西ドイツ、南フランス 1981
承前、アテネからドイツのハイデルベルクへ。
西ドイツ
ハイデルベルクでは、ドイツ人と結婚している知人の妹さんを訪ね、ハイデルベルグ城やいかにもドイツっぽい町並みを歩き回ったはずですが、詳しい記憶がありません。
時系列に並んでいると思われる古アルバムでイドラ島の風車の次に並んでいた写真ではビールを飲んでました。ジョッキでもビールグラスでもない色っぽくないッコップ、ビール瓶の特殊な形がヒントになるかと調べてみたものの、ギリシャなのか、ドイツなのか、誰と飲んでいたのかも記憶になく、当時マルボロを愛煙してことを思い出せただけ。
漸く鉄道写真が登場、DB(ドイツ国鉄)のBR181型電気機関車です。
BR110型牽引のクリーム/濃紺ツートンと濃緑単色の混色編成普通列車、日本でも青いスハ35系とぶどう色オハ61系の旧客混色編成がふつうに見られた時代です。
撮影場所はたぶんミュンヘン中央駅、BR103型が入線、頭端式ホームで急行列車の先頭に連結されるところです。
駅構内ショウケースにはHOゲージの鉄道模型、中央にドイツの代表的蒸気機関車01形が鎮座しています。ドイツの大きな駅の構内にはHOゲージレイアウトが展示されていることも多いです。世界三大鉄ちゃん国は、ドイツ、イギリス、日本、であることは間違いないです。
この旅じゃなくて後年の購入かと思われますが、BR103型のNゲージ模型(Fleischmann Piccolo)を今も大切にしています。机の奥から引っ張り出して撮ってみました。イマドキのKATOやTOMIXと比べると運転室側窓パーツがズレていたり、ディティールが甘いところもありますが、リベットも綺麗に表現されていて、塗装も美しいです。
ゴシック様式の建物はミュンヘン市庁舎、からくり時計が見えます。もう一枚はその市庁舎の塔に上って足元の広場を見下ろしたところです。
たぶんミュンヘン市内。まだVWビートルがいっぱい走ってました。ドイツじゃなくて西ドイツです。ユースホステルで仲良くなったお兄さんたちと、列車のコンパートメントで盛り上がってます。
テントのような建物が並んでいるのは、ミュンヘンオリンピック公園。アウトバーン沿いの円筒形のビルは、Google画像検索でヒット、ミュンヘンのBMW博物館と分かりました。実はミュンヘンへ行ったことはすっかり失念していて、この画像検索で思い出せた次第。
芋づる式にミュンヘンでイ・ムジチのコンサートへ行った記憶も。立見席で確か1000円程度、イ・ムジチ十八番の四季を存分に楽しませてもらった後、アンコールではEine Kleine Nachtmusik、その時にはもう立見席からステージ近くへ移動しても構わなくて、かぶりつきでイ・ムジチ、鼻血がでるほど大感動したことをくっきり思い出しました。カラヤン、カール・ベーム、カルロス・クライバー、皆存命でクラシックにかなりハマっていた頃の自分です。
ミュンヘンから夜行列車でオーストリアを抜けミラノ、ジェノバを経て地中海沿いにニースへ向っています。雪のちらつく真夜中のインスブルック駅を列車内から見た記憶があります。ミラノ中央駅では、へえ、イタリアにもあるのか、と駅弁を買いました。確か、パンとチーズやハム、それにクォータボトルのワインが一つの箱に入っていました。
この時はミラノを素通り、約十年後出張で再訪、街ゆく人たちが、若い女性もおっちゃんたちも、パリやニューヨークよりずっとオシャレで、みんな背筋を伸ばしてシャキシャキと歩いているのを見て、ドブネズミスタイルの自分の格好にとても恥ずかしい思いをしました。
たぶんジェノバ・ピアッツァ・プリンチペ駅、緑と赤の気動車はFS(イタリア国鉄)ALn668型、柱の向うの茶色い電機はE.645/E.646型です。イタリア映画に出てくるようなロングコートの人たちが列車を待っています。
南フランス
イタリアからフランスへ、古びた凸型電機はFS E.626型、448両も製造された戦前型の名機です。
乗車したのは客車編成の国際急行列車だったようです。コートダジュールが見えてきました。
SNCF(フランス国鉄)Z6300型、南海6000系のようにコルゲート版を貼ったステンレス電車です。
ジェノバで見たのと同じALn668型、サボと駅名標からニース駅と分かります。国際急行列車だけじゃなくてローカル列車もイタリアから乗り入れていたようです。
ドームに覆われたニース駅、赤い気動車はX4500型。乗っているのはニースまでとは異なるコラーユ型客車です。確かニースでは乗り換えただけで、マルセイユへ。
色落ちが激しい海の写真はこれ以上補正できませんでした。沖に見えるのはマルセイユの港から4kmほど先にあるイフ城(Chateau d'If)、アレクサンドル・デュマの大河小説、モンテ・クリスト伯の舞台になった監獄の島です。その手前の塔の立つ磯はパンデュ島(Île du pendu)という名前が付いていました。Google Mapで青い海に立つパンデュ島とイフ城が確認できます。紺碧の穏やかな海よりも、39年前の荒れた黒い海の方が、モンテ・クリスト伯の雰囲気があるかも。
マルセイユではレンタカーを借りました。フランス車じゃなくて、フォードのエンブレムが付いてます。Ford Fiesta MK I、フィエスタの初代モデルです。右側にはシトロエン2CV。
右側を運転するのはこの時が初めて、マルセイユの町中で苦労して縦列駐車、サンドイッチか何か買って戻ってきたら前後ギリギリまでクルマが止められていて出られなくなったのが、アテネでいきなり怖い目にあったことに続くこの旅2つ目のトラブル。誰かが前後のクルマを押してもらって、何とか脱出できたはず。
マルセイユからアルルへ。牧場で牛じゃなくて白い馬が草を喰んでいます。
アルルの隣村フォンヴィエイユにあるドーデの風車小屋です。アルフォンス・ドーデは実際にはこの風車小屋に住んでいた訳ではないようですが、風車小屋だよりでは、ここで住んでいたことになっています。周囲にはゴッホが好んで描いた糸杉。遠く地平線が広がっています。
広い丘の上に立つ風車小屋、かつては丘の一面に風車小屋があったものの、蒸気機関で製粉する工場ができてしまい、わずかに残された既に「翼」の回らなくなっていた一軒の風車小屋をドーデが買い受けた売買約定書から風車小屋だよりの物語が始まっています。
Ce coin de roche qui m’était une patrie est dont on retrouve la trace - êtres ou endroits, dans presque tous mes livres. Alphonse Daudet&
壁に掲げられた文章は、風車小屋だよりの一節ではなく、意訳すると、この風車は私(ドーデ)にとってすべての作品の原点となった、といったところでしょうか。
ちなみに自分はフランス文学科卒なのですが、格別の文学好きではなく、ドーデの研究をしていた訳でもなく、いいかげんな卒論を書いてお情けで卒業させてもらっています。フランス語もカタコトだけです。当時は自然主義文学的なドーデよりも、ドイツ文学のヘルマン・ヘッセの心理描写に傾倒していたはずで、なぜ風車小屋を訪ねる気になったのか。短編集の風車小屋だよりの一遍を戯曲に編纂、ビゼーが組曲にしたアルルの女に惹かれ行ってみたくなった、ということだったように思います。聞き直してみると第2組曲のメヌエットは確かにこの風車小屋の丘の印象そのものです。
せっかくなので、風車小屋だよりも読み直してみました。豪農の長男が闘技場で出会った女性に恋い焦がれ過ぎて自ら命を絶ってしまう「アルルの女」より、牧童が憧れのお嬢様と偶然一晩過ごすことになったものの、星に関する知識を披露した思い出だけを大切にしておいた「星」に惹かれました。
丘に立つ風車小屋。白い岩山は風車小屋から遠くないLes Baux-de-Provenceという岩山に立つ村、この他にアルルの闘技場やゴッホのはね橋も訪ねているはずですが、写真はありません。
風車小屋や岩山の村とは逆にアルルの南側にはカマルグという大湿原が広がっていて、2万羽のフラミンゴが営巣しているそうです。風車小屋だよりにも「カマルグ狩猟記」という一遍があります。
黒鴨や、青鷺や、五位鷺や、腹は白くて翼は桃色の紅鶴などの群が、(中略)岸辺に沿って一列に魚を漁っている
紅鶴がフラミンゴです。
正真正銘のエジプトの朱鷺が、輝く夕日を浴びて、この閑寂な水郷を、ふるさとのように楽しんでいる
イビスとは古代エジプトで神聖な鳥としてヒエログラフにもしばしば登場するアフリカクロトキで、エジプトでも絶滅しまったものの、風車小屋だよりの19世紀にはカマルグに生息していたようです。
さらに調べてみるとフランスではアフリカクロトキの人工繁殖が行われていて現在もカマルグで生息しているようです(参考)。佐渡島のトキの保全活動のフランス版といったところです。Nipponia nipponのトキのように美しくは思えないものの、ヨーロッパでもトキが有り難い鳥であることはドーデの叙述から感じられます。
カマルグは世界最古の馬の品種のひとつの半野生馬、カマルグ馬の生息地とも分かりました。カマルグ馬はいわゆる芦毛馬、黒い皮膚が白い毛で覆われていて、黒い毛で生まれ成長するにつれ真っ白になります。サラブレッドでは芦毛馬は特定の遺伝子を持つ一部だけですが、カマルグ馬は全て芦毛馬のようです(参考)。
上の牧場風景の写真に白い馬ばかりが3頭写っているのが不思議でならなかったのですがカマルグ馬で間違いないです。そうと知って撮ったはずがなく、かなりビックリ。何としてもアルルに再訪したくなりました。
青い気動車はマルセイユ・サンシャルル駅のSNCF X2800型。
ゲンコツ顔のBB7200形牽引の急行列車でパリへ向います。TGV開業が1981年9月なので、マルセイユ→パリには往年の名列車Le Mistralがまだ運行されていたのですが、乗車したのはLe Mistralじゃなかったかと。
…この項続く。