高野線を満喫(後編)
前編の続きです。
紀伊神谷駅周辺には踏切以外に何もありません。
次の極楽橋行各停が到着、自分の乗ってきた2300系が極楽橋を折り返し橋本へ下りて行きます。
撮影位置から踏切の手前は急な下り坂、向こうは森の中へ急な上り坂になっています。橋本で買ってきたサンドイッチを食べるに適当な場所も見当たらないので、電車を俯瞰できるような場所があるはず、と考え上り坂へ向かうことにします。
かなり急な上り坂で息が切れます。途中で誰にも出会いません。きれいに舗装してあるのですが、車一台やってくることもありません。
しばらく行くと杉林が竹林に変わります。春にはどれくらいたけのこが採れるか考えながら歩いていました。
GPSは効いてるのですが、Google Mapにすら出てこない道を、「極楽橋駅→」の看板を頼りに歩いていきます。30分も歩いたでしょうか、人が住んでいるのかよくわからない民家が数件、軽トラも止まっていたりします。
その辺りに高野山山上方面と極楽橋駅への道の分岐点があって、極楽橋方面への下り坂を向かうと急に視界が広がりました。よく見ると高野線の線路が見えます。
周りに腰掛けるようなところもなく、道路の真ん中に腰を下ろしてお昼にすることにしました。しばらく見ていると特急こうやがやってきました。
何かの虫が集団で飛び交っているのですが、てんとう虫でした。自分の服や手足にもまとわりついてきます。こんなにいっぱいのてんとう虫を見たのは初めてです。
2分40秒ほどの動画ですが、これを撮るために1時間くらいここにいました。その1時間人っこひとりやってきませんでした。ゴミも全く落ちていません。サンドイッチの匂いを嗅ぎつけていつクマがでてきてもおかしくない感じの場所です。
キーキーという急曲線を曲がる音が電車がやってくる合図です。0:28くらいで動画の画面が揺れるのは顔にてんとう虫が止まったため。
撮影地点のGoogle Mapスクリーンショットです。こんな山の中ですが、3Gもつながっています。朝から動画をいっぱい撮影したので電池も既に36%です。
ちなみにこのページの写真や動画は全てiPhone5(現行モデルの1世代前のやつ)です。ふだん重いモノを持ち歩くのがきらい(この日のバッグの中は防寒用のジャケットと充電器だけ)なのと、お金もないのでデジイチとかは持っていません。撮り鉄さんが大きな望遠レンズを並べるような場所だとちょっと恥ずかしいですが、そうでも無い限りそんなに不自由はしていなかったのですが、さすがにここでは200mmくらいのレンズは欲しかったです。
極楽橋駅方面へ山を下ります。紅葉がきれいです。この辺りまで来て漸くハイカーのグループに出会いました。
しばらく行くと湧き水の小川と座りやすそうな岩があるポイントがありました。ここでランチにすべきでした。
紀伊神谷駅の時刻表ばかりみていたので、すっかり特急があることを忘れていました。
もう極楽橋駅からすぐの辺りです。短いトンネルは絶好の撮影ポイント。
極楽橋駅についたらこんな注意書きが、やっぱりいるんですね。これを先に見ていたら、サンドイッチ食べた場所で1時間もいられなかったはずです。
せっかくここまで来たので高野山に登ってみます。かなり急なケーブルカーです。高野山駅からはバスで奥の院、金剛峰寺を周ってきました。小学校の林間学校以来です。
さすが世界遺産、ケーブルカーやバスのアナウンスは日英中韓ではなくて、日英仏になってました。外国人観光客、特にヨーロッパ、アメリカからと思われる人がやはり多かったです。
ちなみに、このバスも含めてスルッと関西3dayパスが使えます。なんば-高野山往復で2460円、バスも1000円分くらい乗っているので、スルッと関西2日分くらいの価値があります。
高野山は標高1000m前後、そこに4000人(内1000人が僧侶)が住んでいるそうです。六甲山や比叡山より高いところに大きな宗教都市がある訳です。
都市なので、メインストリートにはお土産さんだけじゃなくて、いろんな商店も並んでいます。そこでみつけた陀羅尼助丸のお店です。「だらにすけ」と書いてありますが、ウチでは「だらすけ」と呼んで祖父がよく飲んでいました。メチャ苦いお薬です。
ケーブルカーで山を下りて極楽橋から橋本行各停で帰ります。往きとは違って4両編成の2000系ロングシートは満席、立っている人もいました。まだ5時過ぎですが、乗っている間にとっぷりと日がくれてしまいました。
橋本でなんば行急行に乗り換えたら6000系のトップナンバーでした。コルゲート板が貼られたステンレスピッカピカのボディと大きな片開きドアが大きな特徴です。
6000系は昭和37年に登場した東急車輛製造のステンレス車です。自分は南海本線沿線で育ったので7000系は馴染み深かったのですが、なんばから岸里の間で並走する6000系は憧れの的で、自分は「銀の列車」と呼んでいました。
7000系は昭和38年登場ですから6000系の方がお兄ちゃんです。米国BUDD社のライセンスで製造され、BUDD社の銘板が車内に掲示されていたはずですが見当たりませんでした。
同じステンレス車で東急車輛製造の東急7000系はとっくの昔に東急各線からは姿を消し、地方私鉄に譲渡された車輌がまだいくらか元気で走ってはいるのですが、何と6000系は製造された72両全車両が1両の廃車も転属もなく、現役バリバリで高野線で活躍しているそうです。
本線の7000系が鋼製ボディでかなり劣化が進んできて漸く置き換えが始まっているのに対して、ボディも殆ど腐食しておらず当面はまだまだ現役が見込まれているそうです。感動ものの国内でも最も優れた電車といっていいでしょう。物持ちのいい南海電鉄の面目躍如でもあります。
高野線の面白さを満喫してきました。今度はクマが冬眠している冬に、極楽橋近くで見つけた撮影ポイントに行ってみたいな、と考えています。