新・平家物語を歩く 吉野帖
新・平家物語を漸く完読、アマゾンの注文履歴を見ると去年の2月27日に全16巻合本版を99円でダウンロードしているので、10ヶ月ほどかかりました。9,999円くらいの価値はあったと思います。その新・平家物語大団円の地、吉野へ向います。
快晴の吉野路
さくらライナー、レギュラー席です。
青空の下の二上山。
大和葛城山麓の田園地帯、左端の中学校あたりで撮り鉄したことがあります。撮り鉄すると乗り鉄の楽しみが増えます。
橿原神宮前で初詣客が下車、ガラガラになった車内から金剛山と大和葛城山、市尾-葛間の車窓です。
福神で橿原神宮前行普通と交換、この列車は橿原神宮前から区間急行阿倍野橋行に変身するはずです。昨年7月までの阿倍野橋-吉野間の急行は阿倍野橋-橿原神宮前の区間急行、橿原神宮前-吉野の普通に分割されました。橿原神宮前から先は2連のワンマンになるのかと思ったら、同じ列車が4連のまま種別行先を変えるだけと分かりました。車両の種別行先表示幕に吉野行区間急行が無いということが理由だそうです。
今日は自分より鉄分の濃い友人とふたり旅、吉野川橋梁を渡るところは先頭車の展望室から見てみましょうとの提案で移動します。
六田駅がかつて吉野線終点の吉野駅だった頃のホームが残っていますよと教えてもらいました。上り勾配の本線の左に石積みのホームが確認できます。逆に、かつてここには六田の渡しがあって、ここから舟で川を渡り吉野へ向かっていた、と新・平家物語から得たウンチクを披露。
短いトンネルをふたつくぐると大和上市。
吉野川を渡ります。
吉野に到着、左端の1番線に入線。
吉野山
ロープウェイには乗らず七曲坂を登ります。崖の木に数羽、適当にレンズを向けたら2羽写ってました。ホオジロじゃなくてお腹が白いのでカシラダカです。単独やペアのことが多いホオジロに対し、カシラダカは集団のことが多いです。
山上に到着、吉野駅3番線は阿倍野橋から区間急行、橿原神宮前から普通が到着、1番線には乗ってきたさくらライナーがまだ停まっています。
コゲラがトントントン。
青空が広がったまま、それに昨日元旦と較べかなり暖かいです。ぽっこり尖った山は竜門岳904m、吉野町と宇陀市の境界にあります。
蔵王堂はすっぽりと工事用の足場に囲まれてしまっていました。パリのノートルダム大聖堂や沖縄の首里城火災を受けての防災施設整備工事だそうです。やっておくべきですね。
堂内では法要中、お神酒が振る舞われていたのを自分は遠慮していたのですが、友人がなかなか戻って来ないと思ったら、ペットボトルに詰めてもらって出てました。
吉野朝宮阯です。
オサムシ発見、黒いタテジマボディが青く光っています、ルリヒラタゴミムシです。ゴミムシはオサムシ科の比較的小型の甲虫の総称なので、ルリヒラタゴミムシもオサムシの一種です。大のオサムシマニアだった手塚治虫先生が見つけたらさぞかし興奮していたはずです。
吉水神社へやってくると、振り袖や羽織袴を着たワンコたちの初詣でかなり賑わっていました。ワンコたちの七五三もあるようです。後醍醐天皇が京都を終われ吉野まで柴犬を釣れてきたことと、宮司さんが大の犬好きということに由来しているそうです。受付所にはワンコ用のお守りやおみくじがたくさん並べられていました。ニャンコ用もあります。
お庭にマンリョウとセンリョウ。
門松にはナンテン。その上に何やら見覚えのあるものがぶら下がっています。旧竹林院と違って、全然手入れされていないもののつりしのぶです。針金でぶら下げられているのはどうにもいただけません。下げられた札は俳句か何かと思ったのですが、「義経や静を(しのぶ)古跡」と書かれているようです。何を意味するものか不明。
新書太平記、新・平家物語、いずれにも深い縁のある吉水神社、後醍醐天皇が京都から逃れ吉野に入り吉水院に滞在後、先程訪ねた蔵王堂西側の吉野朝宮阯の場所が行宮に定められています。
その150年ほど前、頼朝に追われた義経が京都を逃れ、淀川を下り尼崎の大物から船出するも難破、多くの仲間を失い、泉州の浜に流れ着いて生き残った面々も散り散りになってしまいます。義経は弁慶ら僅かな従者を伴い四天王寺から阿倍野を駆け、古市近くの石川ノ牧で馬を買い、竹ノ内峠を越え、御所で吉水院の修験者に会い道案内を受け、高取で束の間の休息して六田の渡を渡り、ここ吉水院にたどり着いています。ほぼ近鉄南大阪線/吉野線のルートです。
佐藤忠信が迎え行った静も鷲ノ尾三郎を供に、大雪の中六田の渡を渡り、見るかぎりな雪の峰、雪の谷の中を吉水院にたどり着き義経と再会を果たすものの、わずか5日の後吉野からも追い出されることに。義経一行は大峰山へ向かうことになり、義経と静は女人結界門で別れの時を迎えます。
しっとりと義経と静を偲びたいところですが、ワンコたちで賑わう境内ではちょっと難しそうです。
吉水神社からの一目千本の眺め、白い木は全て桜です。桜の頃に吉野へ来たことはないものの、その頃をイメージできます。
頼朝は京都に上洛し征夷大将軍となりその絶頂を迎えるも、7年後には他界、鎌倉幕府は自壊し権力は北条一族の手に移ります。「諸行無常」は平家だけでなく源家も同じことでした。京の町は落ち着きを取り戻し、創作上の人物ではあるものの清盛から頼朝まで戦乱の世を見続けた医師麻鳥は老妻蓬を連れて吉野の花見へ。極道息子から改心した麻丸が老父母を追いかけると、一目千本の桜を前に幸福をかみしめるように弁当を食べていました。
蓬さんも創作上の人物ですが、義経と弁慶が五条大橋で対決後、弁慶が母さめさんと再会するシーンで、蓬は弁慶の姉であると明かされてていて、弁慶と蓬さんの再会シーンを楽しみにしていたのですが、最後まで描かれていなかったのが残念。
もういちど龍門岳。新・平家物語の義経吉野入りの場面、義経は、竜門と申す里はこの近くではと尋ね、母常磐が平家から逃れ乳飲み子だった牛若や兄弟を連れ、身寄りがいた竜門の里に身を寄せていたという話を聞かされていたことを懐かしがっています。
竜門の里とは龍門岳の向こう側、宇陀市兎田野下芳野辺りで、常盤御前の足跡が残っているようです。
吉例、吉野駅前の笹岡食堂です。ご時世だけにお誘いできなかったお友達の皆さん、ごめんなさい。
お母さんが育てたレモンをいただきました。
さくらライナー デラックス席
谷に位置する吉野駅周辺は1時半くらいにはもう日が陰ってしまいます。
帰りもさくらライナー。ホームの白いのは雪じゃなくて融雪剤です。
16000系2連が到着、このカラーリングも漸く見慣れてきました。帰りのさくらライナーは210円ふんぱつしてデラックス席。
昨年のダイヤ改定で日中1時間に2本だけになってしまった駒ヶ谷を通過、お正月に珍しい終日晴天の下、チョーヤ梅酒の看板。海外で販売されている梅酒にも、Komagatani, Japanと表記されている世界の駒ヶ谷です。
阿倍野橋は4番線に入線。阿倍野橋で特急2本が並ぶのはレアかも。