酔って候

Image of 酔って候<新装版> (文春文庫)

幕末の4人のお殿様、いずれも明晰な頭脳と時代を見る目を持ち、歴史に名を残すものの、その主人公とは成り得なかったお殿様たちの物語です。

司馬遼太郎作品の殆どが主人公にたいする強いシンパシーが基調になっていると思いますが、この作品はその観点からいささか異なる趣があります。

最初は山内容堂、「龍馬伝」の近藤正臣のイメージが強く残っていますが、あんなに老けてはいなかったはずです。龍馬とは9つしか違わず、維新の時でまだ41歳です。それに容堂と龍馬は一度もあったことがない、とも本書では明言されています。船中八策、大政奉還はやはり後藤象二郎が龍馬の名前を出さずに自分の案として提案したものと思われます。

しかしながら、その性格や言動は近藤正臣がとてもうまく演じていたとわかります。極端な酒豪、傲岸で保守的でありながら、時代に乗り遅れまい、あるいは時代をリードしよう策をめぐらしたものの、容堂は「佐幕にも倒幕にも役立たなかった」と括られています。

第二編は島津久光、紛れもない名君、異母兄の島津斉彬がお由羅騒動を経て亡き後、大殿様として薩摩藩に君臨、大群を率いて上洛、さらには江戸へ、あげくに生麦事件を起こして薩英戦争を引き起こしてしまいます。

西郷や大久保が何枚も上手で、利用されるだけされたこのお殿様は、版籍奉還など想像の域を超えていたことだったでしょう。一個人になってしまった久光は、ありったけの火薬を使って一晩中桜島の上に花火を打ち上げて憂さを晴らしたところで話が結ばれています。

第三編は伊達宗城ですが、少し趣が異なって、主人公は宗城というよりも、その命で蒸気船を設計製作した「ちょうちん屋」嘉蔵、後に、前原嘉市という人物です。提灯の張替えを稼業にした町人でも最も身分の低い、冴えない中年オヤジの職人が、ひょんなことからその器用さを買われ、蒸気機関の開発を託されることになります。

それでも、宗城のお目通りなど叶うはずもなく、管理者となる役人たちから白い目で見られ、散々いじめられながら開発を続け、ついに蒸気機関の開発に成功します。

嘉蔵さん、集中力の高い、知識吸収力、実行力のあるとても魅力的な人物で、自分にも夢を与えてくれる存在です。実在の人物ですが、検索してWikipediaにも無く、地元宇和島でくらいしか知られていないようです。

「花神」にも登場していたようで、ぜひ読みなおしてみたいところです。歴史に大きな名を残す人物だけでなく、嘉蔵さんのような人物も描ききれるのが司馬遼太郎の大きな魅力だと思います。

最後は鍋島閑叟、薩長土肥の最後肥前のお殿様です。勤王攘夷噌しい中、肥前は他国(他の藩)との交流を禁止し、二重鎖国のような状態にあったそうです。

他藩が右往左往する中、幕府の直轄領ではあるものの藩内にある長崎に洋式要塞の築造、種子島銃ではなく、ミニエー銃、アームストロング砲の導入と、他藩とは一線を画した文明開化、富国強兵路線を進めます。

薩長と幕府で、肥前をどちらが取り込むか、という争いになり、薩長に着いた結果、薩長土肥が官軍となるのですが、肥前の軍が大坂についた時は鳥羽伏見の戦いの後だったと記されています。

4人のお殿様とも、歴史の主人公にはなれなかったものの、結果として、西郷や、大久保、龍馬、板垣退助、大隈重信、江藤新八らを主人公に押し上げ、蒸気船やアームストロング砲などの文明開化、富国強兵の素地を作ったのは間違いなく、その存在は決して小さくなかった、ということが本書の趣旨と捉えていいかと思います。