高台寺圓徳院

3週連続で東山、訪ねたことのない高台寺へ。高台寺のあとどこへ行くかはまだ決めていないものの、気分次第で。

ランチを済ませておこうと阪神スナックパークでラーメンと鶏飯のセット、ところが受け取ったトレイをカウンターテーブルにぶつけてしまい、鶏飯と水は床へ、ラーメンは半分に、おまけに隣りにいた男性のズボンを汚してしまいました。平謝りに謝って、洗濯代にしてくださいと気持ちを渡そうとしたのですが、受け取ってもらえず。いい人で良かった。ズボンを汚したのは水だったかも。それにしてもぼーっと生きてんじゃねぇよ、自分。

2300系のクロスシートの4人席、シートピッチが9300系より広がっているようです。かつての寝台特急電車583系のように向かいのシートに足が届かないくらいです。調べてみると、2300系は1050mm、9300系は950mmと10cmも広がっているようです。

ラーメンを少ししか食べられなかったので、いつものロココでセット。付いてきた今日のお菓子は粟おこし、袋に「京都名産」とあります。粟おこしって大阪名産では?調べてみると上鳥羽にある明治22年創業の京おこし専門メーカーの江口製菓製品と分かりました。

四条河原町から鴨川を渡ると南座には吉例顔見世興行まねき看板、年末です。

高台寺

石畳のねねの道を歩いていると、向こうから背の高い舞妓さんがふたりと思いきや、だらりの帯に白粉の白人男性ふたり、きしょい。高台寺参道には紅葉が残ってました。

赤いモミジと黄色いモミジ。

ねねさんの台所に続く坂道だったので臺所坂(だいどころざか)と呼ばれます。臺所坂の上に臺所門、くぐると庫裏。この左手にチケットブースがあって、塔頭の圓徳院(えんとくいん)も入れる900円の共通割引拝観券を購入。

高台寺のすぐ北側に大雲院祇園閣、大雲院は天正15年創建も祇園閣は昭和3年築、金閣銀閣に次ぐ銅閣だそうです。先端に立っているのは鳳凰じゃなくて鶴らしい。

豊臣秀吉正室・北政所(ねね、寧々、または、おね、豊臣吉子)により建立された臨済宗建仁寺派の禅寺の高台寺。

右端の建物は方丈、靴を脱いでポリ袋に入れ上がれるようになっていたのですが、何を見たのか覚えていません。回廊の先は重要文化財の開山堂、回廊は通れず池にはさまれた参道から堂内に入ると初代住職・三江紹益像などが安置されているものの、古いままで整備されていない感じです。

石段を登ると霊屋(おたまや、重要文化財)、豊臣秀吉像と北政所像が安置されているのは確認できるもののよく見えません。この北政所像の地下2mに北政所が葬られているらしい。

茶室、傘亭(からかさてい)は伏見城から移築されきたもので重要文化財、利休好みの茶室らしいのですが、率直なところ廃屋のように見えます。

珍しい二階建ての茶室、時雨亭も重要文化財、こちらも伏見城から移築されたらしい。北政所はこの二階から大坂夏の陣で焼け落ちる大坂城を眺めていたと伝わります。

傘亭と時雨亭は土間廊下でつながっています。この土間廊下も重要文化財らしいのですが、その価値感が伝わってきません。

境内の一番奥で高い場所にある茶室から坂道を下ります。枯れ葉の積もった道が嵯峨野のような竹林の道に。

臺所坂を下ります。光の加減で上って来た時より美しい。

ねねの道の向かい側のお茶屋さんが何軒かと小さなお堂が密集した一画の階段を上がったところに掌(しょう)美術館、高台寺の拝観券に含まれているので入ってみました。高台院と秀吉の肖像画や木下勝俊(高台院の甥、小早川秀秋の異母兄、秀吉一門の武将で歌人)の愛刀などが展示されていたものの撮影NG。

圓徳院

その隣に圓徳院、ツワブキがいっぱい咲いてます。高台院の墓所が高台寺で、高台院の住居だったのが圓徳院です。ねねさんは夫秀吉を50歳で亡くし、高台院の号を勅賜され、58歳から77歳で亡くなるまでこの地で過ごしています。

靴を脱いで上がります。入口と出口は別らしい。

枯山水の南庭です。

室内にはいると、テーブルに枯山水体験。「雑念を排して、白砂の上に道具で線を描きます。白砂の線引は、精神修行であり、心理療法にも応用されています。ご自身の心を見つめながら見つめながら、あなたの庭を作成してみてください。」とあり、

自分もやってみました。前の人の直線的な作品に対して波模様を描こうとしたのですが全然美しくない、雑念いっぱいの枯山水。

枯山水体験の他に、五体投地体験や写経体験も。五体投地は誰もしていなかったものの、写経は人気です。

方丈の襖絵は竹と竹の子、畳におかれたガラスの波は開催中の野田朗子展「GLASS GARDEN - 色即是空」のひとつ、インスタレーションと言えそうです。枯山水体験の間の襖は白波の上を舞う鵜。

方丈北側に6畳と4畳半くらいの座敷、淡い光の刺す畳に紅葉したガラスの大皿、少しだけ障子が開けられた丸窓にガラスの青い月。丸窓右の窓框には透明の枯れ葉。

ガラスのオブジェがふたつの部屋、奥の戸棚のシルクロード風の絵が気になりました。木に描かれているのか、布が張られているのか、上下同じようで微妙に違ってます。

向かいの8畳間の襖絵は月にすすき、その下の白い花は萩、右下は桔梗、違い棚と床の間に野田朗子さんのガラスアート。真ん中に置かれた金色のガラスの月。

長谷川等伯・山水図の高精細複製品、建仁寺風神雷神図同様にキャノンによる綴プロジェクトです。その楼閣部分を撮ってみました。桐花紋に重ねられた等伯の筆使いです。

山水画右にねねさんの小袖復元制作の裂地、左に北政所と豊臣秀吉の掛け軸。

小さな中庭があって先に進むと最初の竹の子の間に戻って来ました。

違い棚には惑星のような壺、床の間のガラスのオブジェは蓮の花。

方丈から階段が渡り廊下に続いていて、渡り廊下の下に路地。あとから分かったのですが、右手の建物は政所窯というお庭焼(大名などが私的に陶工を招いて作らせた陶磁器)の窯、江戸時代初期の禅僧、後藤明道(陶名、栄興明道)が築いた窯らしい。

渡り廊下の突き当りは無盡蔵(むじんぞう)と掲げられた蔵、分厚い扉が開かれていて中に入るとここでも野田朗子さん展示会の続き。

蔵の隅に懐かしい引き出しがいっぱいある梯子箪笥、実家にもありました。

何気なく撮ったガラスのオブジェが置かれた螺鈿の台がすごい。ChatGPTに訊ねると朝鮮王朝螺鈿漆器の可能性が高いのではないかとのこと。

正倉院への手紙と題した作品、美しい。器の外側も天平風の文様が。

さらに渡り廊下が伸びていて、中庭というより路地裏のようなところを通って、その先に北書院。

読み取れない額にガラスアート。

北書院の小さな2間に三十六歌仙扁額、後陽成天皇八宮知恩院宮良純法親王筆と掲げられていました。絵はたぶん違う人のものではないかと。ここでも野田朗子作品、蓮の花らしいガラスアートですが、小さな部屋にせっかくのアートでちょっとゴチャゴチャしすぎな印象も。

小野小町の有名な歌、

はなの色は うつりにけりな いたづらに  わが身世にふる ながめせしまに

大伴家持

まきむくの ひはらのいまだ くもらねば こまつがはらに あは雪ぞふる

纒向の名が出るとちょっと嬉しい。

三十六歌仙の間の隅に桐笹文様唐織、由緒書きは無いものの、ねねさん愛用の小袖とかを復元したものではないかと。 

開け放たれた北書院です。

手前の座敷の床の間には◯一字と知恵の輪のような◯ふたつのガラスのオブジェ。

中の間の床の間には、混沌としているようにも見え、悟ったようにも見える絵とオブジェ。

一番奥の間の床の間には般若心経、野田朗子展「GLASS GARDEN - 色即是空」を締めているものと思われます。

国指定名勝の北庭は伏見城北政所化粧御殿前庭の池泉回遊式庭園を移築、枯山水庭園に改められ、小堀遠州により整えられたとのこと。

ここのモミジはほぼ終わっていたもののアップして撮ってみると十分に美しい。

伏見城から移設された桧垣の手水鉢。絶佳境と額が掲げられていたものの、今日の北庭景色はちょっと物足りない。新緑美しい頃に再訪したい。

見どころがいっぱい、ねねさんの暮らしぶりや人となりにも触れることができた思いで大満足の圓徳院、佐久間良子、八千草薫ら数多の大女優が演じてきた北政所ですが、名古屋弁で演じた和久井映見さんが似合いそう。

靴を履いて外に出ると掌美術館や茶店の並んでいた狭い空間。高台寺とは反対側に歩いてみると圓徳院の中庭、竹の子の間が見えます。先に進むと、さっき渡り廊下から見えたあたりにカフェ。

渡り廊下をくぐれるようになっていて、右手はたぶん政所窯。

モミジを愛でながら狭い路地を抜けると煉瓦塀に石畳。写真と文章ではその位置関係はちょっと説明しきれないです。

周辺は趣ある石塀が続いていて石塀小路と呼ばれるらしいものの、撮影禁止とか掲げられていたので控えておきます。京都の町の複雑さ、不思議さ、面白さを体感できる、花見小路辺りとは異なる祇園の一画です。

南楼門から八坂神社を抜けてGoogle Mapで見つけたタバコの吸えるお店でいっぷく。

このまま帰るかどうするかひとり作戦会議です。やっぱり清水寺の夜間特別拝観に行ってみることにします。この項続く