。掲げられている地図からプロットしたマイマップがほぼ正確と確認できました。
本線跡をたどるとほどなく自転車置き場、上掲の写真の反対側です。
来る前にGoogle Mapで見つけて今日のランチはここと決めていたお店です。廃線跡の自転車置場に沿ってカーブした建物の右から2軒目です。
このソースポットに惹かれてやってきました。ビーフカレーセットで、ジュレのドレッシングのサラダ、自家製らしきコーンスープ、バターの載ったふかし芋が付いてます。ソースポットの中には大きな角切りビーフがゴロゴロ隠れていました。大満足。
もう一度廃線跡を眺め、定期列車のキハ20やキハ35だけでなく、20系ブルートレインや82系特急気動車がここを通っていたはず、と想像を膨らませます。
高砂駅前にレンタサイクルがあるのを見つけました。歴史と産業と自然が融合したとても魅力的な高砂の町、春のシギチの渡りの頃に再訪したいと思います。その時はタオルと着替えを忘れずに。