淀川左岸の工事
今日も大潮、電車賃のかからない干潟へ。
その前に登城、一番櫓前でキビタキ。尾羽を上げてるキビタキは初めてかと。
まだ少し花びらが残っている葉桜に止まってくれました。
桜広場の八重桜は今が見頃です。
桜広場東側、隠し曲輪の桜にもキビタキ。
今更ながら梅林の南の端が閉鎖されているものの隠し曲輪へ繋がっていることに気が付きました。振り返ると真正面に天守閣。
OBPでランチして、天満橋、菅原町、難波橋北詰、渡辺橋北詰、堂島、と通ったことのないルートで野田阪神へ向かっていると出入橋。橋の下の水路は埋められているものの欄干が残されていました。鉄道マニアにはピピッとくるかと思いますが、阪神電車開業時の大阪側のターミナルが出入橋駅でした。
梅田付近をトリミングした大阪市パノラマ圖の一番下中央に「でいりばし」とあります。この橋の下に水路があって梅田貨物駅と堂島川が結ばれていた訳です。阪神は1914年に梅田へ延伸され出入橋駅は中間駅として1948年まで営業していたはずですがパノラマ圖にはそれらしき姿が見当たりません。国道2号線より少し北側「橋入出」と書かれた所と思われます。
海老江干潟に到着。いい感じに干上がっているものの鳥の姿は見当たりません。
淀川大橋側の干潟にガングロユリカモメ、九州辺りからシベリア辺りへの移動途中、ちょっと休憩といったところかと。
阪神の鉄橋の前をコアジサシが舞ってます。5000系通過と微妙にタイミングがずれ鳥鉄は完成せず。
淀川大橋南詰から大淀方面への土手の道が閉鎖されていたので、淀川大橋を渡り右岸河川敷を行くことにします。右岸から河川敷公園海老江地区を撮ってみると、4面あった野球場もサッカー場もテニスコートも駐車場も無くなっていて高く盛土されてしまっています。護岸工事のレベルを越えているように見えます。いったい何をするつもりなんでしょう。
JR下淀川橋梁をくぐったところから左岸を撮ってみると大淀野草地区は無事のようです。
藪こぎして柴島干潟にやってきました。干潟に鳥はぜんぜんいません。川の中ほどにコアジサシ。
ヨシ原から223系新快速だけ撮って川上側の干潟へ藪こぎ、これだけ干上がることは年に何度も無いのに鳥果ゼロ。
長良橋を渡って毛馬へ。こちらも閘門南側は工事で土手の道が閉鎖されていて、一旦河川敷へ下りてまた上るようになっています。毛馬ではウグイスの声が大きく響き渡っているものの、木の下の草むらにいて姿を見せてくれません。梢に止まったかと思ったら写っていたのはアオジでした。
ひょうたん池の倒木は片付けられ、藤田邸跡公園も復旧開園していました。カワセミのひょうたには会えず。
APPENDIX
淀川左岸の工事ですが、淀川河川公園海老江地区休止のお知らせというPDFを見つけました。何と復旧は6年先です。それに大淀野草地区についても平成31年度から利用できなくなる見込みです、と記載されています。気になって大阪市建設局淀川左岸線2期建設事務所に電話してみました。大淀野草地区の閉鎖はこの秋かららしいです。あと半年は大淀野草で鳥見できるものの、その先6年、つまり万博の年まで入れなくなります。ちなみに大淀野草は「おおよどのぐさ」ではなく「おおよどやそう」という読むことを建設事務所に電話して確認できました。
淀川左岸線とは阪神高速の北港ジャンクションから海老江ジャンクションを結ぶ路線で、これを海老江から淀川左岸沿いに延長し、新御堂や近畿道、第二京阪道路と結ぶものと分かりました。えっ、河川敷の上に高架道路を作るのか、と一瞬焦りましたが、阪神高速のサイトを見ると土手の中のトンネルになるようです。淀川大橋南詰から長良橋南詰辺りまで土手の外側に沿って金網に囲まれた長い空き地が残されている謎も溶けました。
毛馬閘門から海老江干潟への、色んな小さな仲間たちや季節の可憐な草花に会え、阪急やJRが撮り鉄できる、変化に飛んだ土手と河川敷の道がもう途切れてしまっていて、向う6年間どんどん入れる場所が狭くなってしまうのは何とも寂しい限りです。土手の下のトンネルとはいえ、どうみても開削工法で生態系に影響がないはずはなく、人間のためだけじゃない丁寧な工事をしてほしいものです。