心合寺山古墳

お天気はいいものの、遠くへ出かけるつもりはなく、卵のお寿司が食べたくなってとりあえず小阪へ。

もりや水産のサービスセット、赤だしをうどんに変更です。満腹して以前近鉄八尾駅階段の巨大ポスターで見た心合寺山(しおんじやま)古墳へ向かうことにしました。

東花園駅へ移動し河内山本駅行の近鉄バスに乗り込むと、南へ行くはずが北へ向かって行くので乗り間違えたかと思ったら国道175号に出てやって南へ向い始めました。以前は瓢箪山駅発着だった路線が5年前に東花園駅発着に変更されたため、かなり遠回りせざるを得なくなったと分かりました。

25分ほどで大竹バス停に到着、バス停から5分ほど歩くと心合寺山古墳が見えてきました。背景は十三峠付近、生駒山地でも自分は歩いたことのないエリアです。

心合寺山古墳の池の柵にざぶとんを取り上げたくなるようなダジャレの注意書き。

西側半分ほどは葺石むき出しの築造時の姿、河内の豪族墓と推測される5世紀初頭築造の前方後円墳です。

周濠跡の池から古墳へ続く堤の片側はユキヤナギの垣根。同時期築造のナガレ山古墳とよく似ていますが、ナガレ山古墳の1.5倍くらいの規模があります。

西側くびれ部の造り出し、ここから類例の無さそうな「水の祭祀場を表した埴輪」が出土とのこと。

後円部から円筒埴輪と蓋形埴輪で二重に囲まれた墳頂に上ると「方形壇」、埋葬施設が後にまつりの場になったとのこと。

後円部に上ると墳頂に3つの粘土槨跡が敷石で示されていました。

心合寺山古墳の被葬者は河内の豪族、だけでは消化不良なので、もう少し詳しく調べてみたところ、心合寺(しおんじ、しごじ、しんごんじ)は鎌倉時代までこの辺りにあったという秦氏の氏寺・秦興寺に由来しているらしい(参考)。被葬者は秦氏首長と一族の可能性が高そうです。

西側の周濠です。

後円部墳頂の説明板に天気が良ければ大阪城が見えるとあったので、それらしき高層ビル群を撮っておきました。かすみ除去フィルターを強くかけてみると天守閣は見えないものの大阪歴史博物館の茶色い楕円形ビルが確認できました。

東側の周濠です。山の麓の斜面に築かれており、西側と東側が堤で区切られているので水位が異なっています。

遠景は高安山気象レーダー観測所。帰ってからですが、高安山の麓、服部川駅から信貴山口駅にかけての山裾に200基もの高安山古墳群があると分かりました。心合寺山古墳などの4・5世紀の古墳時代前期中期の巨大前方後円墳に対し、6・7世紀には権力が分散し、造られるようになった円墳の古墳群らしい。石室が遺された見学できる古墳も多いようで、また訪ねてみたい場所が見つかりました。

後円部に立つ桐の木、長年2本の桐の木が立っていたものの2022年5月に1本は倒れてしまったそうです。

前方部墳丘に並ぶ蓋形埴輪がカッコいい。

心合寺山古墳全体図です。おすすめルートじゃなくて、②→③→④→⑤→①と歩いてきました。周濠にカイツブリ。

隣接する学習館に入ってみたものの、入館料を払って展示品は撮影禁止はイマドキ珍しい。何が展示されていたのか全然覚えていません。全般的に古代史マニア対象じゃなくて子どもたちに向けての展示だった記憶があります。

大竹バス停に戻り河内山本へ。鶴橋で途中下車して日曜でもやってる馴染のお店で一杯のつもりがまだ開店前、仕方なくウチまで歩いて帰る途中、小橋公園のカンヒザクラに花メジロ。