木津川橋梁と岩崎運河橋梁

大阪環状線大正駅の両側に形も長さも同じ鉄橋が架かってます。トラス橋なのですが、両端に角度がなく全体が長方形です。斜材がX字形につながっていてダブルワーレントラス橋というそうです。

大正駅の東側にある木津川橋梁、道頓堀川と木津川の合流地点、大正橋からの写真と、大正駅南側からの写真です。

大正駅の西側にある岩崎運河橋梁、大阪ドームのすぐ脇にあります。

並行して歩道のある岩崎橋があって、間近で岩崎運河橋梁を観察できます。

尻無川西側から撮影、川の両岸には小さな工場が立ち並んでいるのですが、ところどころ空き地があって、鉄橋まで望むことができます。ガスタンクも絵になります。

尻無川西側には瓦工場が並んでいます。ベルトコンベアで下ろして船に積み込むようです。

まだ水運が物流システムとして現役で活躍しているようです。平日に行って運びこむところを見てみたい。

環状外回り電車からかぶりつき撮影で大正駅手前、芦原橋側の木津川橋梁と、弁天町側の岩崎運河橋梁。X字の斜材の上半分には横方向のX字の補強材があって、横から見るのと全然違って、幾何学的な美しさが際立ちます。

岩崎運河橋梁のさらに西側に小ぶりな尻無川橋梁があります。こちらは三角形だけのワーレントラス橋ですが、尻無川が岩崎運河につながって途切れてしまったため、橋の下に川はありません。

この3本の鉄橋、昭和3年に関西本線の貨物支線として今宮駅-浪速駅-大阪港駅が開通した当時からのものです。尻無川橋梁を越えて弁天町へほぼ90°右へカーブする手前に境川信号所というのがあって、そのまままっすぐ行くと浪速駅があったようです。

昭和3年、EF52と同じく、これも阪堺電車のモ161形と同い年です。私の父(自分が5歳の時他界)も昭和3年生まれ、調べてみるとミッキーマウスも昭和3年生まれです。今に至る新しいエネルギーを生み出した年だったのかも知れません。

昭和36年になって境川信号所から分岐して大阪環状線が開通、貨物線自体は単線だったのが、この3本の橋梁は先を見越して複線で設計されていたことが大きかったようです。だからこそ今もこの3本の鉄橋があるわけです。

貨物線は大阪臨港線として平成18年まで運行されていたそうです。その建設の経緯やその後の変遷がWikipediaの大阪臨港線に詳しく紹介されていました。知らないことがいっぱいで書かれています。中でもびっくりしたのが、天保山運河の昇開橋、やはり昭和3年頃の写真です。こんなすごい橋も大阪にあったんですね。

大大阪(だいおおさか)の時代、その物流を支えていた木津川橋梁、岩崎運河橋梁、尻無川橋梁です。