阪南市の飛び地
関空島の4月29日の干潮のピークは14:24でマイナス11cm、以前からこの日は男里川河口と決めていたのですが、周知の通り緊急事態宣言、さらにこの終日土砂降りで諦めがついた次第です。
今日あたりチュウシャクシギにいっぱい会えたはず(2018年4月28日撮影)。
ちちんぷいぷい/みんとの後番組、よんちゃんTVのVSとなり町というコーナーで泉南市VS阪南市をやってました。泉南市はイオンモールやロングビーチの施設がメイン、阪南市は浪速正宗、月化粧の名産品メインで、比較すること自体かなり無理があるものの楽しませてもらいました。
Google Mapで紹介されていた場所などを改めてチェックしていたら、なんと男里川河口右岸の先端部分が泉南市ではなく阪南市になっていることにビックリ。
阪南市尾崎町の町域のGoogle Mapです。清掃工場は阪南市に位置しており、泉南清掃工場は泉南市清掃工場ではなく、泉南清掃事業組合という泉南市と阪南市の共同事業組合と分かりました。左岸先端部は尾崎町8丁目ですが、右岸の清掃工場の住所は尾崎町532と丁目に含まれていません。
泉南市ではなく阪南市と分かった男里川右岸河口です(2019年5月5日撮影)。
南海線の北側が概ね尾崎1丁目から8丁目なのですが、南海線南側にも点々と丁目がない尾崎町が散在していて阪南市役所は尾崎町35-1になってます。阪南市民病院の住所は阪南市下出17、その中間に位置する泉南警察署(関空以外の泉南市、阪南市、岬町を管轄)は尾崎町70になっているものの、Google Mapで見る限り敷地の大部分は下出に属しているように見えます。洋食の店・南海も下出です。
尾崎町に隣接しその飛び地を囲み込んでいる阪南町下出(しもいで)の町域を表示するとこうなります。阪南市下出で検索することもできますが、マップ上の下出のリンクは何と山中渓駅の西側にありました。南の大きな飛び地はともかくも尾崎駅南側の「飛び方」が半端無いです。(スマホの方はぜひ「拡大地図を表示」してみてください。)
下出の南側は鳥取中、この地区も南方遠くに大きな飛び地、府道752号線(旧国道26号線)と国道26号線に挟まれたエリアの「飛び方」は下出に引けを取りません。
鳥取中の南側は馴染みある自然田、和泉鳥取駅西側に空いた穴は緑が丘という名前でそれと分かる新興住宅地ですが、一部は自然田の東に広がる和泉鳥取の飛び地が含まれています。この穴の西側の穴は鳥取中の飛び地です。
下出地区の西側は黒田、ここも下出や鳥取中とほぼ同じ構成になっています。
泉南市や岬町、さらに泉佐野市、貝塚市、岸和田市、と周辺の町域をチェックしてみたのですが、こんなに飛び地が拡散しているのは阪南市だけです。
ググってみても情報はあまり見当たらず、インスタの投稿のまとめサイトのようなところで、日本一飛び地が多い町という地元の方の投稿を見つけました。下出は日本一飛び地の多い住所区画だそうです。
(下出は、自然に田んぼができるくらい栄養たっぷりな土地を意味する自然田村よりさらに肥沃で)江戸時代には「下出に土地を持つと末100代まで食いっぱぐれない」と云われ、他の村の地主が自分とこの大きな土地と下出の小さな土地を交換することが流行ってこれだけ多くの飛地ができたとのことです。
と説明されていました。土地の名義に対して年貢が課せられていた江戸時代に、自然田の人が下出の人と土地を交換して、自然田と下出の両方に飛び地ができたと理解して良さそうです。下出、鳥取中、黒田のいずれにも市南部の山中に広い飛び地があるのも、自然田等山手の人が所有する山林を、下出や鳥取中、黒田の海辺や川辺の農耕地と交換した結果と推測できました。
おそらく日本中で似たようなことはどこでも起こっていたはずですが、区画整理でかなり集約されてきたはず。その区画整理を阪南市はあまり行って来なかったようです。おそらく合併の繰り返しの歴史も影響していると思われますが、合併の繰り返しも日本中どこでもあったはず、何か阪南市だけの特殊な事情がありそうです。ジモティの友達がおり、たぶん知らんやろなとは思うものの、いずれ飲む機会にツッコんでみたいと思います。
今やGoogle Mapやカーナビで住所番地でかなり正確に位置が分かるので、改めて区画整理はもう必要ないのかも知れません。でも依然として郵便や宅配便のドライバーさんにはさぞかし大変なことは想像に難くありません。効率的な配送をしようとすれば阪南市専用のシステム開発が必要になりそうです。それと学校の学区分けもかなり面倒がありそうですが、子どもたちの家庭毎に申告する方法にすれば解決できそうです。
この辺りもだんじりやふとん太鼓が盛んなはず、その際町名はかなり重要な役割を果たしますが、飛び地がいっぱいあることで青年団の団結に問題が生じるといったことはたぶん無いのでは。逆に飛び地日本一の原因が肥沃な土地にあったという誇るべき歴史を守るためにあえて区画整理をしていない、ということがあるのかも知れません。