高雄

比叡山の麓の梅谷川に再チャレンジのつもりだったのですが、整備されていない山道を歩くのが億劫になり、比叡山の反対側、愛宕山の麓、清滝川の渓流が期待できそうな高雄に行ってみることに方針変更。大河ドラマにも登場の文覚上人ゆかりの神護寺や鳥獣戯画の高山寺には新・平家物語読書中から行ってみたかった次第。台湾の高雄には何度も行ったことがあるけど、京都の高雄は初めてです。

高雄へは京都駅から西日本JRバスと四条烏丸から京都市バスの両方が通じているもののJRバスの方が本数がずっと多いので新快速で出発。新大阪手前でハローキティはるかと並走、271系と281系が併結されているのですが、新型の271系より従来型の281系の方がキレイです。

京都駅2/3番線ホームで駅そば、両側に線路のある駅そばも絶滅危惧種。和歌山駅も米原駅もなくなったし、近辺で思いつくところでは姫路駅と中書島駅くらい。にしんそばが見当たらず肉そば、ささがきゴボウが入っていたのが嬉しい。

烏丸口に出ると高雄・栂ノ尾行のバスが出て行きます。日中30分ヘッドも10時までは15分ヘッドになってました。次のバスを待つ間に栂ノ尾までJRバスにも乗れる市バス1日券を買っておいたのですが、結局2回しかバスに乗らなかったのでこれは失敗。

周山行の最後部席をゲット。高速バス以外のJRバスに乗るのは初めてかも。大宮通りを北へ、四条大宮から京都では珍しい斜めに通じる後院通を抜け千本通りを北へ。この付近の千本通りは広く、朱雀通りだった頃の趣が残ります。

千本丸太町を左折、円町を右折して西大路通りを北上、わら天神前から細い道に入り立命館衣笠キャンパスを抜け竜安寺前。

車内はガラガラになってこの前来たばかりの仁和寺。

福王寺交差点から周山街道に入ると、あっという間に山の中。京都駅から50分ほどで栂ノ尾に到着。バスはここからさらに30分以上かけて周山へ。

周山から先、第三セクター運営のバスで美山かやぶきの里まで行けるそうです。大型バイクが多数通り過ぎ、人気ツーリングルートのようです。大型バイクの人がヘルメットを脱ぐと若者ではなく概ね自分と同じような年配の人ばかりです。周山街道、国道162号は鯖街道とも呼ばれ小浜へつながります。北海道の江差や松前から北前船で運ばれてきた昆布やにしんを京都へ運んでいた道です。

栂尾山高山寺

栂ノ尾バス停のある観光駐車場から高山寺へ石段の裏参道が伸びています。石段を少し上ると苔に覆われた東屋。

さらに少し上ると国宝の石水院、広い境内自体は無料も石水院は拝観料800円、高いです。

石水院玄関前のミヤコワスレ、京都市内からかなり遠くまで来た気がするものの、緯度でいえば宝ヶ池辺りです。高山寺の宝物、日本のまんが文化の原点とされる国宝鳥獣人物戯画は東京と京都の国立博物館に保管されていて、石水院には模本が展示されています。第二巻、第三巻、第四巻の模本は、えっこんな小さかったっけと思わせる10cmサイズの巻物、よくみると縮本と明記されていました。よく知られた、うさぎとカエルが相撲を取っていたりする第一巻は原寸大で別のケースに展示。

玄関に戻ってくると撮影禁止の張り紙に気づきました。模本だし、ネット上にいっぱいアップされているので構わないような気もしますが、やはり自粛しておきます。石水院を出てくるとカワトンボ。ニホンカワトンボかアサヒナカワトンボかのいずれかですが判別は至難です。

境内をぐるっとひと回り、北山杉が美しい。ところが金堂前に荒涼とした斜面が広がっていて、ところどころに杉らしき切り株、土砂崩れか何か災害の跡のようです。

トイレ清掃されていたお寺の人に尋ねてみると2018年の台風で樹齢何百年もの杉がボコボコにやられてしまったそうです。2018年9月、大阪市内でも大きな被害をもたらした台風21号です(その時の大阪城公園の様子)。ここに杉木立が戻るまで何百年もかかると思うと気が沈みます。

小さな流れにアメンボの陰。その上に日本最古の茶園とあります。高山寺は日本で最初に茶が作られた場所だそうです。

高山寺表参道を下り2つ目の目的地神護寺へ向かいます。

山を削った道路の壁にユキノシタがいっぱい、20m幅くらいびっしり咲いてました。

高雄山神護寺

神護寺の果てしなく続く石段、膝を庇いつつ400段を上って工事中の楼門にたどり着きました。息を整えつつ楼門で拝観料600円を払い、もうこれ以上階段は無いですよね、と尋ねたら金堂前にあと少しあるとのこと。

楼門をくぐると広い空間。青モミジに囲まれる中、ところどころににノムラモミジが植えられていてこの時期でも紅葉を楽しませてくれます。

聞いた通り最後にまだ石段があってこれを上ると金堂。

金堂から林の中の道を抜けると、かわらけ投げの広場です。かわらけ投げが描かれた落語愛宕山、大阪でしくじった幇間の一八と茂八が京都室町の旦さんの野掛け(ピクニック)のお供で舞妓さん芸子さんたちと愛宕山へ、その道中の賑やかなこと、ポンポン。室町の旦さん曰く、愛宕山や比叡山、鞍馬等山歩きに馴れた京都人と違って天保山や茶臼山、真田山しかない大阪人は山歩きは苦手、笑ってる自分の膝がなるほどと頷いてます。

上ったことはないものの愛宕山へは清滝から1時間半くらいのルートもかなりの急坂、それに祇園から清滝までも当然徒歩、愛宕山頂まで片道20km以上になります。いくら健脚の京都人とはいえ幼い芸子さんたちも含まれる野掛けの一行にはまず無理です。神護寺までだと片道13km、昔の人の健脚であれば、朝8時に出発して11時過ぎにはお弁当を使えそうです。かわらけ投げは比叡山や竹生島、妙見山などでもあるそうですがの発祥の地はここ神護寺とされており、清滝への通り道で愛宕山の麓ともいえなくはありません。落語愛宕山の実際の舞台は神護寺だったのではないでしょうか。

かわらけ投げの崖下を覗くと清滝川の水面も見えます。錦雲渓と呼ばれるそうです。調子に乗った室町の旦さんがかわらけに代えて小判20枚を投げ、それを拾うため幇間の一八は傘を広げて崖下へ飛び降ります。この渓谷に浮かぶメリー・ポピンズのような一八の姿が目に浮かびます。

かわらけを売っている茶店です。残念、ビールは売られておらず、いろはす天然水でがまん。店番は落語のような婆さんじゃなくて陽気な姐さん、訊いてみると、どうやらかつて愛宕山にもかわらけ投げがあったそうな。後でしらべたところ桂米二さんのブログに昭和初期、愛宕山にもかわらけ投げがあったことを紹介する看板の写真がアップされていました。でも現在は無い訳で、やはり神護寺が落語愛宕山の舞台と決めつけることにします。米朝さんと枝雀さんの愛宕山談義という向こうの世界での対談のような対談で、この噺は始めから終いまで全部ウソと話してました。落語はウソをいかにリアルとして楽しむかということのようです。10年以上前のブログにいずれ愛宕山に行ってみようと書いているものの、ここ神護寺で一応その思いは達成したことにします。

かわらけは3枚200円。姐さんにここまでどうやって通勤してるのか訊いてみると楼門の下までクルマで上がれるようになっている由。大河ドラマで文覚上人が登場、ここから獣道をかなり奥深く入ったところにある文覚上人のお墓を訪ねる人も少なくないそうです。市川猿之助さん演じる文覚上人、その破天荒さは十分発揮されていますが、新・平家物語では清廉で人情の厚い人だったことも度々語られており、その辺もぜひ鎌倉殿の13人で演じてほしいところです。

水だけしか頼まなくてスミマセンと声を掛けて茶店の縁台から腰を上げます。400段の石段を思い出すと、いつものようにまた来ますとは言えませんでした。

ノムラモミジと一部が紅葉した青モミジ。境内に限らず山全体がモミジに包まれている感じです。晩秋はさぞかし見事なことかと、でも人出もハンパないはず。

楼門を下りたところから見下ろした石段、茶店の姐さんが教えてくれたように右手に舗装路があり、クルマが駐められています。楼門の事務所に戻り尋ねると、石段より2倍くらいの距離があるものの舗装路からでも下りられると確認、石段よりも100mくらい川下に出るそうです。

ワインディングロードでも暗峠のような急坂ではなく、石段よりはるかに歩きやすく鳥の声も響き渡る心地いい道です。雑木林の白い花はウツギかと。

ふたたびカワトンボ。舗装路は川辺で一般道につながっているもののゲートで閉鎖されていて神護寺の私道になっているようです。

清滝川

清滝川右岸の道を来た方向とは逆に下流側に少し歩いてみます。イカルが写ってました。

川下への道は清滝へと続くハイキングコースです。小さなダムがあってその川下に清滝橋があり道は左岸へ。ダムの端には魚道が設置されています。

川の岩に茶色い羽のカワトンボ。これもニホンカワトンボかアサヒナカワトンボかのいずれかです。

左岸に渡ったところにもカワトンボ。連射で飛んでるところにチャレンジしてみました。

この先清滝まで3kmほどですが、半袖で虫除けもないので引き返すことにします。あとで分かったのですが、引き返した場所はかわらけ投げの崖のほぼ真下、幇間の一八のように竹の反動で自分を飛ばさなくても、自分の来た道を戻ると室町の旦さんたちの元へ帰れるはずです。

透明度の高い小さなダム湖に10cmほどの魚たち、カワムツのようです。

30cmくらいのでかいのが悠々と泳いでます。朱色の点々が見え、アマゴで間違いないかと。

キセキレイが出てきておかしくない場所やなぁ、と思ったらずばり出てきてくれました。

キセキレイが行ったあとにはカワトンボ。

青モミジにイソヒヨドリ。日陰から出て日向の川面を飛ぶ姿はさすがに青く輝いていました。

指月橋のたもとにある指月亭でにしんそば。1000円とお高めですが、紙鍋のプレゼンテーションでナットク、ビールはがまんしました。ホクホクの身欠きにしんは江差から周山街道を通ってきたものじゃなくて、ノルウェーあたりからやってきたものと思われますが十分に美味しい。

槇尾山西明寺

指月橋を渡ると西明寺、石段は緩やか。これで栂尾、高雄(高尾)、槙尾の三尾めぐりコンプです。

ご住職らしきが受付で拝観料500円、ここも青モミジがいっぱい。

お寺で殺生しているイソヒヨドリ♀。

表門内側にノムラモミジと違って透明感のある紅葉、たぶんふつうのモミジ、まるで秋です。

マップをチェックすると栂ノ尾のバス停に戻るよりも槇ノ尾のバス停が近いと分かりました。終点栂ノ尾、槇ノ尾、高雄の順です。現住所も梅ヶ畑栂尾町、梅ヶ畑槙尾町、梅ヶ畑高雄町、つまり高雄は総称ではなく、三尾のひとつに過ぎないのですが、広域の通称として高雄エリアとされているようです。今日どこへ行ってきたと説明する際、梅ヶ畑や三尾では通じないので高雄でOKでしょう。

ちなみに、台湾の高雄は元々、打狗(ターカウ)と呼ばれた村が発展し、旧台湾総督府により高雄(カオシュン)と改名しています。元の発音と語感で決められたようです。三菱の家具調カラーテレビ高雄というのもありました(ダークダックスによるCMソング)。日本の美を連想しやすい地名と言えそうです。

四条大宮で下車、立ち呑み庶民で冷酒、アテはミニしらす丼250円。

京阪プレミアムカーで帰るか、新快速で帰るか、面倒になって四条大宮から準急で帰ることにしました。

やってきたのは屋根が白くない5300系、西院でカブリツキゲット。超広角で鎧窓やマスコンを撮っておきます。

特急に乗り換えずにのんびり準急で梅田まで。N700Aと並走、対向は3300系。

APPENDIX

高雄絡みで追記(5/24)、台湾の高雄へ毎年3回4回も訪ねていたのはもう30年も前のこと、食品輸入の仕事で主に冷凍枝豆の買付でした。当時チャイナエア(中華航空)だけが成田じゃなくて羽田から出ていて、古い国際線ターミナルビルに掲げられた大型のパタパタの出発案内に僅か2便だけが表示されていたと記憶します。高雄への直行便は成田からの日本アジア航空だけだったはずで、桃園か松山で国内線に乗り換えるか、自強号で4時間ほどかけて移動した記憶もあるものの、畑や工場への移動が便利なため取引先のクルマで台北から高速道路のケースが多かったです。

毎年3回4回と訪ねていたのは枝豆(大豆)が二期作だったためで、畑を回って作柄をみたり、冷凍加工場での検品したりといった仕事でした。枝豆はさやに2粒か3粒の入ったものは合格、1粒だけのものは不良品として袋詰の前に人海戦術ではねていきます。それでもある程度1粒のさやも混入してしまうものの、その比率を小さくするのがバイヤーの仕事でした。生の枝豆を加熱して急速冷凍するのですが、加熱時間が短いものはショートブランチ、長いのがロングブランチで、ロングブランチは水で解凍してそのまま食べられるのですが、ショートブランチの方が風味が良かったはず。同行の協力企業部長に厳しく仕込まれました。

炎天下の畑を歩いていた時、作業中のおばあさんがわざわざ腰をあげて、きれいな日本語で「こんにちは」と挨拶してくれたことを鮮明に覚えています。日本統治時代の日本語世代のおばあさんです。故李登輝総統も日本語でものを考える日本語世代のおひとりでした。

自分は加工食品部だったので、当時、高雄周辺では冷凍枝豆の他、ミックスベジタブルやいんげん等の冷凍野菜、梅干し(梅の実じゃなくて漬け込んだもの)、うなぎの蒲焼などにも多少関わっていました。日本の消費者の舌がわかる日本語世代の存在が大きかったようです。生鮮食品部でも高雄周辺から食材は多く、特にうなぎとブラックタイガーの養殖は高雄周辺の経済を支えていました。枝豆畑を巡っていると、ところどころ養殖池の周りに豪邸が立っていてうなぎ御殿と呼ばれていたのですが、その後農業からIT大国に大変身した台湾、あの頃の光景がどう変化しているか確かめてみたいものです。

茹ピーナッツ、からすみ、鶏の足、牡蠣玉(牡蠣オムレツ)…、台湾料理を思い出し、よだれがでてきました。中でも大好物は小腹が空いた時の屋台で食べる、カップヌードルくらいの値段の、小さな丼にふたくちほどの麺と肉味噌とパクチーがのった担仔麺、一般的な台湾名物なのに日本の台湾料理屋さんではなかなか見つかりません。

フードコートの台湾料理屋さんに高雄出身の姐さんがいたことを思い出し近所の百貨店へ。高雄出身の姐さんは不在だったものの、チキン&台湾ソーセージご飯。色々載ってますが絶品は厚揚げ、台湾が口いっぱいに広がりました。