徳島駅

大和西大寺駅のように自分の鉄分を刺激する徳島駅の追記です。

改札を入るとそこは昭和

椰子の木が立ち並ぶ南国的な演出の徳島駅前、心斎橋も有楽町も柏もなくなって今や全国に8店舗しかなくなったそごうがここでは元気です。駅の右手のポッポ街商店街が気になります。アニメ系のお店もあり、徳島のアキバだそうです。

18階建ての駅ビルはJR四国が運営するショッピングモールとホテル、有人改札ラッチできっぷにハンコを押してもらってホームに出るといきなり昭和になります。

3番線に入線するシーンと4番線から発車してきたシーンです。欠き取り式の1番線も含め2面4線が古めかしい2つの跨線橋で結ばれています。線路は油の染み込んだ木の枕木、客車時代のホームを嵩上げしたホーム、三角屋根のホーム上屋、懐かしさがプンプン漂ってきます。

右手の山、徳島城跡と徳島市中心市街地に挟まれた、かなり狭くて窮屈な場所に立地しています。

徳島駅から分岐する路線はないものの、高徳線、牟岐線、徳島線、鳴門線の4路線の起点になっていて、JR四国では高松駅に次いで乗降客数が多いそうで、かなり頻繁にキハが駅に出入りしています。

駅に隣接したヤードに留置された色んなキハの向こうに昭和なビル、徳島運転所です。整備や清掃で仕事中の作業員の人も多く、現場としての活気があります。

キハのバリエーション

4番線ホームのすぐ向かい側の一番目立つところに水色のキハ185、奥の方ターンテーブル前に濃緑のキハ185、水色はJR四国のコーポレートで、濃緑は国鉄色ですが、パッと見た限り国鉄色の方がキレイに整備されているようです。キハ185はJR発足直前の1986年の導入で、国鉄色でもクリームと赤の特急色にはなっていません。

国鉄時代四国では特急列車は南風としおかぜだけ、あしずり、土佐、いよ、うわじま、阿波、むろと、よしの川、等キハ58系の急行列車が中心的存在だったのですが、JR発足後、しまんと、いしづち、宇和海、うずしお、剣山、等全て特急に格上げされ、短編成での特急列車のために導入されたのがキハ185です。

去年トロッコ列車でこの濃緑のキハ185に乗車しました。国鉄時代の特急を満喫できる車両です。

2番線に停車中は高松行特急うずしお、JR発足後に導入された振り子式の2000系です。山越えの土讃線、南風をメインに導入され、その後うずしおや宇和海等短編成特急にも進出していますが、今年から空気バネ式車体傾斜装置の2600系導入が始まり、新たな世代交代が進みつつあります。

うずしおは2両編成、グリーン車もなくて内1両が半分指定席になっているだけです。でもほぼ毎時1本の運転で、近鉄特急のノリといっていいでしょう。ちなみに四国の西端人口7.5万人の宇和島市の宇和島駅でも特急宇和海が1日16本運転されており、例えば人口12万人の北海道北見市の北見駅は4両編成の特急オホーツク/大雪が4本だけ。JR発足時点から急行の格上げ短編成の高頻度運転という戦略は大正解だったことが分かります。

一般型キハも着実の置き換え

3番線の海部行は1500系、平成18年から導入された一般型キハで、車内は新快速風の転換クロスシート。4番線の阿波池田行は平成25年導入の1500系7次車、イマドキ風な前面形状が成形、カラーリングに変更されています。カタカナのない型式名といい、車両デザインやインテリアからも、JR四国がかなり関西の私鉄を意識しているのは間違いないかと思います。

グリーンのキハは1200形、1500形のひとつ前の世代で、1000形を1500形と連結できるように改造されたのが1200形です。

国鉄から引き継いだキハ47形も多数留置されているものの、既に朝夕のラッシュ時くらいしか稼働していないようです。タラコ色(国鉄首都圏色)も2両ばかり見かけました。

この他に、徳島地区では運用されていないキハ54形とキハ32形があり、キハ40/47形、キハ32形、1200形(1000形)、1500形、1500形モデルチャンジ車、とJR発足後、普通列車用キハが積極的に導入され、予土線等超閑散路線/区間を除き、四国全体で最低1時間に1本程度の運行頻度と快適なローカル輸送が維持されています。特急列車だけでなく地域輸送でも、国鉄から引き継いだキハ40/47形とキハ54形が大半で、車両の老朽化が深刻になっているJR北海道との差は歴然としています。

喫煙コーナーが2箇所、立ち食いそばもある徳島駅です。

急激な人口の減少等、四国全体が抱える問題も小さくなくてJR四国の将来に予断は許されないとは思いますが、JR四国発足来、積み重ねてきた経営とマーケティングの努力の跡は十分に見て取れる徳島駅です。