恭仁京

大阪歴史博物館の飛鳥・奈良時代の畿内というパネルに小さく恭仁京の位置が示されています。

藤原京→平城京→恭仁京→紫香楽宮→後期難波宮→平城京→長岡京→平安京、と目まぐるしく遷都が繰り返される中、天平12年(740年)から天平15年(743年)まで都が置かれていた恭仁京(くにきょう)へ行ってみます。

久々の大和路快速先頭車はガラガラなのに、添乗の運転手さんが目の前に立ちはだかり、せっかくの大和の景色が遮られます。法隆寺駅を過ぎると右手に見える株式会社斑鳩の「どこでもドア」、221系の窓が汚れていてぼやーっとした写真しか撮れません。奈良で添乗の運転手さんがもうひとり増えて、前面展望はあきらめます。

加茂駅から奈良交通の和束町小杉行のバスに乗って3つ目の岡崎バス停で下車。京都府木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)という地区です。ヒガンバナがまだまだきれい。

田んぼの角の石標に「例幣使料境目傍示石也」とあります。江戸時代のもので、朝廷から伊勢神宮や日光東照宮への勅使(例幣使)を派遣する費用を捻出するための朝廷の御料地の境界を示すものだそうです。

恭仁京跡では子どもたちの屋外学習が行われていました。恭仁京はわずか4年で廃都されてしまったものの、その後山城国分寺として再利用されています。

礎石がびっしり並んでいます。ここに山城国分寺七重塔の立っていました。

ヒガンバナのつぼみに止まったのはたぶんアキアカネ。

石垣で嵩上げされた四角い台地に「山城國分寺阯舊恭仁宮阯」の石碑、舊は旧の旧字体です。同じ場所の一角に「恭仁亰大極殿址」の石碑も立っています。京ではなくて異体字の亰ですが意味は同一のようです。

ヒガンバナの向こうの白い花はソバです。

恭仁京内裏跡には木のベンチが置かれていて、のんびり古代に思いを馳せることができます。わずか4年ですが、ここに日本の首都がありました。国分寺建立の詔や墾田永年私財法が発布されたのはこの場所からです。

遷都が繰り返されたことで民が苦しんだことは間違いないはずですが、遷都しない限り、既得権益層を抑えて墾田永年私財法とか新しい社会システムの実行ができなかったのではないか、と推測します。

10年ほど前の大仏開眼での聖武天皇役の國村隼さんの威厳を感じさせる名演と、阿倍内親王(孝謙天皇、重祚して称徳天皇)役の石原さとみさんの美しさが記憶に残ってます。

みごとなススキの群生に惹かれ、あぜ道をちょっと入ってみるといきなり草むらからケモノの声、おっかないので引き返します。

腰をかがめてコスモスを撮ってみます。道端のまるい花はキバナセンニチコウ。

いろんな方角からモズが高鳴き。

まだつぼみも多いヒガンバナ、白いソバの花との組み合わせもいいけど、やはり黄金の穂との組み合わせは似合います。

もう今年はあきらめかけていたヒガンバナですが、結構長い期間楽しませてくれると分かりました。

白い斑の入ったニシキヒガンバナ、ふつうのヒガンバナより花の集まりが疎で、ジャイロスコープのように球体を構成しています。

大極殿跡に接する木津川市立恭仁小学校、木造瓦葺きの現役校舎です。

大極殿跡側から見るとこんな感じです。屋根瓦は新しく葺き替えられていて、窓枠は濃い茶色のサッシがはめ込まれています。遺跡のど真ん中にあるので重機が入れられず建て替えはできないものの、3年前に耐震化補強改修工事が行われ、2017年時点で全校生徒44名だった由(参考)。

右端の講堂らしき建物の外に手洗い場が見えます。自分の小学校では蛇口にみかんのネットに入った石鹸がぶらさげられていて、ハイ!石けんで~手を洗おうが流されていました。(卒業してほどなく建て替えられてしまってますが)自分も木造校舎の小学校卒です。木の床の油引きという作業があって、モップで油を塗ってスケートごっこをしたことが思い出されます。今だったら間違いなくカーリングごっこです。

中へ入ることはできないものの、ググってみると中の様子を紹介してくれているブログが見つかりました。木の床のままですが、油引きするタイプじゃなくて、現代風のフローリングになっているようです。

恭仁小学校脇の木立の道、朱雀大路とも見えるのですが、違うかも。少し西側にくにのみや学習館があります。

外観の写真を撮ってると管理人さんが招き入れてくれました。

ビデオをご覧になりますか、と聞かれ、ぜひ。恭仁宮跡の紹介ビデオで17分ほどあるのですが、退屈だったら途中で止めても構わないですよ、とのこと。ゆったりしたソファに腰掛けてビデオ鑑賞です。

以前訪ねた当尾大門仙石磨崖仏も紹介されていて最後までじっくり鑑賞させてもらいました。

出土土器片を自由に触ってください、との展示。まだまだ発掘作業は進行中のようです。

今日のランチはここと決めていたお店は何と土日休業でした。バス停の時刻表をチェックすると1時間に1本のバスが5分ほどで来ると分かり、まだ瓶原を歩いてみたいものの、お天気がイマイチ、それにお腹が減ったので奈良へ移動します。バス停近くの石標の南側には「加茂ステンショ十五丁」とあり、関西鉄道加茂駅開業の明治30年より後のものと分かります。

バス停近くの田んぼと艶やかなヒガンバナ、なぜか田んぼの縁だけが既に刈り取られています。

山の上の方に茶畑が広がっています。バスの終点和束町は宇治茶の里、その先は信楽へとつながっていて聖武天皇も通った道です。ぜひバス路線を運行してほしいものと調べてみると、国鉄バス近城本線が信楽から加茂まで、JR化後の2002年まで運行されていたと分かりました。最盛期には信楽から奈良駅まで1日5往復の快速やましろ号が運行されていたようです(参考)。

やはり大和路快速の窓は汚れていて、景色がぼやーっとしてます。

JR奈良駅から油阪を歩いていると見つけたイタリアンレストランはOIL SLOPE、その先のラーメン屋さんは「にぼしこいし」、奈良の人はダジャレがお好きなようです。

やはり今日も「ごはんの間」にしました。隣のニイチャンのお茶碗が大きく見えたので、自分も大盛りで、と頼んでみました。右端に見えるのはひき肉より野菜の多いメンチカツ、ビタミンをたっぷり補給でき満足。

威徳井橋から吉城川を覗くとシカと目が合いました。

東大寺で天平時代の唯一の遺構、転害門です。その先に大仏池、午前中より厚くなった曇り空に何もいません。

大仏殿南側の吉城川支流の渓谷から頭を出してる子鹿です。渓谷から上がってきた若い男鹿君はおでこが泥だらけ、ケンカでもしてきたのでしょうか。

大仏殿です。東大寺ミュージアム前の木の幹に合体イトトンボ、とりあえずシャッターを押したら写っていたものの、種類は分かりません。

特集展示 孝謙天皇というポスターに惹かれ東大寺ミュージアムに入ってみました。特別展示は書状3通だけでちょっとがっかりだったものの、戒壇堂の工事のため、ここで特別公開されている四天王立像(国宝)の目の表情は迫力でした。

男鹿が頭をぶつけ合ってバトルもほどなく決着。左側のシカの圧勝です。

バスガイドさんに率いられた修学旅行が復活してました。シカが赤信号を渡ります。

バンビちゃんたちがかわいい。

青信号を待ってシカと一緒に横断歩道を渡り近鉄奈良駅へ。

近鉄電車の窓はきれいで平城宮もよく見えます。