森之宮検車場保存車両

一週間ほど前「当選」と書かれたハガキがポストに入っていました。1ヶ月ほど前に申し込んだ大阪メトロのなつかしの車両公開イベントin森ノ宮・緑木検車場に当たっていました。2日間のイベントで各日1000名とあり、当選確率はほぼ100%じゃないかと思われます。緑木には以前行ったことがあるので、森ノ宮へ向かうことにします。

ウチから森ノ宮へは自転車が圧倒的に便利なのですが、当日有効のエコカードかゴールデンウィーク3dayチケットのいずれかを提示する必要があるので、地下鉄で森ノ宮へ。メトロの検車場はJR森ノ宮電車区のさらに東側、自転車なら便利なのにとつぶやきつつ森ノ宮駅から10分くらい歩きました。

受付を済ませ、まず目についたのがわが町、上本町六丁目の標識。市バスじゃなくて市電停留所のものです。その向うに大阪市電2201形。

その右側に堺筋線用60系と第三軌条汎用の50系。空には小学校の運動会のような万国旗がたなびいています。

行先幕は新大阪ですが、5085の最後の活躍舞台は千日前線だったそうです。つまり晩年はパステルグリーンにピンクの帯というかなりみっともない姿だったのが、引退後オリジナルのクリームとオレンジのツートンカラーに戻されたということです。

隣の保線用車両(たぶん構内牽引車)がきれいに写り込んでいます。アルミやステンレスの無塗装車両だけになって久しいのにこの塗装技術レベルの高さはビックリです。

50系の車内です。運転席に入ることもできました。

英会話のNOVAの広告、このおばさん、テレビCMにもよく登場してました。宝塚ファミリーランドの閉園は2003年8月。

南海ラピートの広告、関西国際空港9月4日開港とあります。つまり1994年です。

カメラのキタムラの広告、「ズラリ」の文字の下のオリンパスはμZoom70 deluxで1996年12月発売の機種、その手前はペンタックスEspio115で1996年6月発売、ということは必ずしも同時期の広告が掲示されているということではなさそうです。

第三軌条からの集電装置、木材で絶縁されています。連結器だけがえらく大きく見える構内牽引車。

堺筋線60系、運転席下はラインカラーの茶色じゃなくて赤、側面の帯も外され万博輸送に活躍していた頃の姿に戻されています。シンプル一辺倒の30系と異なり、赤いアクセントカラーで阪急にも乗り入れ、今とは逆に、阪急来いではなく、地下鉄来い、だった車両です。

1970年のローレル賞受賞車両です。

だいぶ色が褪せたしまった路線図、ポートライナーは開通しているものの中ふ頭止まり、長堀鶴見緑地線は鶴見緑地線、中央線は既に生駒まで乗り入れています。

車内のマナーには携帯電話関係が何も含まれていません。

グランドホテル新東洋の広告、南海羽衣や浜寺公園がまだリゾートとしての面影をわずかに残し、羽衣荘と覇を競っていました。

中央線の20系が入庫してきました。保線用車両はMJK、松山重車両工業製。色んな道具を装備していているなか、連結器じゃなくてバッファー(緩衝器)を装備しているのが気になります。

その車内です。こういう保線用車両の中に入るのは初めてでちょっと興奮、しっかり頭を天井にゴツン。

大阪市電2201形もとても美しく塗装されています。

全廃直前の頃の大阪市電路線図、今里車庫-上本町六丁目-戎橋-玉船橋の路線が最後までがんばってました。今もこれが走っていたらどんなに便利なことか。

泰平電機のマスコンは広島へ行った市電たちと同じです。窓の先に標準軌の線路、地下鉄と市電が同じレールを走れることに気づきました。バックミラーで自撮り。

これで全部かと思ったら、かなり離れた場所に30系のアルミ車とステンレス車。

アルミ車の方はラインカラーの帯が外され、超すっきり。ステンレス車は四つ橋線仕様のままです。

ステンレス車のコルゲート版は車体補強のためではなく、溶接のひずみを隠すためのものだそうです。飾り気のないシンプルの極致の車体に澪電の局章と製造銘板のプレートがカッコいいです。何と貫通ドアはキハ35系みたいな外吊りと初めて気づきました。

確か30系や60系はこんなスプリング入りの座席じゃなくて、香港のMRTみたいな硬いツルンツルンの座席で、制動がかかるとお尻が横に滑った記憶があります。

車内の中吊りの白鳥麗子とシルビア。

アルミ車の運転室、係の人がどうぞ座ってくださいとのことなので、遠慮なく。

天守閣が見えました。保線用車両のD26-L、排気筒が付いていて明らかにディーゼル駆動です。その向うに中央線20系と大阪環状線323系、豪華な景色です。

赤バスのバス停がありました。6年前に赤バス全廃後もウチの近所の天王寺ループが残され1回だけ乗ったことがあります。

上屋の中には大阪市電801形とトロリーバス、801号は昭和7年製で、マスコンはGE製、モーターもGE製、木造車体が鋼体化されています。

トロリーバス200形255号、トロリーバスは万博の真っ最中に全廃されていますが、祖父に連れられ乗車した記憶があります。車内には桜宮スケートリンクの広告。

運転席にクラッチやシフトレバーが見当たりません。運転するには大型二種免許と動力車操縦者免許の両方が必要だったそうです。時計にも澪標。

もう一度自撮り。車体メーカーの大阪車輌工業は鉄道車両メーカーとしてはあまり知られていないものの、M&Aとかなくて今もバリバリ。立山のトロリーバスとか、和歌山電鐵のたま電車への改造、名古屋市交通局の車輌のブエノスアイレス向けの改造とか手がけている、個性的な車輌メーカーです。

トロリーポールをどうやって上げ下げするのか、係の人に聞いてみたけど分かりませんでした。

サイドミラーの上にあるこれ、方向指示器です。左折する時、黄色い反射板のプレートが出てくるはずです。

トロリーバスの脇に展示されている大阪市電1600形の模型、車体中央部分が凹んでいます。この前乗った元神戸市電の広電570形がこの構造と同じと分かりました。何と座席のスプリングまで再現されている極めて精緻な模型です。

クリスタルタワーをバックに千日前線25系。さっきと逆方向から30系アルミ車とステンレス車。

何もかもが懐かしい森之宮検車場でした。