阪堺電車177号の追憶と還暦電車

阪堺電車177号の追憶というミステリー本を読んで久しぶりに阪堺電車に乗ってみたくなりました。

阪堺電車モ161形177号が新製されてから廃車されるまでの85年間が、177号自身が語る6つの物語として構成されています。1.昭和初期の大大阪の頃、2.終戦直前の空襲の頃、3.高度経済成長初期の頃、4.大阪万博の頃、5.バブル崩壊の頃、6.そして現在、それぞれが独立した物語ではあるものの、登場人物の子や孫が登場し物語が受け継がれていきます。

練り込まれたプロットがちょっと複雑すぎて無理があるようにも感じるものの、それぞれの時代の阿倍野、住吉の町や人々、それに社会の有り様が情緒たっぷり描き出されています。モ501形、堺トラム、それに良く知っている場所もいっぱい登場し、物語の光景が頭の中でビジュアルに展開します。

177号の住吉公園駅入線シーンです。モ161形は176号までしかないので、177号はフェイクです。162号の写真の番号を変えただけですが、ウソ電フォント-NKという南海電車風フォントを使わせてもらったらバッチリでした。

物語の第四章で、「記憶にある車体の色は緑一色だったはずだが、いつから塗り替えたかツートンカラーになっている」と描かれています。つまり第一章から第三章までの177号はこの南海グリーンにニス塗り色の窓枠だったはずです。第五章で地上げ屋が177号に乗り込むシーンではオレンジ色の広告塗装になり、最終章では、177号最初の運転手さんの曾孫の撮り鉄の兄ちゃんがデジイチで狙う177号はクリームと緑の復刻塗装になってます。

天王寺駅前駅で1日乗車券を購入して中に入るとモ501形504号が入線してきました。「還暦」ヘッドマーク付です。実は自分も今日で還暦、何か自分を祝ってくれているような気がして思わずニヤリ。

後部カブリツキをゲット、この504号の後続は同じ還暦ヘッドマーク付の浜寺行の501号。

我孫子道に到着、504号の還暦ヘッドマークは前後で違っていました。車庫を覗くと162号が休んではります。

大のお気に入りだった162号がドドメグリーンに塗り替えられて以降、すっかり阪堺線に興味が無くなっていたのですが、窓枠は塗り分けられていないものの深みのある青みがかったグリーンに変わっていました。悪くない感じです。

後続の浜寺駅前行501号に乗車、昭和32年帝国車両製、自分と同い年です。運転台は504号と違って浅葱色。

堺市内に入ると701形に続行運転で水色雲模様のモ161形がやってくるのが見えました。続行運転ということは貸切です。先代の水色雲模様の168号が廃車になり、3年前は緑に黄色い帯だった164号が、マッサンの時に茶色と窓枠ニス色に、さらに水色雲模様に。

阪堺の貸切電車案内をみるとモ161形の場合、要問合せになってしまっています。モ161形が以前より半減、なかなか借りにくくなっているようです。

モ351形の広告電車も貸切になっていました。カルダン駆動のモ501形とは異なり、モ351形はモ501形より新しいものの旧型車の下回りを流用しているのでツリカケ駆動です。モ161形だけじゃないツリカケ音を楽しむツアーとお見受けしました。

「百舌鳥-古市古墳群 世界文化遺産国内推薦決定」のヘッドマークが付いているのですが、前方後円墳の上下が逆です。前方後円なので、丸い方が下のはず。浜寺に近い末端区間でも、依然乗客はそこそこ多いです。

浜寺駅前駅に到着、車内は504号と異なるグリーン系のデコラ板、南海1521系が同じデコラ板だったような気がします。一段下降式の窓、カバーに入った照明、同じ帝国車両製で同世代の南海11001系(旧1000系)や21001系(ズームカー、大井川鐵道で現役)とよく似た造作、青いロールカーテンも昔の南海電車で馴染み深いものです。

さすがにバリアフリーではありません。下りる時はちょっとビビるくらいの高さのステップです。車椅子の場合、堺トラムを待つか、中扉から担ぐかになるでしょうが、運転手さんひとりでは無理かと。

南海浜寺公園駅が宙に浮いていました。保存工事が本格化しているようです。工事現場の壁が透明になっていて工事の様子がじっくり覗けるようになっています。傍らにモニターが設置され工事の様子を動画で紹介しているものの、光が反射してよく見えませんでした。

浮き上がった駅舎の手前に土台枠が作られていて、当面この位置で保存後、高架駅完成後に再び移動するらしいです。この駅舎が閉鎖されたのは約2年前、ようやくここまで工事が進んだわけですが、文化財の保存保護ってすごく念入りな計画と高度な技術力、かなりの費用と時間がかかることはよくわかります。

堺トラムが連続していたのは来る時しっかりチェックしていたので、2本目に乗車。

さすがにバリアフリーの堺トラムです。でも椅子は固くて運転席後ろのカブリツキ席はかなり窮屈です。

大和川を渡ると、浅瀬にユリカモメが数百羽いるのが見え、我孫子道で下りて、大和川へ引き返しました。

ラピートとユリカモメたちが撮れました。

3年前、自分がバードウォッチングにハマる決定的なきっかけを作ってくれた大和川のユリカモメたちです。頭の真上を飛んでくれてカッコいいのですが、白いウンチも垂れ流しなので、要注意です。

我孫子道まで歩いて戻る途中、車庫を裏側から覗いてみました。163号がまだいます。廃車になって久しいのですが、モ161形の部品取りに使われているものと思われます。

オリエント急行ラッピングになった166号とその後ろに161号がいるのも見えます。ということは今日のモ161形運用はさっきの水色雲模様164号だけのようです。左端にいる水色雲模様は車番を確認できないものの351号、その向こうにはこれも廃車されて久しい170号が鉄道喫茶あびこ道塗装のままです。170号より奥に留置された現役の351号をどうやって出すのか、我孫子道車庫にはトラバーサがあるので大丈夫です。

164号が貸切運用の任務を終え帰ってきていました。

さっき乗った501号と504号のツーショット。353号も貸切運用から戻ってきました。

鉄道喫茶あびこ道のあった場所は障がい福祉サービス事業所になっていました。

探していたクリームとグリーンのオリジナルカラーモ501形505号が恵美須町から戻ってきました。ちょっと前まで真っ赤っ赤のキン肉マン電車だった車両です。

下り本線を少し大和川の方へ移動して折り返し用の側線に入線、天王寺駅前行になります。

先行の恵美須町行の発車を待って天王寺駅前行505号が上り本線入線。他の501形と違って還暦ヘッドマークもツートンカラーです。

車内は504号同様に白基調、もちろん昭和32年製の同い年です。モ501形のラストナンバーなので12月生まれの自分に一番近いはずです。

カルダン駆動で静かな走りなのに、かなり大きなコンプレッサー音がして(動画の最後の部分、神の木から帝塚山四丁目)、イマドキの電車と比べるとやはり年を感じさせます。

姫松の待合所が綺麗に塗り直されていました。向こうからモ351形355号、もう阪堺の標準色ともいえる水色と黄色の質屋さんの広告電車も正面からだと創英角POP体が見えないのでさほど気になりません。

てんがじいちゃんちへの最寄り、松虫で下車、夕日に輝くハルカスをバックに505号。

阿倍野筋に出た左側にあった表のベンチにゆっくり座ってタバコをふかしながら阪堺電車を眺められるコンビニ(確かサークルKサンクス)はローソン100になってしまっていました。またひとつ寛ぎポイントが無くなりました。

阿倍野交差点です。再掲ですが1973年の写真と並べます。ハルカスの存在感と阪神高速で暗くなってるのが決定的な違いですが、通り東側の大和証券とツートンカラーの阪堺電車は同じです。

昭和32年製の電車としては、南海21001系ズームカーの他、先頃アルゼンチンから里帰りした営団地下鉄丸ノ内線500形、小田急初代ロマンスカー3000形SE車、現役ではとさでん600形があります。いずれも個性派揃い、技術的にもサービス的にもそれ以前の車両と一線を画し、それ以降の車両の礎となっています。自分もかくありたいと思います。

モ501形が引退するまでに、「阪堺電車506号の追憶」というミステリー小説が書けそうな気がしてきました。